日本人のカオ
グループ・サウンズがすごく好きなのです。音楽面で、海外のロックに影響を受けているのがうかがえるGS作品は多いです。さらにいうと、衣装も、そういう海のむこうのスタイルを取り入れてジャケット写真にしているものも多くみえます。
西洋人顔負けの(などと慣用表現に「顔」と用いるように)ホリの深い顔立ちをしている人であれば、日本人であってもムコウの人が着てキメている、サマになっているようないかにもな洋装スタイルの衣装を着こなせると思います。実際、そういう、顔立ちがはっきりしていて美形で、そのこともあいまって人気を獲得していたGSバンドもあったことでしょう。
メンバーのすべてがまるで西洋の人のような、パーツやメリハリのハッキリした顔立ちとは限らず、普通に日本人だねと多くの人に思われそうな日本人っぽい顔立ちのメンバーも、そういった花形メンバー(なんていっていいものかどうか)の傍に立って、揃いの衣装を着て写っているなどしがちです。
かくいう私も顔のパーツやコントラスト、その高低差やメリハリが大きいような顔立ちでなく、まぁゆうて「日本人だね」的な顔立ちをしている自認があります。
私のような「まぁ日本人だよね」的な顔立ちの人が、背伸びをすることなく自分の生来のモノにあった格好をするとなると考えがちなのが和服とか作務衣とか甚平ですが、まぁ本格的な和服はハードルが高い。七五三と、それから自分が結婚したときの披露宴でのみ着用した記憶があるくらいです(和服をとりいれることに慣れてしまえば、そんなにハードルの高いものでもないのかもしれませんが)。
作務衣とか甚平はありがちですね。花火大会に行く(恋人と一緒に)なんてなると女性は浴衣を手間暇かけて身につけて着て、男性は簡素で着用が楽ちんな甚平だとかいう(構造的にほぼゴム短パンと一緒みたいな)こともさもありなん(誰の経験談)という気がします。
西洋スタイルをすれば、顔がついて来ない。和装系に走ると、ハードルが高かったり、逆に「そっちに走ったのね」的な見え透いた感じが漂う(私の気のせいでしょうか。気にしすぎ?)。
GSのサウンドや楽曲が私は好きで、ああいうのを見た目から真似たりオマージュしてみたり一度はしたいかなぁなんて想像するやいなや、自分には似合わないなぁなんて思い、湧いて出た願望を遠ざけてなんて不毛な議会を脳内に立ち上げてやりあったり延々と牛歩したりしています。
ちなみに、ここまで書いた話は今日この記事の題材に選んだザ・タイガースがどうという話ではなくそれと同じや近い時代に活動したGSバンドやそのスタイルについての漠然とした雑観(雑な概観)と私の雑念です。
ザ・タイガース 君だけに愛を 曲についての概要など
作詞:橋本淳、作曲・編曲:すぎやまこういち。ザ・タイガースのシングル、アルバム『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』(1968)に収録。
君だけに愛をを聴く
青青しい演奏で、メロウでドラマチックな、陰影のある世界観をやっている感じが非常に私のGSファン心をくすぐり、共鳴させます。こういうちょっとクサみを感じるくらいに湿っぽいアティテュードといいますか歌謡っぽいといいますか、まぁまず短調な感じが好きですね。短調ならなんでも好きなのかといわれたら、下手したらそうですとブンブン首を縦に振ってしまうかもしれない感性がもはやお馬鹿になってしまった(かもしれない)私です。
この頃のタイガースはすぎやまこういちさんの楽曲提供を複数受けています。作詞は、作曲の筒美京平さんと一緒になって平山みきさんの楽曲を多数世に送り出してもいる橋本淳さんですね。そんなすぎやまさんらしい、西洋音楽の基礎的な知識や技法・構造をわきまえたのをしみじみ感じさせる作品もあるタイガースレパートリーとしては、『君だけに愛を』はわりとシンプルで大衆歌じみているといいますか、ニッチだったりマニアックな小手先感はありません。ほかのすぎやまさん×タイガース作品のなかにはそういう「ニッチだったりマニアックな小手先感」のある作品があるかのような言い方になってしまって、私は間違った表現をしてしまったかもしれません。西洋音楽をインストールした作家さんでないと、コレはなかなかやれないよねという感服させるものがあるのでつい誤解を与える表現をしてしまいました。たとえば『君だけに愛を』のカップリング(B面曲)の『落葉の物語』などは称賛の意味を込めて、西洋音楽をインストールしている作家性をふんだんに感じさせるものです。
『君だけに愛を』の話に戻ります。右にライドシンバルがチーンと鳴り、左でエレキギターが単音をずりあげるシンプルなモチーフで幕開け。一瞬オルガンか?と思わせる、ゆらめきを感じさせるボーカルハーモニー。楽曲全編にわたって、ハーモニーやオブリガードをメイン以外のボーカルで表現します。GSの熱量感、(花形メンバーがたとえいようとも)グループ:チームでひとつの熱量の高いコンテンツをつくるという態度がうかがえる楽曲のつくりだとおもいます。
右にドラムの定位が振ってあって、まんなか付近にベース、左にギターのストラミング。現代の音でこれをやると非常にアンバランスかもしれませんが、ドラムの音がひとつにまとまっており、質量感・重量感が「ベーシック」「土台」というよりは、アンサンブルの一部になじんでいるのでこれで良い。「低域を担当」というよりは、「リズム」面での役割を担う比重が、現代的なドラムのサウンドより、60〜70年代くらいのドラムのサウンドは重視しているのかもしれません。ビートルズを聴いても共通するところがあるかもしれませんね。
間奏の猛烈なギターの直前に編集点がある感じがします。テープを切ってつないだような感じです。これもまた味ですね。現代のコンピューターでの録音であれば、編集点は消え去り、決してリスナーにわかりえないような処理ができてしまうでしょう。時代性を思います(ここまでいっておいて、『君だけに愛を』の編集点は私の聴き違い:誤解かもわかりかねますが……)。
ギターソロのところはメインボーカルやボーカルハーモニーが影をひそめますから、器楽の熱量や質感がよくわかり、味わいやすい。ボーカルやサイドボーカルのいるところでは、かなり音が豊かで飽和しているくらいのボリューム感があります。質量感があってぐいっと出てくる存在感あるボーカルと、切り裂くような鋭いギターの単音トーンの対比が耳を刺激します。
”Oh, please oh, please ぼくのハートを 君にあげたい”
“君だけは 君だけは はなさない 手をつなぎ 二人でかける夢の世界へ”
“だから一度だけ 恋に抱かれた 君の君の あたたかいハートに タッチしたい”
(『君だけに愛を』より、作詞:橋本淳)
ことばもふくめて、器楽的なサウンドを確立しています。ある種の「臭み」や「ひねくれ感」「独創性」がない(歌謡曲的な「ニオイ感」「クサみ」みたいなものとはまた違った方向性の話です。ニュアンスが微妙で申し訳ありません)。ちょっとねじまがった根性でものを言うと「個性を無理に出そうとした感じ」がない。悪い意味での「はみだし感」「おさまりきらないきまりの悪さ」がなく、きちんと音楽の中に同化する、アーティストや作曲家のものすモノと調和する言葉を書くのが橋本淳さんの歌詞の良いところだと私は思っています。
器楽的なことば、というと、意味がわからんくて、子音や母音の特徴的で面白い響きをひたすら楽しむ方向性、むしろ意味がわからんからこそ独創的で良い、という方向性の「器楽的なことば」もあると思いますが、橋本淳さんの歌詞は、完全に音楽と同化して大衆娯楽を確立する、というのが私の感じ方であり、その作家性の魅力です。タイガースの個性とすぎやまこういちさんの楽曲を映えさせています。アーティストや楽曲の魅力を適確に抽出する「写真家」みたいな、あるいは料理人が素材の好ましくない臭みを消すスパイス・ハーブづかいや適切な処理・調理のような作詞だなとふと思います。これは稀有なことです。
青沼詩郎
ザ・タイガース ユニバーサル・ミュージック・ジャパンサイトへのリンク
ザ・タイガースのアルバム『世界はボクらを待っている』(1968)
『君だけに愛を』を収録したベスト『THE TIGERS 1967-1968 RED DISC』(2013)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『君だけに愛を(ザ・タイガースの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)