精神の解放と使命の並走 Champagne Supernova Oasis
Aメージャー調だと思うのですが、主音と5音(Aメージャー調におけるラとミ)の保続がどこまでもフィットするような展開が悠然とした雰囲気を醸します。オープニングに波のような水のような環境音が使われているのとも相まって楽曲のスペクタクルなフィールに与します。
アコースティックギターのストラミングの儚い響きを尊重した情緒あるヴァースに対して、コーラスのエレキギターのボリューミーな響きが対照的です。ずっと遠くを見つめて目を細めているみたいなヴァースの平静なフィールと、コーラスの厚みがあって下行していくギター類の壮麗・緊迫な和声感の対比も際立っていてドラマティックな印象です。
ブリッジのところでsummerという単語が象徴的に機能します。バカンス、休暇、精神の自由や解放、充足、至福といった観念を象徴する季節として扱われているように感じます。しがらみから逸し、何か新しい境地に手が届きそうな心象は日本でしたら春がそうした観念が重なりやすい季節かなとも思えます。オアシスの出身地のマンチェスターあたりの新学期は9月とか10月とかの秋であろうことから4月(春季)が年度の出発点となる日本との社会背景の違いがうかがえるような気もして興味深いです。
悠然と長く保続するアコーディオンらしきトラックの音色、一定範囲の変化を輪廻するようなギター類のコード進行やボーカルメロディのキャラクターには地続きのさすらいの旅、個人の歩みの雄大な尊厳を感じると同時に、逃れらないしがらみ、使命、課題、背負わされる業のような観念が表裏一体になって平行する味わいも覚えます。厳かかつ寛大で慈愛に満ちドラマティックです。
『Don’t Look Back in Anger』や『Wonderwall』といったリスナーアンセムを収録しつつ、この恒久で曲サイズボリューミーなカタルシス『Champagne Supernova』でしめくくる驚嘆のアルバムに、Oasisが世界の影響元として今の10年20年においてもなお降臨をつづける理由が窺えます。
Champagne Supernova Oasis 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:Noel Gallagher。Oasisのアルバム『(What’s The Story)Morning Glory?』(1995)に収録。国によってはシングルがリリースされた。
Oasis Champagne Supernova(アルバム『(What’s The Story)Morning Glory?』収録)を聴く
歌詞のリフレインには忠実なのです。そこはさすがビートルズ・ラヴァー正真正銘という感じ。ヴァースごとに・コーラスごとに歌詞をいじられてしまうと私ふぜいのリスナーは覚えられないんです。だから、歌詞はちゃんと丁寧に、おなじ構成部分が再現されるときにはおなじものをうたわなくちゃならない。その錬磨・輪廻に耐えうる歌詞をそもそも書くべきなんです。オアシスが世界のアニキバンドになっている理由はこうした大衆へのやさしさ(=それは暗に己への配慮)要素がはたらいていると私は思います。
歌詞は、おなじパーツにおいては同じフレーズの再現を尊重するかわりに、音楽の景色はそのときによって変わっていかなくちゃならない。それがこの楽曲におけるポリシーに思えます。
たとえば最初にコーラスがやってくるときには、それまでのヴァースの雰囲気のまま、アコギのストラミング主体のアコースティックなフィールを保ったままです。でも後につづくときにはバンドインしている。ドラムは当然入ってくるし、エレキギターがジャミーン!と倍音の壁をたちあらわせます。同じ歌詞のヴァースやコーラスをリフレインしていても、そのときによって勇ましさ、奥行きや色みが変化しているんです。
複数のトラック、複数のギタリストで弾いているであろう編成・制作環境あってゆえなのか、音の混濁を感じるんです。この曲を私はAメージャーと解釈しますが、たとえばバンドの音がうわっと増えてベース音がナチュラルGに下がってきたときに、まるでA/G(AonG)のコードを弾いているギタリストと、Gのパワーコードを弾いているギタリストが同時に存在しているような感じがするんです。ベースがF#まで下がってきたときには、D/F#(DonF#)とF#(m)のパワーコード、Eまで下がればEメージャーのパワーコードとA/E(AonE)がいっしょくたにされて鳴らされているみたいなそういう混濁。もう何がその瞬間の和声音なのかとかを考えてつくる感じじゃないんですよね。雑多なものが一緒の地平のうえで同居していて、その雑然混沌とした空間をそのまま表現することで真実味を帯びているんです。私がそう感じるだけかもしれないけれど。
パーツ(構成のパターン)自体はそんなに複雑じゃないんです。ヴァースとコーラスにブリッジがある。歌詞のバリエーションは基本的にはそれだけ。
そのかわりといってはなんだけど、オープニング、中間、エンディングが工夫されている。
中間のギターソロ部分は清涼感、場面転換として機能していて見事です。Na Na Naみたいなバックグラウンドボーカルが入ってきて泣きそうになる。ジュラ紀の恐竜たちを滅ぼした隕石がぽっかり開けたクレーターの底から立ち上がる生命讃歌みたいじゃないですか。
オープニングは波の音。雰囲気のあるエレキギターのクリーントーンは絹の霧がかかったみたいな色っぽいサウンドでオブリを入れる。以降の曲中においても漂うのはアコーディオンなのか、ぷぃ〜んと長くて切れない・減衰しない音は連綿と息をつなぐ文化風土風習のしがらみを思わせ、フォークロアやそれをモチーフにしたクラシックに通底する精神みたい。
エンディングはドラムなんかの音がパッときえて、オケやマーチングでつかわれるような雰囲気のスネアドラムがカットイン。オープニングみたいにまたアコギと非減衰系のリードが響きの中心の景色に戻るんだけど、だんだんリタルダンドがかかってちゃんと自らの手で音楽に終止符をする。フェイド・アウトに頼ったりなんかしないんです。この速度の減衰が良いんです。永遠に続くみたいに思えた幻も、肉体の代替わりに強いられてどこかで息絶えるんですよ。またそれに似た誰かが次の世代にあらわれて、輪廻転生したみたいに思うのかもだけど。
ブリッジはヴァース・コーラスと雰囲気がちがったり、エレキギターの歪みの熱量の有無なんかでヴァースやコーラスも番ごとに印象が違ったりするけれど、だいたい曲のなかの秩序は一定範囲のパターンを繰り返しているんです。それなのにずっとドラマティックでストーリー性がある。この曲に、ポール・ウェラーがバックグラウンドボーカルとリードギターで参加しているんですって。非オリメン(ゲスト)の乗り込みがあるところも、ギター(サウンド全体)の語彙を豊かにしている理由だと思います。どれがリアムやノエルのオーバーダビングで、どれがポール・ウェラーの声やギターなのかは私には区別がつかないけれど。エンディングがせまるころには、なんだか女声みたいに儚げな声が定位を過ぎるみたいなのもヘッドフォンで聴いたときに初めて感じました。
そのエンディングに向かっていく直前の部分の話。ギターソロ(間奏)が終わったあと、またヴァースの再現があるんです。また同じヴァースがあってまた同じコーラスが繰り返されるのかな……と一瞬冗長を予想したかと思いきや、“We were getting high”のフレーズを針が飛んで戻っちゃうコンディションの悪いレコードみたいに繰り返しながら、エンディングに向けて最後の燈を燃やしながら収束していくんです。
俺らがハイになっているときに、いくつの人生が数奇な運命を辿っていくと思う? 想像してごらんよ……と諭されて、私の魂と肉体にもいつか夜が来る。
青沼詩郎
参考Wikipedia>シャンペン・スーパーノヴァ、モーニング・グローリー
参考歌詞サイト KKBOX>Champagne Supernova
Oasis – The official websiteへのリンク
『Champagne Supernova』を収録したOasisのアルバム『(What’s The Story)Morning Glory?』(1995)
2025年に“30周年記念盤 デラックス・エディション”が出ています。“アンプラグド・ヴァージョン5曲を収録”とのこと。