まえがき

泰葉さんの『フライディ・チャイナタウン』の原曲の厚みのあるリフが印象的なサウンド、編曲者は井上鑑さん。寺尾聰さんの『ルビーの指環』(1981)の編曲者も井上鑑さんです。2曲に通じ合う都会的な哀愁を覚えませんか?

フライディ・チャイナタウン 泰葉 曲の名義、発表の概要

作詞:荒木とよひさ、作曲:海老名泰葉。編曲:井上鑑。泰葉のシングル、アルバム『TRANSIT』(1981)に収録。

泰葉 フライディ・チャイナタウン(アルバム『TRANSIT』収録)を聴く

叩いても叩いてもへこたれない感じの芯の強いボーカルが印象的。リズムの定規の目盛りを知ったうえで悠然と手綱を引っ張ったり緩めたりするような自由で爛漫な歌唱が卓越しています。

イントロやエンディングを印象づけるエレキギターとベースのピタっとしたユニゾン。このタイトな雰囲気が寺尾聰さんの『ルビーの指環』と同遺伝子を思わせます。時代的にも楽曲の発表年が一緒。編曲の井上鑑さんも、彼の旬は生涯に亘って常にだとはもちろん思うのですがある意味「時の人」でもあったのかななどと想像を肥やします。

タイトなリズムはもちろんドラムス・パーカッションのたまものでもあります。キックやスネアの音色もタイト。ハイハットもタイト。こつこつとカウベルが統率をとる、音色のアクセント。タムタムの随所での2拍3連のオカズがおいしい。けたたましく雄叫びをあげるビブラスラップの登場頻度はなかなか多いですがオケになじんでおりうるさくも決してありません。エレキギターのつかいどころが以外とグっと絞られていて、ピアノがサウンドの倍音の鍵を握るとともに、そんな空間の風通しの良さのうえに頻用されるビブラスラップが好位置な印象なのです。

捨ておけないのがボンゴのペカっと乾いたかん高い音色で、これもタイトなリズムの印象に絶大に貢献しています。そう、ベースとエレキギターのリフにしてもそもそもがリズミカルで、かつスケール(音階のはしご)感がある……動きがあるんですね。それが都会的なわさわさしたせわしなさと、腰を落ち着ける場所を求めてさまよう所在なきブルーズ感をかもしだすのです。これこそがシティ・ポップスの精神性だと思います。

ピアノがイニシアチブを発揮するのですが、メロではシンセのエレピというのか、アコースティックピアノ系の絢爛な音色でなくカドのおさえた音色を適用するなど、鍵盤ひとつの使い方にしても音の景色の采配に細心が砕かれています。

ボーカルなんかに余計なダブリングがないのが良いですよね。都会のさびしさを強調するし、それでも逃げも隠れもしない、裸一貫で勝負するいさぎよさが痛烈でシビれるカッコよさです。ボーカルの力あってのことでもあるでしょうし、この際立った印象はもちろんボーカルのみならずすべての編曲や演奏、歌詞のテキスト要素も相乗してのことです。

リリースからとてつもない時間がたったのち、2020年頃?に外国のクラブで2000人規模?の大合唱を受けるような熱量をもって歓迎された楽曲でもあるんだとか。その頃のシティ・ポップ・ブームというのがあると思いますが、そのムーブメントを象徴する一曲なのでしょう。むしろその火付け役の曲こそが本曲なのかもしれません。Night Tempoさんという韓国のDJ・プロデューサーさんがこの曲のバイラルに与しているといわれるようです。

集中して細部まで聴いても、この楽曲のもつ哀愁の魂柱たる精神と心のがらんどうな寂しさ、それを表現しつくすサウンドや演奏の洗練は極めて卓越しているのがわかります。時代をこえて、何かきっかけがあれば優れたものは何度でも光を照り返すのでしょう。光を投げる役に、いつの時代の誰がなるのかというだけです。皆がその光を持っている。今日は、明日はどこに投げてやりましょうか。

青沼詩郎

参考Wikipedia>フライディ・チャイナタウン

参考歌詞サイト 歌ネット>フライディ・チャイナタウン

泰葉 ユニバーサルミュージックサイトへのリンク

『フライディ・チャイナタウン』を収録した泰葉のアルバム『TRANSIT』(1981)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】都会に集う哀愁 フライディ・チャイナタウン(泰葉の曲)ギター弾き語り』)