作詞:山上路夫、作曲:日高富明。編曲:東海林修。ガロ(GARO)のシングル(1972)、アルバム『GAROファースト』(1971)に収録。

ストリングス、オーボエが漂い、モチーフで主題の「地球はメリーゴーランド」の壮大な感じがよく出ているのですが、まずベーシックからしてバンドのグルーヴ感がすばらしい。

非常に面白いのが、右にがっつり振ったアコギが、スクエアな感じ方のオルタネイトピッキングで刻むのですが、コーラスの「ラー、ララララーラララー……」といったフレーズや、左にがっつり振ったドラムスは躍動するハネを感じさせます。ベースが真ん中で両者を接着しているような感じでしょうか、このベースの音も太く存在感があり、ふつう低域の楽器は下のほうに感じやすいと思うのですが、どういうわけかこのベースは天井のほうからおりてくるように感じるのは私の個人的なリスニング環境のせいでしょうか。ややハイフレット寄り中心で演奏しているようなタイトなニュアンスですが音がひたすら太く輪郭があります。カッコ良い。

こうしたベーシックのアンサンブルに、壮麗さをストリングスが加えます。オーボエのようなパートは雅ですがヘッドホンで聴くとかなり右側で、アコギのあたりとがっつり重なった定位で感じもします。ほかと定位がぶつかっても埋もれない、ダブルリードの存在感たるや。

メインボーカルの日高さんの繊細な歌唱のニュアンス、機微がほろっとさせます。表現豊かですね。コーラスで張るところはみずみずしさがほとばしり、コーラスに入る直前の“乗せてゆくよ”のあたりのブレーキのかけかたが絶妙です。コントロールが「視えて」いる。素晴らしいミュージシャンであるのが音源ごしに伝わってくるようです。かなうなら生で演奏を見てみたかったですね。

まわる円盤

歌詞は楽曲のモチーフと主題をそのまま映した趣で、おいしいところだけを抽出したような、ハイライトシーンだけでできた、スペクタクルな映画の予告編、いやもっとそれをタイトにしたCMくらいのギュっと詰まった印象でブレません。“まわる まわるよ”とゆっくりと観念的な言葉を重ねていきます。Bメロの副次調Ⅴ……ⅢメージャーでⅥmにつながるエモみが観念的な言葉を色彩豊かに響かせ、ふわっとブレーキをかけるようにボーカルにスポットライトを残すような感じで「らー、ららら……」のコーラスが入ってくるサビ。これでじゅうぶんという満足げな私です。

3分40秒ちょっとのサイズで、スケールの大きい曲想的にはもういくらかサイズを欲張れるポテンシャルがありそうですが、アルバムのおしりから2番目の楽曲であり、聴き疲れされる前に最適なサイズでフェードしていきます。

おんなじ船(地球)にのっているんですが、乗り降りがあります。先に降りちゃった人だけど、その人がミュージシャンだったりなにかものをつくって残す人だったりする人だと、こうして手紙が残るみたいに、後から乗り合わせた私に思念が伝播するのです。私もそのうち降りるし、未来の乗合員に何が残せるのか……明日急に降りることになるとも限りませんし。そうしたらこの瑣末な記事も遺書みたいなもののひとつになるのかな、と。お粗末です。

「船」みたいな観念を想像してしまいましたが、楽曲のモチーフはメリーゴーランド。おんなじところを延々とぐるぐる回る、御伽噺的な存在というか、その瞬間の娯楽性をパッキングしていつでも再現できるようにした人工物であり、娯楽の外側についてあえて言及しないようにしたアトラクションがメリーゴーランドだという気もします。音楽≒残した音源はずっと変わらない(もちろんテープやレコードは消耗するでしょうが)ことと、メリーゴーランドの本質がちょっと重なって思えます。円盤も回りますしね。レコード(実演の録音物)はミュージシャンにとってのメリーゴーランドなのでしょう。

青沼詩郎

参考Wikipedia>ガロ(フォークグループ)

参考歌詞サイト 歌ネット>地球はメリーゴーランド

ソニーミュージックサイト>ガロ

六夢さんのサイト 水色の世界>GARO伝説>GAROファースト アルバムの各曲に言及した詳細なノート。筆者ご自身のGAROに関する一次的な体験を交えて綴られています。

『地球はメリーゴーランド』を収録したアルバム『GAROファースト』(1971)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『地球はメリー・ゴーランド(ガロの曲)ピアノ弾き語り』)