モテとエレキギター
『Shall we ダンス?』(1996年、日本)という映画がある。主人公は、最初は素敵な講師が目当てでダンス教室に足を運ぶが、いつのまにかダンスそのものに本気になる。
ネタバレになるが、この映画のタイトルは、クライマックスでその素敵なダンス講師が主人公にかける台詞であり、私の知る最も素晴らしいタイトルコールを持つ傑作のひとつである。この『Shall we ダンス?』という台詞・タイトルが素晴らしいのは、主人公や講師ら登場人物の成長の過程を抽出し、端的に象徴しているからだ。
ところで、私の偏見をひとつ披露しよう。モテ目的でエレキギターをはじめたという人は、ある世代に多い。もちろん世代不問でいらっしゃるだろうけど、所謂「バンドブーム」の頃に多感な世代だった人に多そうだ(「多感な世代」ってなんだよ)。
モテへの遠回り
エレキギターをやることと、モテることの相関関係は疑問である。何か芸を持てば人前に立てる。芸を持ち、人前に立てばモテるという前提のもと、芸の内容をエレキギターに依ったパターンだろうか。つまり、目的が「モテ」で手法が「人前に立つ芸を持つ」であれば、エレキギターでなくとも良いはずである。
「モテ」目的でエレキギターをはじめるのは、筋違いかもしれない。モテたいのだったら、もっとコミュニケーションが身につく物事を追求し習得したほうがいいのでは。ステージ上で誰かがカッコよく演奏しているフロアから、しっぽりと「モテ合いっこ」の成果として抜けがけを決める者が握るのはギターのネックではなくコミュニケーションの舵なのではないか?
もちろんバンドでエレキギターを弾くにはコミュニケーション能力に限りなく近い種類の感性が必須だと私は思う。バンドの音を聴き、同時進行で自分の音を出す必要がある。演奏のイニシアティブは常に移ろうので、己が音を出すことでバンドを引っ張ることもあれば、他の者のパートを聴き、それに協調したり支えたりもする。1曲の間ではイニシアティブが固定されっぱなしの音楽ももちろんあるだろうが、誰がイニシアティブを持つのかを瞬間ごとに察知・読解してしかるべき相応しい演奏をするのはやはりコミュニケーション能力によく似た音楽面の表現技術である。
皮肉にも「カッコ良いと思う」のと「カッコ良いと思われる」のは必ずしも一致しない。「カッコ良いと思われる」のを狙ってやれる人は、きっとエレキギターじゃなくても「カッコ良いと思われる」PDCAサイクルができる人だ。エレキギターは、多くの人に「弾いてる俺、カッコ良い」と思わせがちな魔性の器なのかもしれない。くどいようだが、その人がエレキギターを弾いて「カッコ良いと思われる」かどうかは別である。
浮気が本気になる
モテるためにエレキギターを始めたとしたら、浮ついた目的といえそうだ。いっぽう、「弾いている俺、カッコいい」(モテそう)ではなく、「エレキギターを弾いて、カッコ良いと思われる」(ホントにモテる)を突き詰めたら、もう「本気でやっている」といっていいかもしれない。軽い気持ちで始めたものが、いつしか己の全面的な努力の対象になることがある。その頃にようやくモテたら「いや、自分はいま音楽に全力なので」……とすれ違うんだろうか。いや、そこまで全力になれる人は、何かに打ち込んでいても恋愛やパーソナルな関係とほどよい距離を保てるのかもしれない。「モテ」に本人のプライオリティがない状態こそ最も「モテ」に近い、とでも括っておくか。雑?
バンドブームの話
流行を拾うメディア バンドブームとふたつのテレビ番組
「バンドブーム」でWikipediaをみる。私の目についた項目を抽出する。ひとつに、1960年代のGSすなわちグループ・サウンズブーム。もうひとつに、1980年代「イカ天」ブーム。
1960年代は“エレキ・ブーム”で、立役者はベンチャーズか。また1966年に初来日したビートルズの影響も甚大かと想像する。音楽が流行ったから「楽器も売れる」社会気風となり、国産の安い楽器の普及を手伝った様子か。『勝ち抜きエレキ合戦』なるテレビ番組(フジ)も1965-1966年に放送。審査員から最高得点を得たらチャンピオンになり、勝ち抜きを続けると“グランドチャンピオン”になるしくみでバンドが戦うのを楽しむ番組。のちの“イカ天”に似た先行事例だろうか。
1980年代の通称“イカ天”こと『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)は1989-1990年に放送。こちらは審査員に選ばれるとチャレンジャーとして現イカ天キングと対決し、5週“キング”防衛で“グランドイカ天キング”となる。“エレキ合戦”と比べてひとつ手順?が多いのか、あるいはほとんど一緒なのか。
60年代も80年代もテレビはブームをネタに番組をつくって放送した。もちろん認知度の高いテレビ番組の存在は別にして、それらの時代もその前後にも、実際のブームをけん引し、ディティールとなったのはたくさんの歌手、ミュージシャンなりアーティストなりであり、多様な潮流の合波、その高まりが「第〇次バンドブーム」なのかもしれない。1960年代が1次で、80年代が2次ってカンジで良いのだろうか。
バンドブームのときに10代後半くらいだった世代は、第1次(仮に1965年頃とさせていただく)ならおよそ1946年~1950年頃の生まれ。第2次(仮に1989年頃とさせていただく)なら1970年~1974年頃の生まれになる。2023年を基準にすれば、第1次を10代後半で体験したのが74歳~78歳。2次なら49歳~53歳くらいだろうか。私の仮定が「10代後半」とざっくりしているため、実際の影響はもっと幅広い世代・年齢層に複雑に及んでいるだろう。
第3次バンドブームは幻?
「流行は20年周期」といった言い回しを時に耳にするけれど、第2次の1989年頃の20年後にあたる2009年前後くらいに第3次バンドブームはあっただろうか。 ためしに2000年代と2010年代あたりのヒットソングを粗雑に検索してみて受ける印象は、ガールズ・ボーイズグループ、シンガーソングライター、バンド、バンド経験者のソロ、まだ比較的ニッチであったかもしれないDTMerあるいはボカロP的ポジのコンポーザー、など様相はカオス。バンドの影ももちろんあるが、少なくともいえるのは“バンドブーム”と評したくなるはっきりとした波の高まりや潮流の観測は難しいということ。嵐、AKB48の名前が特に目立つ年代だ。“バンド”は多様で混沌とした音楽のなかのいちスタイルに呑み込まれてしまったのか?
ヒット曲が有する音楽スタイルとの因果関係がどれほどかは定かではないが、第二次バンドブーム(ざっくり1990年前後としておく)のおよそ20年後にはっきりとした「第三次」らしい兆候はみられない……まま、2011年3月には東日本大震災が起こる。世の人が、断絶と結束の両極端を味わった出来事かもしれない。さらに蛇足すれば、この9年後の2020年3月にはいわゆる“コロナ禍”である。
社会背景の小話
細分化したプラットフォーム
特定のスタイルが圧倒的な席巻をみせるのは、去りし夢なのか。かつてのバンドブームは、あらゆる世代のあらゆる人に対する優位性をテレビというメディアが持ち、なおかつ若い人が多いという社会構造に依存して起きたブームだったんだろうか。
2023年時点では、国民のうち若い人が占める割合は少ないし、世代やそのヒトの個性によって触れるメディアが細分化している。2023年時点でかつてのテレビのような圧倒的な存在はネットかもしれないが、普段ネットに全くふれない人も少数派かもしれないがきっといるだろうし、ふれるヒトもその頻度はさまざまだろう。ネットの中でも特にどんな媒体・プラットフォームをどんな風につかっているかはこれまた割れまくりの様相と思う。
素直に滑走する人口ピラミッド
『統計ダッシュボード』で1965年と1990年の人口ピラミッドをみると面白い。1965年は、15~19歳の割合がポーンと出て最も高い。続いて1990年の人口ピラミッドをみるに、40~44歳が最も高く、双極を成すように次いで高いのが15~19歳の割合だ。
これを踏まえて私が想像するストーリーはこうだ。1965年に10代でバンドブームを体験した人が10年くらいして子供をもつのが1975年頃。その子供が成長し10代後半にさしかかるのが1990年。その第2次バンドブームのときに、10代後半の子を持つ親は、自分自身も第1次バンドブーム(1965年頃)を体験しているから、子供がバンドブームの波に乗るのを応援したり面白がったりした可能性が考えられる。なんなら親の所持する楽器をそのまま子が使う・譲り受けるなどのケースも多そうだ。
“音楽は若い人のモノ”?
音楽は10代のカルチャー、若い人のものである……これは誰の言葉か失念したが、私の記憶にあるうろ覚えの言葉だ。私が敬愛し、音楽家として信頼を集める有名な人の発言だったと思う。出典を失念したため大変頼りない弁になってしまうが、音楽は若い人のものだという側面は一理あるし、時代別の人口ピラミッドを見ると心からうなずける言葉だと思う。音楽による強烈な社会的ムーブメントが起きるには、若い人口が多い社会構造が背景にあるのだ。
“統計ダッシュボード”の人口ピラミッドで2020年をみると、45~49歳が最も出ている。1990年のバンドブームを10代くらいで経験したあの世代だ。次いで多いのが70~74歳で、1990年のバンドブームのときに10代くらいの子をもつ親だったあの世代。ピラミッドは正直にズレていく。
突出した1971~1975年頃生まれの世代から1990年頃までの生まれにかけて人口はガクガクガクと減っていき、1991~1995年頃生まれ以降はなだらかに減り続ける。国家の人口を急激に大きく揺さぶる類の社会現象はここ30年間ほどは稀なようである。終戦後のベビーブーム、その子らが親になるときのベビーブームはやはりかなり特殊な社会的事件だったのかもしれない。10代が全人口の中の割合を大きく占めるというのは現代を思うと恐るべき(稀な)時代に思える。
現代は、10代が全人口に対して占める割合が小さい。ヒットソング自体がニッチなものなのかもしれない。一方、若い人のなかでひとつの音楽が占める意識、存在感は大きいもので、これはどんな時代の人なのかに限らない。若い人は夢中になるし、熱狂するものだ。経験を重ねると、特定の事柄ないし特定の音楽作品が、長い経験の中に占める記憶の割合が縮まる。新しく経験することひとつひとつ、いずれも割合として小さなものとなる。悪いことではない。落ち着きと恒常性の中で積もるもの、高まる種類の物事もあるだろう。そうして生み出される音楽作品(≠カルチャー)が、その時代の10代に受け入れられるかは甚だ疑問であるが。
“音楽は若い人のもの”の言葉が表すのは音楽の一面であり、全面ではない。寿命が長い社会が今後ももっと長く続けば、“音楽は若い人のもの”という側面はどんどん縮こまるかもしれない。今後の音楽がどうなっていくのかは、いま生きている人たちが試されているし、託されている。
むすびに
モテと音楽とはぐれ者
モテたい気持ちの盛りは10代にあると思う。で、その理想に近づく取っ掛かりとして手近にギターがあったり、世の中の盛り上がりや関心の対象がギターだとかそういう楽器を用いたスタイルの音楽であったりする場合、とりあえず弾いてみる人、友人知人にそういう仲間がいればバンドを始めてみる人は多いだろう。モテ欲と音楽と世代の関係は、深淵なものがありそうだ。
バンドのヒット曲も結局マイノリティ
ところで、第1次バンドブームの1966年頃のヒットソングを検索してみると例えばザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、第2次バンドブームの1990年頃のヒットソングをみるとLINDBERG、プリンセス・プリンセス、THE BLUEHEATSと確かにバンドの名前がみられるが、ランキングのほとんどをバンドが占めているのでは決してなく、いつのブームのときもバンドの音楽はあくまでアウト・サイダー(主流でない存在)であり、語弊を承知でいえばある層にとっての鼻つまみ者のような存在であるのを思う。どこの家庭に流れていてもおかしくない、マスでありふれた音楽に我慢ならない人が選びがちなスタイル、というのもバンドのひとつの側面かもしれない。
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YouTubeにアップされたザ・スパイダース『夕陽が泣いている』へのリンク > 1966年のザ・スパイダースのシングル曲。作詞・作曲は浜口庫之助。ストリングスを用いたバッキング、哀愁ある曲想、中庸なテンポなど歌謡の匂いを強くまとう。数人のオニーチャンらがギターやベースをガチャっとやって人気を獲る……的な紋切り型な第1次「バンドブーム」の本体はむしろ1966年よりあとの数年のほうだろうか。
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……というか、音楽は多様であるし、ヒットの格付けの上位にあるものは良くも悪くもその時代の「顔」みたいなものでしかない。心臓とか内臓とか手や足、指や爪の先まで、その時代における音楽の居所が様々あることを思う。いつの時代もあらゆるところにユニークなものがあるはずだから、顔の与える印象はそれとして、様々な部分に観察を及ばせたい。
精神とスタイルの波長が合うとき
ものごとを始めたときの動機がなんであれ、始めるものごとがどのようなスタイルを有するものであれ、本気になって突き詰めるうちにその根底にある精神に触れ、理解を深め、自分自身がその道の一部になっていく。たとえば社交ダンスなら紳士道や騎士道みたいなものかもしれない(門外漢なので心底わかりかねる)。
バンドだとかロックミュージックの本質は一般には反抗とか革新みたいなものであると思われているかもしれない。私なりに思うのは自主性や創造性である。まず既存の概念を認めること。そのうえで、それを超越したり凌駕したりすること。既成のものとは別の平行世界をつくること。既存のものを認め、チェックを継続してその上へのジャンプを試みる。
ロックミュージックの苗芽は流行り廃りに関わらずいつもある。バンドのスタイルが、その精神との相性の良さを発揮する社会や文明のバイオリズムが時折あるようである。今後もそうした波の重なりの顕現がバンドのスタイルであるとは限らない。姿形を変えたバンドブームは今後もきっとあるだろう。そのときそれは、もう「バンドブーム」とは呼ばれない可能性が高い。せいぜい老人か物好きが過去を重ねて懐かしむ死語だろう。ま、バンドは大好きだがブームに疎い私には分かりかねる。私のでたらめな予想を超えて、またバンドブームがやってくるかもしれないし。そのときは、自分の趣味に世間が寄ってきたなとか高飛車なことを思うかもしれない。……私が社会的に生きてれば、だけど。
あとがきのあとがき 生身の私のまわりの第3次バンドブーム?
蛇足を続けると、2010年前後はandymoriが活躍していた時期と重なる。andymoriの活躍は私の感情をドーンと揺さぶる衝撃そのもので、私のなかでバンド文化の熱はこの時期非常に高かったし、私自身もバンドを組んではいなかったけれど自分のソロユニットとしてバンドのスタイルでライブに出たりもしていた。その時期に私がお世話になったロックフェス系のオーディションが、優勝するとロック・イン・ジャパン・フェスティバルに出演できるRO69JACKだったし、そのへんのつながりで知ったり知り合ったりしたバンドも多い。フェス文化も盛り上がりまくっていた頃だった。サマソニもフジロックも新人を募るオーディションを開催した。
チャートの上位をバンドスタイルの音楽が席巻する……というほどの事象になってはいなかったとしても、ある層のあいだでの熱の高まりを見れば第3次バンドブームと形容してもいいくらいの動きはあったかもしれない。でも、それは「第3次」というよりは、どっちかといえば「フェス・ブーム」みたいなものの流れのほうが語る文脈としては本命な気もするし、もっと複雑な気もする。特定のブームはそれとして、あらゆる相関のもとで多様な音楽が醸成するのを思う。
青沼詩郎
参考リンク
エンタメ生活 PRIVATE LIFE>1966-67年にヒットした音楽シングルレコードって何?
『Pipeline』を収録したThe Venturesのアルバム『Surfing』(1963)
The Chantaysのアルバム『Pipeline』(1963)。メンバーらは当時高校生だったというから驚き。いかに若い人のムーブメントかを思う。
The Beatlesのアルバム『Help!』(1965)
『さよなら人類』を収録したたまのアルバム『さんだる』(1990)
『Happiness』を収録した嵐のアルバム『Dream “A” live』(2008)
『DIAMONDS』を収録したPRINCESS PRINCESSの『SINGLES 1987-1992』(1992)
『夕陽が泣いている』を収録した『スパイダース’67~ザ・スパイダース・アルバム No.3』(1967)
映画『Shall We ダンス?』(1996)
『ベンガルトラとウィスキー』を収録した『andymori』(2009)