“Copacabana (At the Copa) ”をフリジアンスケールと解釈してみる
“Copacabana (At the Copa) ”、すごく不思議な曲なんです。E♭メージャーとGマイナーそれぞれのドミナントモーションを行ったり来たりフラフラする。E♭メージャーと平行調のCマイナーを行ったり来たりフラフラするならまだわかるんです。E♭メージャーとCマイナーはどちらも同じ♭(フラット)3つの調合なのですから。
調合よりも旋法に比重があるのかなと思って、E♭メージャーの調合3つ(フラットが3つ)、かつ起点をGに置く(ⅰ度音をGと解釈する)とどういうスケール(音階)になるのかあてはめてみる。
すると、ⅰとⅱの間、それからⅴとⅵの間で半音をまたぐことになります。
これは“イドフリミエロ”の呪文でいうところの「フ:フリジア」……すなわちすべての音階音を白鍵で弾くとき、ミを起点にする(音階音のⅰとする)「ミ旋法」にあたるのでは? そう解釈すると、独特なメロディのくぐもった哀愁にコロコロ振り回される波乱万丈な和声進行を多少私なりに咀嚼できます。
“Copacabana (At the Copa) ”作曲者のバリーさんらが、フリジアンスケールを用いたという解釈の筋に意識的に作曲したかどうかは未確認ですけれどね。
“エレキギター博士”Webサイトはフリジアンスケールを“中近東のエスニックで民族的な雰囲気を持ったスケール” また、“この2度から生まれる響きはエキゾチックな雰囲気があり、フラメンコ音楽ではよくこのスケールが使用されています”と解説しています。なるほど、異国に足を踏み入れてしまったような独特の孤独を私が感じる理由でしょう。
Copacabana Barry Manilow 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:Barry Manilow, Bruce H. Sussman, Jack A. Feldman。Barry Manilowのシングル、アルバム『Even Now』(1978)に収録。
バリー・マニロウ(Barry Manilow)コパカバーナ(Copacabana (At the Copa))(アルバム『Even Now』収録)を聴く
コンガ・ボンゴの類がホットスポットの熱量を雄大に表現します。アゴゴベルが躍動とテンポの快活さを強調。日本でいったらチンドン屋でしょうか(全然違う?)。
パーカッションパートが悠久の流れを敷き、キックドラムの4つ打ちが今風のアソビバを表現します。これらのパーカッションとドラムスをベースの堅実なプレイと暖かくふくよかな音色が接着。
女声のバックグラウンドボーカルのオブリが重要です。リードボーカルのバリーが男声なので、女声のバックグラウンドボーカルがあって夜のアソビバの両性いりまじった様相が補完できるのです。
2コーラスを経ると、女声のバックグラウンドボーカルがアルコールでトロトロに溶けた私の意識を夢の中で連れ回します。半音で上がったり下がったりをする迷宮和声展開。ベッドの上で執拗に何かと何かが擦れ合っているみたいです。
圧巻のコーラス・ハーモニーワークを経るとオープニングに戻ったかのようにパーカッションの独壇場。コーラスとパーカスのハイライトシーンだけで1分半くらいのサイズを頬張ります。
ワウギターが漂い、エレクトリックピアノの衝突する発音体が夜の闇に咲いては消えるネオンや街灯の光を添えます。
ストリングスの一番高い音域はかなり高い。ヒステリックな糸をすぅっと引きます。ヘタに触れたら怒り出すぞ。遠巻きに見ていたら美しいのです。ブラスパートは汗をほとばしらせるフロアの狂乱です。
gun shotに倒れたのはTonyでしょうか。2コーラスが終わるときの、女性の絶叫のようなサウンドはサクソフォンなのか。こんなに人の声みたいな生々しい音が出るなんて驚きです。
夜のアソビバではろくでもないことが起こる。“Copa”では恋なんかしちゃいけないぜ。その決め台詞は30年前に言ってくれ……。
誰も後悔なんかしちゃいないならそれでいいけどね。
青沼詩郎
参考Wikipedia>バリー・マニロウ、コパカバーナ (曲)、Even Now (Barry Manilow album)
『Copacabana (At the Copa)』を収録したBarry Manilowのアルバム『Even Now』(1978)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Copacabana(Barry Manilowの曲)ギター弾き語り』)