映像 夜のヒットスタジオ
MCが曲にまつわる話をさまざま引き出してくれます。
・中央線、八王子あたりで発想したらしいこと
・学生時代に作曲したこと
・『白い朝』というタイトルだった。改題したこと
など。久保田早紀は1958年生まれというのが正しければ、デビューシングル『異邦人』発売の頃に21歳くらいのはずです。曲を発想したという「学生時代」は彼女が短期大学に通った頃でしょうか。
映像は音楽以外に気になる(キャッチーな)部分も多いです。宇宙人を連行するかのようにピアノのところに久保田早紀を連れて行くMC。白いクジャクバトがピアノの上に……途中で全部いなくなりますが、そのあとカットが変わった瞬間にまた現れます。楽曲のすばらしさはさておき、映像で私は笑ってしまう。久保田早紀が元々まんまるの目を余計丸くしながら演奏しているように見えるのは気のせいでしょうか。
ドラムスのドシっと太いサウンドが印象的です。白いピアノはフタが閉まっており、久保田早紀の演奏の音は小さめか。クジャクバトをつかう演出のために蓋を閉じたのでしょうか。音質も音が遠いです。間奏などのリズムが印象的なストロークのところでわずかに聴こえるくらい。
歌声は凛としています。この奇抜な演出の前で笑わないで歌いきっただけでも賛辞……。
チェンバロ弾き語りと弦楽4重奏
古楽器の軽い響きがなんともいえず妙。チェンバロでしょうか。弦楽器のアレンジも勇壮。“あなたにとってわたしただの通りすがり”を歌うあたりの平静さはつまらなそうに見えるほどです。感情を内に仕舞って見えるのは気のせいでしょうか。曲想のおかげもあるかもしれません。それにしても久保田早紀はかなり平然とふるまう歌手に思えます。肝がすわっているといいますか、心がここにいないみたいにさえ思えます。それがこの曲想と相まっています。曲によって歌唱のキャラクターを演じ分けるのでしょうか。
曲の名義など
作詞・作曲:久保田早紀。久保田早紀のシングル、アルバム『夢がたり』(1979)に収録。編曲:萩田光雄。本文中に書きますが、アレンジメント含めて乗数倍で素晴らしい。
『異邦人』を聴く(アルバム『夢がたり』収録)
右のほうからギターのような音色。ウラ拍に16分音符を2発入れるリズムを繰り返し独特のグルーヴをつくっています。
ダルシマーという楽器が入っているようです。弦を直接叩いて音をならす楽器。これが異国ふうの雰囲気を醸し出します。打弦した以外のたくさんの弦が共鳴するのでしょうか。広がりのある煌びやかな響きです。金属質のアタックに軽やかでワイドな余韻。特徴を言いあらわすとそんなところでしょうか。
パートにわかれて左右でかけあう勇壮なストリングス。オーボエのリードの音色も鋭くエキゾチックに響きます。
アンデスの高地かしらと思わせる笛の音もきこえます。フルートじゃないよね? たて笛? ケーナとかでしょうか。
右のギターと対になってリズムを形成するのは左のラテンパーカス。カカカっと乾いた音を添えるのはカスタネットか。
タンバリンにも似た鈴の音もきこえます。シャン、シャン、と平常心と達観を感じるシンプルなパターン。まるでお遍路です。杖についた鳴り物を鳴らし歩く僧侶のよう。劇的なアレンジメントに理性を添えます。旅路を感じる音色でもあります。
ドラムスは4つのビートのキックが出る場面、16のハイハットを刻む場面も。オープニングとエンディングのパターンで鳴る派手なシンバルは注意をひく個性的な音色のもの……チャイナシンバルとかでしょうか。パシャーンと華やかです。
ベースもブン、ブンと4分を出します。オープニング・エンディングのパターンでは16分のリズムもオクターブ上行音形で出しますね。機械的な音形のせいもあってかこの部分は特にシンセベースのようにも感じる、まとまりのよい音色です。
音程が「トゥ〜〜ン」といった具合に揺れる独特のパーカッションも入っています。この楽器、なんていうんだったか。
ところどころチラリンとハープのような音色も鳴ります。飛翔を感じる優美な音を出したり、ヒステリックにかきむしる風の音を出したりと表情に富みます。
ピアノのトーンは調和・協調。まろやかでオケになじむプレイ。しばらく、いるのかいないのか気づくのが遅れたくらいです。オープニングのパターンのあとの歌に入る前のモチーフなどを奏でているのはピアノでしょうね。
久保田早紀のボーカルは冒頭にリンクしたテレビ番組の映像と印象変わらず、非常に平然としたパフォーマンス。“ちょっと振り向いてみただけの異邦人”という歌詞が象徴する「無関係」「無関心」の風情、孤独感、ほろろとした寂しさ薫る曲想を表現しています。出会わない、ドラマがはじまらない虚しさ。しかし、決して無からは生まれない感情を孕んでいます。
何度聴いても飽きないアレンジメント。時間が許すだけずっと聴いていたいです。豪華なのに胸焼けしない。おしつけがましくなく、寂しいのに劇的。こんな不思議な音楽にはめったに巡り会えません。ふだん私は使い控える表現ですが、名曲と称えるに相応しい。素晴らしいです。
音楽面で気になるポイント
ドファラ♭レ♭ ドーシーラ♭ー、ドファラ♭レ♭ ドッド、シッシ、ラ♭ー、ドファラ♭レ♭……
イントロとエンディングのモチーフです。とても劇的。何かがはじまりそうなモチーフ。サスペンスやミステリーの序奏のようでもあります。
Fm調がオリジナルキー。このモチーフの引っ掛かりはやはりシのナチュラルでしょう。音階のⅳであるシ♭が半音あがっています。とてもエキゾチック。
このスケールは……私の手持ちの資料で見てみて近いのは「ハンガリアン・マイナー・スケール」でしょうか。ハンガリー? そう言ってみれば猛烈にそんな気がしてきます。シルクロードがハンガリーを通っている? ちょっと外れているような気もしますがどうでしょう。無関係ではないようにも思えます。
“空と大地がふれあう彼方”のところで調がFメージャーになります。8小節ほど、つかのまの解放感を味わったら“あなたにとって私……”のところでまたFマイナーにもどります。落ち着きなく移ろって行くコード進行も、この曲の安定しない主人公の境遇を表しているようです。“異邦人”に安定を許してはくれないのです。
歌詞の儚さ
“子供たちが空に向かい両手をひろげ 鳥や雲や夢までもつかもうとしている その姿はきのうまでの何も知らない私 あなたにこの指が届くと信じていた”(『異邦人 -シルクロードのテーマ-』より、作詞・作曲:久保田早紀)
無垢な子供の姿まではいいとして、それを昨日までの自分に重ねます。今日の自分と何がちがうというのでしょう。無知だった? 昨日と今日のあいだで、なにが起こったのか。信じていた希望がくだける事実を知るのでしょうか。それは、触れることのできたはずのあなたが遠ざかった事? その希望はそもそも幻想だったのか、それとも、昨日までは確かに存在した事実だったのか。
“空と大地がふれあう彼方 過去からの旅人を呼んでる道 あなたにとって私 ただの通りすがり ちょっとふり向いてみただけの異邦人”(『異邦人 -シルクロードのテーマ-』より、作詞・作曲:久保田早紀)
副題の“シルクロード”を思わせる表現。遠い地平線に接するほど長く続く道を思わせます。誰しも昨日を背負って今ここに至る旅人。未来からこちらにさかのぼってやってくる人はいないのです。
昨日にどれほどの厚みがあるかは、人によってさまざま。決別を先送りにし、負債を溜め込んだ者ほど重くのしかかられることになるかもしれません。個人の事情で区別することなく、過ちも後悔も受け入れ、悠久の態度で主人公を迎えるのがシルクロードでしょうか。
あなたの心に、私の居場所があると思っていたのでしょうか。あなたの心の住人であると思っていたのに、特定の刹那のみに行き過ぎるだけの存在、それが私だった……そんな真実を自覚した切なさを感じます。
“市場へ行く人の波に身体を預け 石だたみの街角をゆらゆらとさまよう 祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき 私を置き去りに過ぎてゆく白い朝”(『異邦人 -シルクロードのテーマ-』より、作詞・作曲:久保田早紀)
行くあての無さを思わせるのは、あなたの心にあると思っていた自分の居場所は幻想だったと悟ったからでしょうか。能動性を失い、流れる主人公。血液にとけて、土地の自律神経に同化するかのよう。“石だたみ”と聞くだけで異国を思い浮かべるのはなぜか。私の育った故郷の原風景にそれがない気がするのです。それなのに“石だたみ”という言葉を理解するのは……後天的に得た知識なのでしょう。あなたと主人公のかかわりも、そのようにとってつけたのに似たものだったのか……。
“祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき”と名詞をたたみかけ、聴き手の注意を引きます。祈りの声は私に異なる宗教の存在を思わせます。決して私にとって馴染みのある宗教のものではない……想像させます。ひづめの音は石畳の上で鳴るものでしょうか。土の上を四つ足が行くのとは明らかに違う、乾いた音なのでしょう。カスタネット風の音色はこの歌詞の表現であると想像します。
ざわめきが歌うように聴こえるのはなぜでしょう。心の拠り所を失った自分とは違って周りが幸せそうに、楽しそうに思えるのか。「歌」は作為の所業です。ざわめきにさえ、異質な何かを感じるのかもしれません。素直に解釈すればシンプルに舞台描写、異土(土地柄による違い)を描くフレーズです。
名詞でたたみかけるのは実はここで終わっていません。最終的に“白い朝”で句は結ばれます。もともと、曲のタイトルだった(『白い朝』から改題の結果、『異邦人 -シルクロードのテーマ-』となった)決めの句です。
「白い」とは、あったはずの彩りがなくなってしまった状態を思わせます。希望を胸に抱いているときは、未来がいつもこちらに好意を寄せているように思えるもの。両想いの安心感です。それが、もはや他人のような関係になってしまった。そんな、最も新しい(直近)の過去、最近まで未来だったはずの時間。「白い朝」には、私の姿さえも書き込まれることがないようです。また、白は絹の淡く儚い色合いとも重なります。
“時間旅行が 心の傷を なぜかしら埋めてゆく不思議な道 サヨナラだけの手紙 迷い続けて書き あとは哀しみをもて余す異邦人”(『異邦人 -シルクロードのテーマ-』より、作詞・作曲:久保田早紀)
歴史をたくわえた道を行き、そこで過ごすこと。無関心がありがたい心情も私は理解します。苦しみから救ってくれるのは、しがらみのない営みに触れること。旅の魅力を占める部分です。
時間旅行と聞くと、過去や未来への超科学(SF)的な時間の瞬間移動を思いますが、一方、自然の流れにそって物事が経過することを「時間旅行」と呼ぶのも許されるでしょう。そこに己の存在の影響が少ないほど、気が楽という心情もあるはずです。
さっぱりと割り切る潔さは遠いのだとしても、自分が過ぎゆく存在の一部でしかないことを認めるのみ。その哀しみが時間にとけるのを待つあいだ、主人公は異邦人のままなのでしょう。
後記
編曲の妙にうなりました。コード進行もめまぐるしく、異国の見慣れない風景に目を丸くするばかり……といった状況に重なります。久保田早紀の歌声のキャラクターも絶妙です。飄々として迎合しない、異次元級の肝の座りっぷりが孤独な曲想を高めます。音楽も詩情も高潔な絹の質感です。永遠に味がつづくガム……なんて喩えはB級(C級?)グルメ然としすぎで私の庶民性が露呈しますが、本当にシルクロード調の悠久の響きを携えた至上のデビューシングルです。
もっといいたとえはないか……骨董品、アンティークのような品格があるのですが、古く埃をかむったみすぼらしい様子はなく……手入れが行き届き、歴代のオーナーに寵愛されてきた私宝。誇り高く、孤独で空虚な旅情ある逸品です。
異邦人 ポルトガル録音ヴァージョン(アルバム『サウダーデ』収録、1980年)
まるで旅先で落ち合った小さな楽団とともにしたステージ風の趣きです。オープニングから約1分半の器楽イントロデュース、タイトルのとおりポルトガル語? のせりふののち歌唱が始まります。鋭さのピークや甘美な味わい、息遣いのすみずみまで久保田早紀の声質・表現の妙が高解像度で味わえます。エスニックで哀愁ある響きの弦楽器(含む複弦タイプでしょうか?)が左右にそれぞれ、メイン(ベーシック)の伴奏のガットギターが中央ボーカルの奥。コンパクトですが豊潤なサウンド、これはこれで感性に唸るばかり。ここが酒場だったら酒を奢りたくなります。編曲は萩田光雄。Excelente!!
青沼詩郎
『異邦人』を収録した久保田早紀のアルバム『夢がたり』(オリジナル発売:1979年)
『異邦人』ポルトガル録音版を収録した久保田早紀のアルバム『サウダーデ』(1980)。前半のほうの収録曲で『異邦人』ポルトガル録音版と共通の編成・サウンドが堪能できます。
久保田早紀『異邦人』オリジナル版とポルトガル録音版の両方を収録した『GOLDEN☆BEST』(2002)。
ご笑覧ください 拙演