Creep Radiohead 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:Thom Yorke、Ed O’brien、Colin Greenwood、Philip Selway、Jonny Greenwood。Radioheadのシングル(1992)、アルバム『Pablo Honey』(1993)に収録。
Radiohead Creepを聴く
しとしと、ひたひたと歌うトム・ヨークの歌声。風が吹いたら争うことなく飛ばされよう。そんな心ここになさ。
これを全部ブチ壊しにする、コーラスの右寄り定位のエレキギターが凶悪です。私がこの歌を書いた人間だったら、この音量バランスに決めるのには勇気がいくらあっても足りない。せいぜい逆サイドの左側で鳴っているエレキギターくらいの音量にとどめてしまうでしょう。それでは対比が成り立たない……こともないが弱まってしまう。
トムの『Creep』における歌唱がそよ風なら右のエレキギターは暴風です。ハリケーンかな。左のギターも音色としてはズ太くて永遠にサスティンしそうなほどに凶悪ですが……もし私がステージに立つトムで、自分の左から暴風の如しこのギターが飛んできたら、鳴っている側の目も耳もつぶれてしまいそうなくらいです。
ヴァースでこんこんと鳴るアルペジオのエレキギターはクリーンでクリア。そよ風と調和する透明感です。ピアノのサウンドが後年のレディヘ作品でも聴いたことのある感じのキャラクターで、このピアノを聴いてそうそう、これもRadioheadのサウンドのしるしの一つだよねと安堵する気持ちになります。
リリース後に本国で売れるより前に、イスラエルそれからアメリカと渡ってから本国イギリスでのヒットにつながるようです。僕はcreepだ、weirdoだと歌う……色んな訳が立つと思いますが、ここではたとえばウジ虫クソヤローとでもしてみましょうか。粗暴で品がなさすぎるかもしれませんが、全てをブチ壊しにする創造的なハリケーン級エレキギターのサウンドと繊細な歌のアティテュードの振れ幅と対比に敬意を表してそれくらい極端な態度をとらせていただきます。
這い寄るもの、といった意味のcreep。変人といった意味のweirdo。ほかにもこの語彙のニュアンスには幅があるでしょう。おのおの単語の振れ幅を想像して味わってみては。
J-WIDで『Creep』の著作者情報を検索すると作詞作曲者としてRadioheadメンバーの5人に加えてRadioheadメンバーではないAlbert HammondとMike Hazlewoodの名前があります。Holliesの楽曲『The Air that I Breathe』と酷似しているためそのようになった旨のエピソードは音楽好きの一部には有名な話かもしれません。
似ているといえば、うなずくレベルでじゅうぶんに似た特徴を備えていると思います。だからといって、両者の価値、私のなかでの評価がその事実によって上がり下がりしたりはしませんけれど。
あまりにヒットした、その曲の存在が広く知れ渡ったのに反比例するように、Radioheadはライブでの『Creep』の演奏を避けた時期があるといいます。このことと関係のある話かどうかは切り離しつつ、書いておきたいこと(思うところ)があります。
楽曲は、いまいましいものごとを自分から切り離すために書かれることがある、という点です。
たとえば失恋。それは悲しい。心が痛い、苦しい。つまり、自分の心身とともにいつまでも一緒に置いておくわけにはいきません。
だから、曲にして自分から切り離してしまうのです。曲にする行為には、そうした意義があります。
もちろん、それは心と痛みが接した肌を介して温度が直接伝わらないように、距離をとる程度のことにとどまるかもしれません。でも、何もしないよりはまし。このまま痛みや苦しみがひりひりと肌を爛れさせつづけるのを避けるくらいの防御にはなります。
また、怒りもおのれの心を燃やし、黒焦げにしてしまうでしょう。だから、楽曲に認めて切り離すのです。
それを自身から分離したあと、いつまでも演奏していたいと思えるでしょうか? せっかく分離したのに、なぜまたこの肌身にインストールし直して歌い続けなければならないのか? その要求を拒否する態度をとる、その心情通りにセットリストを組み続ける自由はアーティストにあります。
もちろん上記はすべて世界規模のヒットソングをただの1曲だって書いたことのない私のでたらめかもしれません。本人たち、Radioheadメンバー側にはもっとしかるべき『Creep』のライブ演奏を避けた理由があるでしょう。
また、苦しみや燃え上がる怒りや後悔を曲にして切り離したら、ある意味それは最新の自分と直接関わりのあることではない……そういう感覚になれるのも事実です。だから、一度曲にしたためたテーマやモチーフ:動機を再び自分にインストールしたとき、必ずしも痛みや苦しみがぶり返すわけではありません。
表現者は自己治癒のために曲を書くのかといわれれば、それも確かにあるがその限りでもありません。
自分のために書いたのであっても、誰かにインストールされて、誰かの活動に良い影響をもたらす可能性があります。その可能性のために身と心をささげるのがアーティスト……いえ、一介の生活人の慣わしであり命題(ミッション)なのです。
理想と現実のはざまに杭をうつのが、曲を書くという行為です。
青沼詩郎
Radiohead 公式サイト Public Libraryへのリンク
『Creep』を収録したRadioheadのアルバム『Pablo Honey』(1993)
参考書
『Creep』を解説した頁を含む『本当はこんな歌』(2013年、アスキー・メディアワークス、町山智浩)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Creep(Radioheadの曲)ギター弾き語り』)