悲しみよこんにちはの伝播

同名異曲の多い『悲しみよこんにちは』。悲しみとは距離をおきたい、もし今この胸に悲しみが訪れているのならば、なるべく早めにお別れしたいと思うのが人の心ではないかとも思うのですが、いっぽう、悲しい気持ちの存在こそが、喜びや幸福に浸る気持ちを担保しているともいえます。

悲しみがあるから、私はよろこび、幸せを感じることができる。ずっと幸せな気分だったら何が幸せかわからなくなるのではないでしょうか。それとも何が幸せかわからなくなるのって、よっぽど幸せなのかな?

同名異曲を生んでいる『悲しみよこんにちは』、そもそもフランソワーズ・サガンの小説(1954年発表。参照Wikipedia)だといいます。1957年に映画化もされます。

『悲しみよこんにちは』という作品名はそもそも“ポール・エリュアールの詩「直接の生命」の一節から採られている”Wikipediaより引用)そうです。“悲しみよこんにちは”の伝播力、すごいです。

悲しみは乗り越えるものだったり、受け入れるものだったり、克服するものだったりするのも一面でしょう。『悲しみよこんにちは』のフレーズは印象的で創造的な言語表現でもありますが、感情の普遍であり、生きる者誰しもに訪れる自然です。

斉藤由貴が歌った『悲しみよこんにちは』
桑田佳祐が歌った『悲しみよこんにちは』

曲についての概要など

作詞:千家和也、作曲:筒美京平、編曲:高田弘。麻丘めぐみのシングル、アルバム『あこがれ』(1972)に収録。

悲しみよこんにちはを聴く

麻丘めぐみさんの歌唱は、私のような生活者と同じ地平にいる感じがして親しみをもちやすいのと、麗しくて尊いもの、という高嶺感のバランスがとても魅力的です。「歌唱お化け」みたいな異次元アンドロイドでは決してありませんし、かといってその辺にいる女の子っぽさをわずかに残しつつも実際にそこまでありふれた感じでもないのです。適度にダブリングトラックを入れてサウンドにお化粧しつつ、ちょっとひねった影のある独特のメロディを歌いこなしています。

ペンタトニック(5音音階)のメロディがいかにも筒美京平さんです。

長いこと私は、「筒美京平さんらしさ」がわからずにいました。曲によって器用に質感を変える……なんといいますか、不快に思う方がいるかもしれないことを承知でいうと、「美人の顔は覚えられない」感覚に似たものを抱くことがありました。多分、ロジカルに、鍵盤の上で考えて作曲できる人だと思うのです。楽譜とか音階とかよく知らんけどフンフンと鼻歌と一緒に楽器を鳴らして作曲してしまうシンガーソングライターとはかなり異なると思います。道理、理屈をちゃんとわかって、歌手のキャラや依頼主のニーズもふまえて、的確に、かつ幅広く作曲できる人だと思うのです。

それでも、どこかに筒美京平さんらしさが匂うとしたら、このペンタトニック(5音音階)フィールがひとつ、筒美京平さんらしいサウンドを数えてもいいと思います。

あと、バンドのサウンドがやたらファンキーでグルーヴィーなのも筒美京平さん作曲レパートリーのあるあるです。『悲しみよこんにちは』では、麻丘めぐみさんの素朴さもある歌唱に広い器で添い遂げるような落ち着いたサウンドがうかがえますが、Bメロ(サビ)あたりでややそのファンクネスみたいなものがチラりと顔を出してもいます。筒美京平さんは編曲も一人で担うことの多い作家ですが、『悲しみよこんにちは』は高田弘さんが編曲されているようです。編曲者がべつにいる場合は、ほんとうに歌メロディだけを編曲側に提出するのか、あるいはアイディアがある場合はなるべく細かく申し送りするのか……そこまでわかりませんが、編曲者が別にいる『悲しみよこんにちは』のサウンドにも、きちんと筒美京平さんらしさを覚える私です。

悲しいのか幸せなのか

“ちいさな幸せ つかんだら つかんだら 悲しい思い出 捨てましょう あなたの真心 信じたら 信じたら 私は考え かえましょう あなたのほかには 好きにはなれないのよ 誰よりも 誰よりも 大切な人 泪がかかとに 届いたら 届いたら 小指でくちづけ そっと交わしましょう”

(麻丘めぐみ『悲しみよこんにちは』より、作詞:千家和也)

主人公と、あなたの関係、その模様、いまふたりはどういう状況にあるのかがとらえづらい歌詞です。いろんな想像を誘います。

小さな幸せというのは、いま(最近)、主人公があなたと出会ったことによる幸福感のことなのでしょうか。それ以前に、主人公あるいはあなたには「悲しい思い出」があるのでしょうか。主人公が考えをかえるきっかけ(根拠)となる、あなたの真心とは。主人公だけをまっすぐに想うこと、くらいの抽象的なものでしょうか。

淡く、やんわりと始まった恋を思わせもするのですが、「あなたのほかには 好きにはなれないのよ」と強い想いを表現します。これは主人公の想いなのか、あなたの想いを代弁しているのか?

泪は落ちるもので、宇宙空間にでも出ないかぎり浮くことはないでしょう。落ちるならともかく、かかとに届くという表現が上手いです。「落ちる」は言い換えをさまざま考えて吉と出る観念かもしれません。「小指でくちづけ そっと交わしましょう」と、くちびるによるくちづけでないところに、距離を表現しています。いったい何の距離なの? どちらかが戦争に行ってしまうとか、そういうふたりを決別する強い力、環境要因のことをいっているのでしょうか。なんで小指なんだ!と。「約束」の表現である、「誓い」の表現である、とするのももちろんわかります。

この距離感。言葉の表現に、品があるのです。ふたりの恋を仮に描いているとしても、もっと引いて、その地域一体を、国を、社会全体までも映し入れて描いているよう。かつ、その社会のごみごみした様子をそのままに具体的に映す手法ではありません。私に、抽象的に感じさせるのです。これはおそろしく高等な技量ではないでしょうか。

青沼詩郎

参考Wikipedia>悲しみよこんにちは (麻丘めぐみの曲)

参考Wikipedia>麻丘めぐみ

参考歌詞サイト 歌ネット>悲しみよこんにちは

麻丘めぐみ ビクターサイトへのリンク

麻丘めぐみ 芸文サイトへのリンク

『悲しみよこんにちは』を収録した麻丘めぐみのアルバム『あこがれ』(オリジナル発売年:1972)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『悲しみよこんにちは(麻丘めぐみの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)