まえがき
16分割のあらゆるリズム形、弱起と強起を動員して歌詞をメロディと小節線にフィッティングしていく手法を想起しますが、実際の制作手法はいかなるものでしょうか。たとえば吉田拓郎さんの諸作品なども連想する独特の節回しがあります。またこの曲を収録した長渕さんのアルバム『逆流』など、彼の諸作品を聴いていくに、彼独特の「女々しさ」といっていいのか、センチメンタルな情念も彼のキャリアの早い時代の特徴なのかもしれないと思いました。なんとなく私は自分の生まれの世代のせいもあってか、長渕剛さんというと、硬派で男っぽいイメージのほうが先行してあったので、こうして現在において彼の初期キャリアの作品を聴いていると意外に思う向きもあります。
そうしたセンチメンタルな作風の一面はそれとして、『風は南から』は歌詞にもそれに近い描写がありますが、まるで高いところから人の・街の営みを俯瞰するような爽快さがあります。オープニングのストリングス、そしてアコースティックギターのゆったりとしたプレイにバトンが渡り、歌が始まるまでに1分くらいの長い尺を割いて言葉が語られはじめる意匠に、純然たる音楽の情報に情景のイマジネーションを託す姿勢も存分にうかがえます。編曲者名義は瀬尾一三さんです。
風は南から 長渕剛 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:長渕剛。長渕剛のアルバム『逆流』(1979)に収録。
長渕剛 風は南から(アルバム『逆流』収録)を聴く
ゆったりと時間が経過するようなオープニング、チラチラとトライアングルなのか小さな鐘の類がツィーンと厳かに寡黙に鳴り、朝の光が輝かせる朝露にぬれた桜の花を演出するかのようにウィンドチャイムが優しい指で撫でられます。シンセサイザーの音色でしょうか、ほわっとした、いないようでいる、まるで風のような存在が世を輪廻させる機能を担うかのようです。
ピアノの四分打ちが壮麗な曲想を、主人公の両足につなぎとめます。最初のサビのむすび、「風は南から」の主題を歌ってからようやく本当にコーラスがはじまるみたいに思える音景の展開です。
間奏のソロギターは人工的なダブルあるいは短いタイムのディレイがかかったような音像で、風の肌ざわりをやわらかく、うるおいのあるものたらしめるサウンドメイクと闊達なフィンガリングで魅せます。
楽曲の後半は音の情報量もあってドラマティックです。サビのフィルインに、ストリングスを動員したキメが入り、きびきびとした印象。メリハリを与えます。
Eメージャー調でつづる本曲、エンディングでC→Amっぽい進行を初めて見せ、ここに来て新しい風を思わせつつそのまま変終止です。
“この僕の想いよ君の街まで吹いて行け そして君の胸に突き刺され 今 風は南から”(『風は南から』より、作詞:長渕剛)
このフレーズが情動が強い。エモーショナルで、感情の動きや衝動を感じます。私が思い出したのは友部正人さんの『一本道』です。
“あゝ中央線よ空を飛んで あの娘の胸に突き刺され”(『一本道』より、作詞:友部正人)
胸という名詞、突き刺されという動詞が共通するところですが、人の営みの集合体である街、それらの動きを助けるのがインフラなのかあるいはインフラにイヤイヤでも人のほうが動かされるのか……そうした無情な社会のうごめく力のなかで埋もれそうな個人の感情を歌っている精神性こそが、通底して思えるのです。
青沼詩郎
長渕剛 TSUYOSHI NAGABUCHI | OFFICIAL WEBSITEへのリンク
『風は南から』を収録した長渕剛のアルバム『逆流』(1979)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】想いの衝動『風は南から(長渕剛の曲)』ギター弾き語り』)