固有名詞を冠した歌。それ誰やねん(オレは知らんぞ)となる気もしますが、固有名詞だからこそ、その人物はどんな人なのだろう、何が描かれているのだろうと興味を抱かせる仕掛けにもなりうるわけです。あるいはその固有名詞自体がディティールのヒントにもなる……かもしれませんし。
チエちゃん 井上陽水 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲: 井上陽水。井上陽水のアルバム『氷の世界』(1973)に収録。
井上陽水 チエちゃん(アルバム『氷の世界』収録、Remastered 2018)を聴く
明るく、儚く、乾いているのにうるおいも感じます。
音が立体的ですごい。ロンドンで録音されたアルバム、演奏メンバーも外国人の方々が名を連ねます。エンディングの和音の切れ際にフルートが残って聴こえる気がするのですがどなたの演奏でしょう。フルートでなくフルートっぽい音色を鳴らせるとしたら……オルガンパートがクレジットされている様子もありません。私の幻聴?
私が井上陽水さんの歌唱にいつも思うのはうるおいです。リバーブによる化粧が潤い(wet)感を私に覚えさせるのはもちろんかもしれませんが、リバーブが付加されていなくてもそもそも井上さんの歌唱がうるおいを感じさせると思うのです。不思議ですね。語句のシルキーでなめらかな立ち上がりに理由があるのでしょうか。なまめかしく、ぬるっと歌唱の語句が、響きが立ち上がる感じです。井上さんの歌唱は私に魔性を発揮します。夢中にさせるのです。
6/8拍子のビートのまとまり、強弱関係がゆらぎ、波、緩急、押し引きなどのメリハリと恒常性を私に感じさせます。
特定のパートが印象の表層を覆ってしまうのでなく、一貫してすべてのパートが協調し、響きを保ち続けている印象です。
チャキチャキとしたアコギ。エレキの刻みは奥ゆかしく協調を尊重した感じのミックスです。ピアノの高域がボーカルの歌詞のないところの定型フレーズにハーモニーで寄り添います。
宙に滞空するストリングスも潤いがすごい。音の立体感を私に与える功労です。
ドラムはタイト。ハイハットが左に振ってあり分離がはかられています。ベースの音はマイルド。
立体感があって飽和することなく、井上さんのリードボーカルも腰を楽にして漂っている感じです。爽快なサウンドなのです。
歌詞
ひまわり模様の飛行機にのり 夏の日にあの娘は行ってしまった 誰にも「さよなら」言わないままで 誰にも見送られずに ひとりで空へ まぶしい空へ 消えてしまった
『チエちゃん』より、作詞:井上陽水
童謡の『サッちゃん』を思い出させます。
サッちゃんがね とおくへ いっちゃうって ほんとかな だけど ちっちゃいから ぼくのこと わすれてしまうだろ さびしいな サッちゃん
『サッちゃん』より、作詞:阪田寛夫
井上陽水さん流の『サッちゃん』と評してしまっては安易すぎるでしょうか。
見知らぬ町から遠くの町へ 何かを見つけて戻ってくるの? それともどこかに住みついたまま 帰ってこないつもりなの? どうして君はだまって海を渡っていったの? ひとりで空へ まぶしい空へ 消えてしまったの?
『チエちゃん』より、作詞:井上陽水
あくまで引っ越しを描いているとは思うのですが、遠さと儚さを私に強く印象づけます。ひととおり音楽を聴き終える。私の胸に楽曲『チエちゃん』の存在が烙印されます。ふとこの曲を思い出すとき、その儚さあまり、三途の川を渡ってしまった対象に寄せる恋慕の歌かのような感慨を生じさせるのです。ああ、チエちゃん。もう会えないんだな。どこかにいても、いなくても、僕には多分わからないのだと。
“消えてしまったの?” の表現が、遠く儚く、手の届かない印象を私に強く与える一因でしょう。消える、すなわち認知の外へ行ってしまう。
消えてしまったとはいえ、その対象のことを歌っています。主人公の記憶からも消えてしまったわけではない。ここにだけいる存在なのか。
チエちゃんなどという固有名詞は本文中のどこにも不見当。タイトルだけに、その固有名詞を刻みます。これも私に、儚く、幻想的な印象を与えます。
まぼろしみたいなのです。
いくつも前の夏の記憶のような。他人の記憶が私の胸に混信してしまったような。
どこにもいないのに、この胸にだけはいるのです。
アオヌマシロウ
『チエちゃん』を収録した井上陽水『氷の世界』(1973)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『チエちゃん(井上陽水の曲)ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)