自殺の詩 よしだたくろう 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:吉田拓郎。よしだたくろうのアルバム『人間なんて』(1971)に収録。『メモリアルヒット曲集 ’70 真夏の青春』(1970)初出。後者はLPでなくて「ソノシート」でしょうか。現在では極めて入手が困難かと察します。

よしだたくろう 自殺の詩を聴く

教会の「ざんげ室」なんてものがあるのかもしれませんが、午後の光のような明るさを感じる美しい楽曲です。タイトルでぎょっとしてしまう。「自殺」なんて単語を見たくないと思う人もいるかもしれません。その人や親しい人の身にもし「そういうこと」があったらば、それはやむをえない拒絶反応といえるのかもしれません。

ドローン(保続)する楽器は「ハーモニウム」か何かでしょうか。ビートルズの楽曲で聴いたことのあるサウンドです。これが非常に、私に午後の教会のような福音めいた時間のゆとりと光量のようなものを思わせるのです。

The BeatlesWe Can Work It Out恋を抱きしめよう。ハーモニウムのイメージ、これです。

ぽつねんとして素朴なベースのサウンド。ドラムは非常に軽やかなキックの音色で、ほとんどキックの質量に関してはいるんだかいないんだかわからないくらいの軽みです。スネアの余韻が深く、ハイハットの粒立ちがブライトです。コツコツいうのはラテンパーカスなのかスネアのリムなのか。

ギターが両サイドにひらきます。右がオブリ役か。達者ででどころをわきまえた良き傾聴者という感じがします。

吉田さんのボーカルは基本ダブルになっているようです。この一種人工的な感じが、自殺の詩という、心がここにあるのかないのか、輪郭線がブレてしまうあやうさを思わせます。心が、枠を逸して、空気に溶けてしまいそうな儚さです。途中ではっきりとパートがわかりハーモニーになります。

エンデイングのメージャーセブンの響きをボーカルトラックによって提示するあやうさよ。この途の終わりはあるのかという気分にさせます。

うつろな心も終りました かわいた心も終りました 何もかもが終って 今日が来ました 小さな鳥の瞳は かたく閉ざされて 流れる雲に包まれる 自分を見ました バイ バイ バイ バイ 今日のすべて バイ バイ

『自殺の詩』より、作詞:吉田拓郎

小さな鳥はおのれのあやうい心のうつし身でしょうか。もう事後なのか。「終ったあと」を思わせることばを連ねます。「あちら」に渡ったあとの視点を描いているのでしょうか。雲と同化してしまえるところにいった自分、からの目線です。

毎日私は死んでいて、毎日生まれているともいえます。昨日の私は昨日のうちに死に、今日の私が今日のおとずれとともに生まれるわけです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>人間なんて

参考歌詞サイト 歌ネット>自殺の詩 編曲名義が「遠藤賢司・加藤和彦・木田高介・小室等・吉田拓郎」とあります。なるほど、そっくりそのまま演奏メンバーということでしょうか。

吉田拓郎 エイベックス・オフィシャルサイトへのリンク

ニッポン放送>吉田拓郎が最新の音楽構想を明かす! ギターでの生歌も披露! 『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』 2022年のアルバム『ah-面白かった』が「ラストアルバム」というふれこみがあったような記憶があります。「企画アルバム」は別?! この後に及んで、まだ今後が楽しみです。

『自殺の詩』を収録したよしだたくろうのアルバム『人間なんて』(1971)