まえがき

あちこちと上下するメロディ、帰結感の薄いふわふわとした印象のコード進行が主題の「じゃじゃ馬娘」を絶妙に表現します。

じゃじゃ馬娘 大貫妙子 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:大貫妙子。大貫妙子のシングル、アルバム『MIGNONNE』(1978)に収録。

大貫妙子 じゃじゃ馬娘(アルバム『MIGNONNE』(Mastered by Bernie Grundman)収録)を聴く

シングルトラックのリードボーカルの描線が寂しいです。寂しいというのは孤独で寂寥感があるという意味。ものたりないという意味ではありません。

リードボーカルをダブルトラックにしてサウンドに厚みをもたせる録音手法はたいへん頻用されますが、用いないことであらわになる質感も当然あるわけです。大貫妙子さんの独特の声質にはシングルトラックがよくはまる。

高い音域にふっと抜くような発声は、ジャンルがわかりません。声楽などの素養があるような、しかしアカデミックな音楽にも大衆音楽にも、何かの枠にはまる気もしません。とにかく孤独なのです。楽器でいったらハーモニカみたいな存在感も重なるのですが、やはりそれとも違う。絹のようななめらかで都会的な質感も同時に感じるからです。

シティ・ポップ名盤、といった文脈で語られることも多いでしょう、大貫妙子さんの諸作品あるいはこの『じゃじゃ馬娘』収録盤の『MIGNONNE』。

音の左右の壁がせまる凄み。このアルバムは再発を繰り返されているし、2018年頃からはMastered by Bernie Grundmanとしてリマスターをほどこされているようでしょうか。

左右にエレキギターが布陣しリズムを刻んだりせりあがったりふくれあがったりするようなアルペジオ容態の音形を置いていきます。ドラムキットの一点一点の音が澄み渡りすぎていて怖い。どうしたらこんな純度の高いサウンドが録れるものか。ベースの輪郭もいっさいのささくれを感じません。喉に直接咀嚼のひつようのない流動体をインプットされている気分です。

ストリングスがきわめて左右・奥の立体感を演出。バッバ……と、サクソフォンのアンサンブルでしょうか、そこまで短く切らなくても!というくらいに極めてタイトなリズム。ギターソロが間奏で中央に、エンディングでサックスソロが中央に。ずっと聴いていたいという私の気持ちを汲むみたいにフェードアウト。

気になるの 年上の

イカシてる あいつ

知られたら 笑われる

だから打明けない 誰にも

私のこと じゃじゃ馬娘と呼んで

相手にしてくれないならいいの

私のこと お転婆娘と呼んで

相手にしてくれないならいいの

(『じゃじゃ馬娘』より、作詞・作曲:大貫妙子)

そう、ふわふわとしたコード感、どこにおちつくのやら、多動に上下するメロディが、人の注意を惹きつけるが、決して距離を詰めさせない孤独を感じさせるのです。相手にしてくれないならいい、といいつつ、この歌の主人公の挙動が私の注意を引くのです。相手にされないように自らしている矛盾、というわけでもないでしょうが……将来のじゃじゃ馬娘ぶり。慣らされる気など毛頭ないのです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>じゃじゃ馬娘MIGNONNE

参考歌詞サイト 歌ネット>じゃじゃ馬娘

大貫妙子 公式サイトへのリンク

『じゃじゃ馬娘』を収録した大貫妙子のアルバム『MIGNONNE』(1978)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】落ち着けなくて…… じゃじゃ馬娘(大貫妙子の曲)ギター弾き語り』)