結局 雨が降る 井上陽水
作詞:井上陽水、作曲:井上陽水・平井夏美。井上陽水のアルバム『カシス』(2002)に収録。
井上陽水 結局 雨が降るを聴く
とてもスタイルがわかりやすい楽曲です。ビートルズでいったら『From Me to You』。それから斉藤和義さんの『空に星が綺麗』を思い出します。そちらはピアノの間奏の使い方もよく似ています。
『結局 雨が降る』の話に戻ります。ダカダカ、バコンとドラムスの派手な質感が気持ち良いです。スネアのザラつき、余韻のあるサウンドが存在感あります。ビートロック的なものはこうでありたいと思うものです。ベースの輪郭はいい感じにこのドラムの轟音に融合しています。イントロの爽快で質量感あるバンドの出音には一瞬Mr.Childrenの『シーソーゲーム』も思い出します。
またまた『結局 雨が降る』の話に戻ります。アコースティックギターを両サイドに振っていて厚いです。時折分割を細かくして弾き込みます。大仰な2拍3連なども描きこみ、情報量をコントロールしてコンパクトな楽曲に起伏と動きを与えます。ストラミングはほとんどこれらのアコギ任せで、12弦らしエレキギターがオブリガード。気の利いた「分かってるぅ」とうなりたくなるアレンジです。
井上陽水さんの歌唱がエネルギッシュ。基本、全編タブリングです。2回歌った別テイクを重ねている感じでダブリングはこうでなきゃと思います。「foo」といった高音に抜ける歌唱がいかにもビートルズの影を想起させるところです。歌のエネルギーとともに、バンドの叩きのビート(ダウンビート)でまっすぐに駆け抜けていきます。
木、雨、水、困難……連想と暗喩を聴き手の中に展開する歌詞のおかしみ
大きな木がそびえて立って どうにかなる ならない 中央線がみだらになって 突然 雨が降る
『結局 雨が降る』より、作詞:井上陽水
音楽スタイルは私のツボを正面から押す分かりやすさでいながら、やっぱり歌詞がちょっとヘン。言葉づかいのおもしろさへの嗅覚が執拗なのです。井上さんのレパートリーはこうでなくちゃ。
人間でないものが「みだらになる」。擬人化といってしまえばそれまでですがこのサキイカのような旨味が神秘です。電車、といいますか路線の固有名詞 in Tokyoとして中央線は最もポピュラーな存在です。中央線でなくても鉄道ダイヤが乱れるのは特に都市の路線では日常のこと。
ですが「みだら」をダイヤの乱れだとか運行の遅延だと直線的に解釈してしまうのは少しもったいない。だって、「みだら」だんなんて……なんだかちょっとエッチです。鉄道路線が「みだら」。なんですか、この猛烈な旨味は。これからどこに行こうってんですか。ピンク街ですか? そんな名前の街はこの世にありません。雑草という草がないのと同じです。まったく、ツッコませてくれる愉快さです。
人生でぶちあたる困難を命題にしているように思えるところがまた良いのです。誰しもが、生きていれば困難にぶちあたるのです。その際の無力さ。だが逃げるわけにもいかない無情さ。結局「雨」がふるし、突然「雨」が降るのです。
「雨」を困難の象徴ととらえるのはひとつ、まっすぐな解釈です。あとはそうですね。せっかくの井上先生の楽曲ですから……「濡れる」「水」といった観念を想起させます。やっぱりなんかエッチな感じを思わせるのはたぶん私の頭の中に問題があるのでしょう。井上陽水さんの愉快で美しい楽曲に泥水をはねさすようで恐縮するばかりです。氏の楽曲が魅力的すぎるばかりに、私の楽曲鑑賞にともなう粗相もどうかお許し願いたいところです。
「大きな木」もやはり、困難の象徴にも思えますし、思わず出くわす障害、ハードルです。ああ、もういちいち何かの暗喩に思えるのです。どこに木を生やしているんだか。ヤメてくださいよ、もう。
中央線という固有名詞です。具体的な景色を想起させるじゃありませんか。聴き手それぞれが持っている記憶から、つまりその聴き手の固有の素材によって架空の物語、シーンが構築されます。井上陽水さんの宇宙をきっかけに、子宇宙、孫宇宙が派生していくわけです。
青沼詩郎
『結局 雨が降る』を収録した井上陽水のアルバム『カシス』(2002)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『結局 雨が降る(井上陽水の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)