汽車の未来図は果たして。
汽車が見えたら なぎらけんいち 曲の名義、発表の概要
作詞:なぎらけんいち、作曲:アメリカ民謡。なぎらけんいち(なぎら健壱)のアルバム『葛飾にバッタを見た』(1973)に収録。
なぎらけんいち 汽車が見えたら(アルバム『葛飾にバッタを見た』収録)を聴く
アメリカ民謡になぎら健壱さんが日本語を載せた形でしょうか。この原曲となるアメリカ民謡がなんなのか私の安易なネット検索で特定できませんでした。CDを取り寄せてみたらブックレットで答えが見つかるかどうか(※CDブックレットでも“原曲:アメリカ民謡”としか分かりませんでした)。
見事に主調:Gのスリーコードにおさまるフォークソングらしいフォークソングです。
パンコロパンコロと坂庭省吾さんのバンジョーが軽快。
中央付近に主役が抱えて歌うようなフィールのアコギのストラミング、これは中川イサトさん。
ヴァースはリードボーカルが真ん中付近にいますが、コーラス(レスポンス)に突入すると真ん中のリードボーカルがいなくなり右に主旋律、左にハーモニーパート(+主旋律のダブ?)が開いて真ん中がすっきりした音像になります。
プレーンなピックベースが真ん中付近を支えます、村瀬雅美さん。ドラムレス編成ですね。アコギのストラミングとベースの竿物兄弟だけでどんな路上にも輪が生み出せるのです。もちろんリズムを強調する打楽器がいたとしてもよいでしょう。
右のほうから聴こえるフィドルは深井康雄さん。暖かく素朴な音色です。ヴィオラかと思えるくらいマイルドで耳触りが紳士な音色ですね。
ボーカルは全部で何本入っているのかしら。場所により最大3声になっているでしょうか。各パート少なくともダブルにはなっている風に聴こえますので最低でも6人分に相当する声、あるいはもっとか(※CDブックレットによれば、なぎらけんいち、加川良、シバ、高田渡、村瀬雅美、田代友也、福岡風太、坂庭省吾、中川イサト、若井宏、野津手重隆、矢島たかしがクレジット。12人分のバックグラウンドボーカルでした)。
やわらかくマイルドな録れ音のスライドギターはDobro(ドブロ)ギターで、中川イサトさんの演奏です。リゾネーター・ギターともいうでしょうか。パツパツ・ペシペシと詰まったような独特の反響の仕方の音色が特徴の楽器。ギターのスライドプレイの音色はアコギのボトルネックか、弦が横に寝ている本格的なペダルスティールタイプかで大きく分かれると思いますが、リゾーネーター(ドブロ)系の金属室なボディの音色というのもひとつあると学びました。
鉄格子の中で望む星
あの汽車の光に当たれば この僕は自由になれるんだね この冷たい鉄格子ともさ 永遠におさらば出来るんだね
汽車が見えたらね 呼んどくれ
汽車が見えたらね 呼んどくれ
汽車が見えたらね 呼んどくれ
汽車が見えたらね 呼んどくれ
『汽車が見えたら』より、作詞(訳詞):なぎらけんいち
ブタ箱(口が悪い)に入っている囚人の歌でしょうか。汽車のライトが自分を照らすのは刑期の終わりを迎えることの表現でしょうか。果たして永遠におさらばといけるのでしょうか。前科者の再犯率は、一度も犯したことのない人と比較すると高いといいます。どうか社会復帰してそのままでいてくれよ。
“汽車が見えたらね 呼んどくれ”と、どこか受け身なのが気になります。
もう縛り付けられるのはいやだから 一歩でも外へ出たいんだな 窓から見えるあの星の 下が母ちゃんの家のあたり
あの汽車がやって来たらさ この僕も自由になれるんだね でも もし寝むってしまったらさ 汽車が見えたとき呼んどくれ
『汽車が見えたら』より、作詞(訳詞):なぎらけんいち
故郷を望むともなく望みます。あの星をランドマークに、間接的に故郷を望むさまがひたむきでひもじい。
鉄格子の中で命尽き果ててしまう無念を思わせるのです、私に無性に。どこか受け身なのが気になると書いたのはこのためです。
「寝むってしまったら」はまさに、永遠の眠りについてしまったら自分ではもう「汽車」の迎えに気づくことができないので呼んでくれよというメッセージ。
故人の名前も「呼ぶ」ことができます。返事が得られるかは別として。
青沼詩郎
『汽車が見えたら』を収録したなぎらけんいち(なぎら健壱)のアルバム『葛飾にバッタを見た』(1973)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『汽車が見えたら(なぎらけんいちの曲)ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)