キャメル くるり 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。『まほろ駅前多田便利軒(オリジナル・サウンドトラック)』(2011)に収録。映画『まほろ駅前多田便利軒』(2011)主題歌。くるりのベストアルバム『ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER 2-』(2011)に収録。
くるり キャメル(ベストアルバム『ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER 2-』収録)を聴く
アコギのプレーンな音色で和声とメロディの運びを独奏で表現するイントロ。イントロを経たのちのストラミングのテンション感、曲はEメージャーキーですがカポタストをつかってDメージャーのローコードが使えるポジションでアコギを弾くとこのちゃきちゃきとした軽妙な響きが真似できそうです。左サイドがアコギで、エレキは右。トレモロがかかっているのでしょうか、揺らぎが私の心をぼだし太く温かいサウンドが耳福です。
ガツっとガッツのある硬質で密度の高い漢気を感じるドラムの音。人柄が如実に出る楽器ですね。さまざまなドラマーを迎えるたびに色を変えマジカルを起こすくるりリスニングの楽しみ。『キャメル』はBOBOさんのドラムです。
チキ、とタンバリン。カラっとカスタネットが小さく笑います。パーカッションづかいに大衆への愛のまなざしを感じます。私はロネッツの楽曲『Be My Baby』が好きなのでこうしたパーカッションづかいを観察しては重ねてしまいます。
たとえばくるりの楽曲『ブレーメン』にもふんだんにあらわれていますが、「くるり印」を感じる音楽の語彙のひとつに転回形のベースづかいがあると思います。『キャメル』ではヴァースでⅡmとⅤを反復するシンプルでほのかに苦味の効いたコード進行を中心にしますが、Bパート(ブリッジ?)に入るとセブンスの音をベースに置いた属和音でフレーズがはじまる大胆な展開(転回)。分数コードでいえばB/Aの響き、シ・レ#・ファ#・ラのB7のコードにおいて、「ラ」を低音に置いた形です。
この緊張感はベースがソ#に下がり主和音(Eコード)の第1転回形に進行するので緊張の全解決を先送りにする宙吊り感。
そのままフレーズが進んで、“また陽は昇る”と一連の文章を言い切るところでようやく転回形でなく安定感ある基本形の主和音があらわれます。くるりの楽曲にはこうした音楽上の文章構造と歌詞の文章の滞空時間・その着地が一致する解決の気持ちよさを見出せる楽曲が多い気がします。
間奏が口笛なのがいいですね。『まほろ駅前多田便利軒』のエンドロールで、スタッフや出演者の名前がスクリーン上を滑るなかでこの口笛の間奏を迎えるのかなと想像するとなんだかニヤリとしてしまいます。
ラクダの夢便
“いつか心に刻んだ愛も 素敵な日々が残したことも 破れたノートに書いた気持ちも あぁ いつかは伝えられるよ(あぁ今でも思い出せるよ) あぁいつかは 伝えてあげよう”(『キャメル』より、作詞:岸田繁)
かるく体を揺すりたくなる跳ねたリズムのグルーヴはどこか平熱な恒常性を帯び、ドラムの硬質でみっちり詰まったサウンドのハジけぶりが好対照。弱起で柔和に動くボーカルメロディと言葉の思念は、私にくるり流の『Daydream Believer』(The Monkees)を思わせます。
岸田さんのリードボーカルの合間にひとひら、佐藤さんのボーカルの入電。一瞬幻をみた気がするスウィートボイス。“いつかは伝えられるよ”というコール(呼)に対し、“今でも思い出せるよ”のレスポンス(応答)はまるで、伝えることが叶った未来の時点から過去に対してねぎらいの言葉をかける慈愛を覚えるのです。おふたりのボーカルの束の間の出入りが楽曲のなかの時間軸に奥行きを与えます。
“いつまで経っても 変わらないことは 確かなものなんてないことだ 思い描いた 未来のことを夢見て さぁ どこまで 行けるだろう”(『キャメル』より、作詞:岸田繁)
冒頭のライン。“確かなものなんてない”と箴言がふりかかる地盤は、先の項目でもふれたⅡmとⅤのコードの反復で、安寧を求める終わりなき足取りのようです。不確定こそが不変なのだと。くるりの音楽を追求するアティテュードの象徴のような一言です。
確かな安寧の終わりなき「おあずけ」にげんなりするかと思えば、ときに意表をついてふとやってきもする安寧。“思い描い…”でおもむろに主和音の安定した足場を認めたのも束の間、“さぁどこまで 行けるだろう”でベースが下りの坂道にさしかかるように推力を得て動いていきます。
“さぁ行け行け 陽はまた昇る”(『キャメル』より、作詞:岸田繁)
主題の“キャメル”、camelと解釈すれば直訳してラクダ。砂漠の横断旅行のお供というイメージがあります。
砂漠のように視界が拓けすぎた環境なりの絶望もあるでしょう。こんなに長い距離・広い範囲に及んで「なんにもない」が広がっている! という恐怖や自然への畏れも人間の知性のたまものです。
あてもない場所に放り出された気がしても、一挙手一投足、意図をもって発することの積み重ねで軌跡が意図を帯びます。「あちらの方向へ」と意思をもって、真っすぐ着実に歩けば絶望こそが幻想だったと気付くこともあるでしょう。スネアドラムのたった1打だけでは楽曲にはなりませんが、1打1打があってビートの地盤が出来ます。沈んで昇ってを繰り返す陽が毎日チャンスをくれます。愛や笑顔の記憶をこぶに貯め、ラクダの脚が命の一筆書きを原野に描きます。
……と、私の思考に混信するのはくるりの楽曲『砂の星』(アルバム『THE WORLD IS MINE』収録、2002年)。歌詞に“フタコブラクダのエミリー”が登場します。
私が思うラクダの特長イメージは、おっとり・ゆっくりした挙動、過酷な状況でも一定の運動を長く恒常的に続けることができる性質にあります。人や物をのせる「便(びん)」でもあり、どこかからどこかへ事象がおおらかに移ろうのに居合わせ、みずからも一定の役割を担うのを思わせる動物モチーフです。野生のラクダは、走ったり俊敏に動いたりすることもあるのかもしれませんが(家畜であっても、もちろん)。
巨大な岩山を半日かけて迂回していたら、死角からふとオアシスが見えてきたようなエンディングのボーカルのハーモニーワーク。夕焼けを映して揺れる泉の水面でしょうか。今日はここでキャンプかね……というところで、この記事も筆休め。
青沼詩郎
参考Wikipedia>まほろ駅前多田便利軒、ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER 2-
Webサイトのヘッダーが新曲『La Palummella』(2024年10月11日リリース)仕様に(執筆時:2024年9月下旬)。
『キャメル』を収録したくるりのベストアルバム『ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER 2-』(2011)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『キャメル(くるりの曲)ギター弾き語り』)