冬のリヴィエラ 森進一 曲の名義、発表の概要

作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一、編曲:前田憲男。森進一のシングル(1982)に収録。

森進一 冬のリヴィエラを聴く

手にぼったりと掬い取った原液の絵の具を厚いキャンバスに潔く擦り付けるように、吐息のなかに低域をうずめる歌いだし“彼女(あいつ)に……”。私の記憶の引き出しにも厚い絵の具を豪快に塗りたくるインパクトです。

声のコントロールが見事。単語や文の強調すべき焦点が適確で、メリハリがあります。抜くところでは抜き、息をスピードに乗った自転車のペダルをさも簡単そうに漕ぐように軽やかに慣性にしたがってごくゆっくりと抜いていく。しゅわしゅわと高域に息の雲がたなびきます。

そしてサビの輝かしい声の響き。強烈な伸びとうねりよ。たった1本のボーカルトラックだけを取り出して注意して聴いても長編映画ばりの情報量と起伏あるドラマが築かれているのです。

そんなリードボーカルの圧倒的な華もそれとて、編曲に目をむきます。ジャズのレジェンド、前田憲男さんではありませんか。大瀧さんが作曲を手がけているしフィル・スペクターとがっちり握手をかわしたような壮麗なサウンドですので編曲も大瀧さんかと思いましたが違いました。

ストリングスの立体感よ。達人の鉛筆画のようにグラデーションしているのです。リードボーカルの背後に樹を生やしたり雲を弾いたりとかそんな添え物や飾りのようなストリングスサウンドではありません。圧倒的皇帝感ある森進一さんの華にふさわしい豪華絢爛な一期一会の奇跡の場を成すために全霊を注いだような華やかなストリングスサウンドです。もちろん、この華やかさと奥行きはストリングス以外のパートと合わさってこそ私が感じている印象だと思います。

響きがリッチで余裕と品のあるドラムスが適確にリズムの点を決めていきます。ベースのサウンドは厚く、活躍させるものの焦点をはっきりさせる確かな懐の深さ。

ギターが左に定位してキレがよくしかし慈愛のあるカッティングでリズムをやさしくキメます。

ストリングスの奥行き感を私により印象付けるのは、どこからともなく降り注いでいる絢爛なアコギのストロークのおかげもあるかもしれません。ノズルだかホースを通って間断なく私を温めるシャワーのごとく安定の素地をもたらします。

絢爛なオケの印象に絶対的な品性を稼いでいるのはハープの音色でしょう。重力と揚力のはざまでウィットに富んだ話術を展開する蝶のごとく舞い、いまそこにいたかと思えばすり抜けて私の視線を宙に誘導。

絢爛な印象をくれるハープの海にブイを浮かべるのがピアノのサウンドです。オクターブ奏法のオブリガードがリズムの点に逐一灯りを埋設していきます。オブリガードで印象付けるところ以外はコードのストロークで加担しているでしょうか。広いダイナミクスと音域帯を持つ楽器ですから豊かで品のある音像を支えるのにこのピアノも重要な役。

さっきまで目の前にいた恋がからっぽのベッドに変わっているみたいな喪失感の前を過ぎるモブ:都市の通行人のようにカスタネットがよぎっていきます。そんなのってないよ……待ってくれ! 私を酔狂させる魅惑のサウンドです。

彼女(あいつ)によろしく伝えてくれよ

今ならホテルで寝ているはずさ

泣いたら窓辺のラジオをつけて

陽気な唄でも聞かせてやれよ

アメリカの貨物船が

桟橋で待ってるよ

冬のリヴィエラ 男って奴は

港を出てゆく船のようだね

哀しければ 哀しいほど

黙りこむもんだね

『冬のリヴィエラ』より、作詞:松本隆

歌なんか聴かされても目の前から彼はいなくなっている。いくばくの慰みになるもんか。ラジオを叩き壊してやりたい気持ちになりやしないか? 彼女と書いてあいつと読む。書き言葉は歌唱の音韻からだけでは察しきれないところですが、歌詞を文面で読んだときに与える情報の広がりを演出します。

リヴィエラは海岸とか河岸とか湖岸といったシチュエーションを指す言葉のようです。サビはじまり付近、テレビの放送時間でいったらゴールデンタイムみたいな重要な位置に外来語を用いてアカ抜け感を高めます。たとえば私の陳腐極まる思いつきですが、「ふーゆのー、かいーがんー(海岸)」「かわーぎしー(河岸)」とか歌ったとしても、字脚(じあし。発音の母音の打点の数)は「リヴィエラ」と同じ4音ですし意味もそれなりにハマります。でも「かいがん」なんてトチ狂っても歌っちゃいけない。この曲は冬のリヴィエラなのです。リヴィエラだからこそ獲得するアイデンティティがあります。それは各国の情緒が入り混じる、嗜みの深い品性とか知性。あるいはそんな私の浅はかな言語化を超越した深みをあなたはもっと見出すに違いありません。

やさしさが霧のように

シュロの樹を濡らしてる

冬のリヴィエラ 人生って奴は

思い通りにならないものさ

愛しければ 愛しいほど

背中合わせになる

『冬のリヴィエラ』より、作詞:松本隆

シュロの樹、単語から実物を想像できなかったので検索しましたが画像を見てあれか、と納得しました。単語と瞬時に結びつくあなたは教養深いですし、私のように写真をみれば見たことがあるとうなずくあなたもいるでしょう。リゾート地を思わせる、観用におあつらえ向きそうな植物です。海の向こうの遠くの空気を、四季のあるこの島国に輸入してきたみたいなそんな趣を感じさせるのがシュロのいでたちです。

ここに根を落としていたとしても、どこかに心がいってしまっているようなはかなさを私に覚えさせる。具体的な「シュロ」の単語は作詞技法としては「小物づかい」みたいな位置付けかもしれませんが、楽曲の味わいに豊かなディティールをくれます。

そんなシュロを、ひとつひとつの粒を分け隔てることのできない微細な湿気(霧)がつつんでいる。ぼたぼた涙をこぼすような、感情を記号化するような大雑把さはここにはそぐわない。

港を出る船のように、ふっとまたどこかへ行ってしまう。港の景色は今日も変わらない。でも彼だけがいなくなっている。このまま私はここで息を吸ったり入浴したり食事したり働いたりすれば、また「彼」みたいな船に出会うかもしれない。あるいは郷へ帰ったって、場所と人を変えて似たようなことが起きるかもしれない。輪廻を眺める「遠さ」を、粒のない霧が印象づけます。

接点は一瞬でも、霧に満ちた空気をどこまでと区切ることが難しいように、視界のはしのどこかでどこかとつながっている儚さと幻想が立ち込めます。

青沼詩郎

参考Wikipedia>森進一冬のリヴィエラ

参考歌詞サイト 歌ネット>冬のリヴィエラ

森進一 公式サイトへのリンク

『冬のリヴィエラ』を収録した『森進一ベストアルバム~富士山~』(2014)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『冬のリヴィエラ(森進一の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)