まえがき
再デビューとなる長渕さんのファーストシングル曲。着実に進むベース、コロコロとマンドリンやバンジョーがころげ、きらきらとアコギの響きが軽快な曲調をなします。緻密で繊細だがカッチリとしたビートの定規に合わせて歌詞がリズミカルに展開され、字余りなどによるリズム変化も非常にスマートに収まっている印象です。短調で歌謡のような湿っぽさもありますが、歌唱のかろやかで中性的な印象が中和し、快い聴き心地です。原曲の編曲者は鈴木茂さん。
巡恋歌 長渕剛 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:長渕剛。編曲:鈴木茂。長渕剛のシングル(1978)、アルバム『風は南から』(1979)に収録。
長渕剛 巡恋歌(アルバム『風は南から』収録)を聴く
長渕さんのライブでは頻繁に扱われる曲だといいますが本当に素晴らしい。
女性っぽい口調の歌詞です。歌唱もしおらしい。情感たっぷりです。私のなかに、長渕さんといえば、いかにも男っぽい印象が一端にあります。筋肉がたくましくて、その筋肉が収まりきらないTシャツがぱつぱつで、リストバンドなどついた腕を振り上げてファンを煽り、アコギをこれでもかとムチ打つ。髪型といえば短髪がトレードマーク。そんな印象でした(もちろん、かなりの脚色・誇大妄想込みです)。私が1986年生まれでして、世の中のエンターテイメント・ミュージック・ヒーローたちを認識し始めるのが90年代以降だったせいもあって、私の中にある「長渕さん像」も、ある年代以降の印象で占められていたのです。そんな印象を盛大に覆す、可憐な情感をたずさえた『巡恋歌』にうなります。
”だから私の恋は いつも 巡り巡って ふりだしよ いつまでたっても恋の矢は あなたの胸には ささらない”(『巡恋歌』より、作詞:長渕剛)
長渕さん、一度『雨の嵐山』という曲でデビューした後の、再デビューにあたるのがこの『巡恋歌』だといいます。それを知ってあらためて歌詞の内容、この情念を秘めた感傷的な曲調を味わってみると、歌の世界にはその楽曲のなかの主人公がいるのは当然なのですが、現実の長渕さんの境遇にも共鳴するものが見出せて、この楽曲の真実味は倍加するのです。いつもこの足元の位置こそがスタート地点なのです。みな、もれなくどこかからやってきた結果今があるけれど、それはそれ。私だけが私の過去をよく知っていて、巨大な苦労を背景にしていても、そんなものはみな時間のいたずら。過去がその人の後ろに見えるという人はよっぽど占い師みたいな鋭敏で精緻な、超次元的な感性の持ち主に限られるでしょう。いえ、もちろん、滲むものは盛大にあります。服についたシワひとつはもちろん、みなり、顔つき、手指の皮膚の様子、すべての過去は今この瞬間のあなたの姿に現れ、宿ります。そういったものは、決して占い師のような超越した「視る」力などなくても、観察によって導いたり想像したりできるものなのです。
バンジョーが試練の雨あられのようにふりそそぎます。こんなにはっきりとした音色で、連綿と連なるパッセージの演奏を可能にするのは、どういったことでしょう。右手の指それぞれにハメる(装着する)タイプのピックを使うのかな。バンジョーの奏法に明るくない私です。
ハーモニカのオープニング。間奏の、バイオリン奏法のようなスライドギター。エンディングで帰ってくるハーモニカ。悲しげで、哀愁に満ちています。
ベースのふるまいがコロコロ変わるんです。同じAメロでも、Aメロを繰り返すときにはもうパターンが変わっていたりする。ドラムもそれにつきあって、キックの頻度など刻々と変化します。私をふりまわす、思い通りにならない恋のように、さっきああ言ったかと思えば今はもう違うことを主張してくる。それは、状況も社会も刻々と変化するのですから、方針や意見もそれに沿って変化・軟化するのが自然でしょう。それが恋の本質。柔らかく、流動・可変なのです。
青沼詩郎
長渕剛 TSUYOSHI NAGABUCHI | OFFICIAL WEBSITEへのリンク
『巡恋歌』を収録した長渕剛のアルバム『風は南から』(1979)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】振り出しを繰り返し…… 巡恋歌(長渕剛の曲)ギター弾き語り』)