美しすぎて GARO(ガロ) 曲の名義、発表の概要

作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦。編曲:飯吉馨。GARO(ガロ)のシングル、アルバム『GARO 2』(1972)に収録。

GARO(ガロ) 美しすぎてを聴く

『学生街の喫茶店』はあまりにも有名ですし時代を象徴するヒットソングとして知られていると思います。これが実は当初A面ではなかった。はじめはこの『美しすぎて』がA面だったのですね。発表してみて実際の反響にしたがって、AB面を入れ替えて発売を重ねることは業界を外から眺めているだけの私にも十分「あるある」に思えます。

とてもサウンドが垢抜けている。村井邦彦さん作曲ということで納得がいきます。編曲は飯吉馨さん。初めてきちんと認知するお名前ですが井上陽水さんの楽曲『白いカーネーション』でピアノの演奏を担当したのが飯吉馨さんのようです。

楽曲『美しすぎて』はそのタイトルの通り、美しいサウンド、アレンジの妙が聴きどころです。アカ抜けていて、とても儚い。4和音づかいのせいでしょうか。

耳を引くのはシンセサイザーの音なのでしょうか。イントロから、口笛のような素朴な音色。トライアングルが16分割でアクセントをつけたリズムで強拍の位置をトリッキーに撹乱します。これも音楽的な「アカ抜け」を私に覚えさせる一因です。ドラムよりもむしろこのトライアングルがリズムのディバイド、分割を担当している。音量的にもドラムより主役に思えるバランス感です。

チャキっとしたアコギのダウンストロークが表拍の位置をはっきりさせます。ベースは伸びやかで、楽曲が描く儚げで遠い目線、その先にある地平線だか水平線のようなものを思わせる演奏が妙です。

ボーカルのハーモニーの厚みはガロの伝家の宝刀という感じがします。こうしたハーモニーづけはメンバーによるのか、飯吉馨さんによるのか線引きはいかに。

メロからサビに入って、ボーカルのエモーションが一瞬で上がるのが対比がはっきりしています。耳コピして自分でも歌ってみると、この温度の急激な変化がアクロバティックなのが実感できます。

アカ抜けていて、儚げ。確かに、A面曲としては悪い言いようかもしれませんが「地味」かもしれません。サビのウワっとせまるハーモニーは華やかそのものなのですが、サビの「遠い目線」、儚げなセンチな気分との対比でこの華やかさが実感できるのです。つまり、じっくり目を閉じて一曲を心を澄ませて聴いてはじめてこの曲『美しすぎて』の楽曲としての華やかさの本質にふれられる気がするのです。

たとえば6秒とか15秒とかで世間の心をかっさらうことを要求されるシングル曲のA面の使命としては、ある意味「地味」と言ってしまった私の認識の片鱗がおわかりいただけるでしょうか。

この『美しすぎて』の性質はアルバムという、統一感やコンセプトの「中核」の確かな存在が重要な連作という形式においては有利にはたらく気がします。人生は帯であり、押し引きのある波である。幅をもって観察したときに、その豊かさに気付かされるのです。『美しすぎて』にはそういう魅力があります。

B面というポジションもA面というポジションも超越した持ち味があるのですね。

たとえば松任谷由実さん(荒井由実)さんの作品のなかにもしばしば、とても有名で人気を兼ね備えている楽曲でありながらシングルA面曲でもなくアルバムへの収録をオリジナルの発表としているものがあります。

『美しすぎて』は音楽玄人すぎる感があります。深入りするほどに魅力にドブ入りする(私の言葉が汚い……)。エンディングに至って、この局面にきて拍子がチェンジ、6/8拍子に変わってしまいます。まだまだ人生なにがあるかわからない。自分が「ついに」「やっと」ここまできたと思っても、始まりにすぎないのです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>学生街の喫茶店

参考歌詞サイト 歌ネット>美しすぎて

『美しすぎて』を収録したアルバム『GARO 2』(1972)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『美しすぎて(GARO(ガロ)の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)