映像 NHKホール ライブ
井上陽水の歌唱はスムースです。控えめのアタックからダイナミクスが艶かしく流れ込んできます。滑るよう、なめらか。アコギの音はワイド。空間系のエフェクトがかかっているのか、12弦のような広がりです。シンセサイザーのカドのまるい音がオブリガードします。サビは重いビートになります。怨念、執念のようなものを感じるグルーヴです。
曲の名義など
作詞・作曲:井上陽水。井上陽水のシングル、アルバム『氷の世界』(1973)に収録。
歌詞
上京していった主人公と、地元に居残った「あなた」の物語りでしょうか。「手紙」「見飽きる」「季節」「埋もれる」「あなたを変える」といった単語たちが曲想を伝えます。
“さみしさのつれづれに手紙をしたためています あなたに 黒いインクがきれいでしょう 青いびんせんが悲しいでしょう”(『心もよう』より、作詞:井上陽水)
手紙をしたためています、あなたに…… 倒置が効いています。のちの「黒いインク」につづいても聞こえます。「手紙を、あなたに」とも、「あなたに、黒いインクが……」とも聴こえるのです。「あなたに黒いインク」というひとつづりには、あなたへの怨念めいた愛情のようなものを感じます。
びんせんが示す、筆記のためのガイドラインが「青いびんせん」でしょうか。紙自体が青いのではなく、なんとなく、私は罫線が青いのかなと想像しました。たち消えてしまいそうなはかない罫線の青が、主人公の心情に重なるのではないでしょうか。離れた「あなた」への思いを募らせると同時に、主人公が思いを寄せる「あなた像」と、実際に離れて暮らす「あなた」の現実の姿は、だんだんかけ離れていくのではないか? 主人公の認識のもろさといいますか、主人公はあなたの現実をそんな程度のレベルでしか把握できない無力さが、びんせんの青に映り込んでいるように思えます。
“あなたの笑い顔を不思議なことに今日は覚えていました 19になったお祝いに作った歌も忘れたのに”(『心もよう』より、作詞:井上陽水)
何かを祝うには19歳は半端でしょうか。20歳のほうが、盛大に祝ってもらいやすそうですし、自分としても特別な心持ちがする気がします。でも、ここでは、作った歌というのは、19歳になったことへのお祝いなんだそう。それは忘れてしまうのに、あなたの笑顔は覚えていた、と。それも、「今日は」です。昨日や明日だったら忘れていたかもしれないのに、今日はあなたの笑顔が思い出される……確かに、ずっと忘れていたし、気にも止めていなかったことが急に思い起こされることってあります。
主人公にとって「あなたの笑顔」は大事なものだと想像するのですが、一方で、「青いびんせん」が示すような、はかなく、もろい虚像に近いものなのかなとも思わせます。あなたへ濃密に思いを通わせた当時が19歳頃のことだったのかもしれません。19になったお祝いは果たして、主人公が19になったことのお祝いなのか、あなたが19になったことのお祝いなのかわかりかねます。同い年だったり、誕生日が近かったりしたら、そのあたりの観念も非常に漸近したものかもしれません。
“遠くで暮らす事が二人に良くないのはわかっていました くもりガラスの外は雨 私の気持ちは書けません”(『心もよう』より、作詞:井上陽水)
手紙に託せる本当の思いというのもありそうです。主人公は、ありのままの気持ちをあなたに伝える手紙を書き続けたのかなと思いましたが、ここでそれも崩されます。「私の気持ちは書けません」これはどういうことでしょう。
人間の考えや思い、気持ちは、文章にしたら嘘になってしまいます。言い過ぎかもしれませんが、媒体を変えてしまうことで、本当のありのままの姿はねじ曲がってしまうはずです。私や、あなたの思いや心情、気持ちといったものは、ことばや、ほかあらゆる媒体によって、「それに近いらしいもの」を誰かと共有することは叶いますが、本当にありのままをそっくり心にAir Dropしたみたいには共有できないのです。
「私の気持ちは書けません」がそういう事を言っているとも限りません。ただ単に、本当の気持ちをありのままに書くのを邪魔する心が同時に主人公の中に存在する……ということなのかもしれません。手紙を書き続ける惰性を守ろうとする気持ちと、あなたとの別れが本当は望ましいのではと考えている気持ちが同時に主人公の中に存在するのでしょうか。短調の響きがそれを私に想像させるのですが、主人公にとっての真実はわかりません。媒体の壁が、真実の共有を阻みます。
“さみしさだけを手紙につめて ふるさとにすむあなたに送る あなたにとって見飽きた文字が 季節の中で埋もれてしまう”(『心もよう』より、作詞:井上陽水)
本当の気持ちや意思は手紙にしたためられず、そこに宿るのは「さみしさ」だけなのかと思うと猛烈に胸が裂ける思いがします。冗長な繰り返しは、やがてそこから情報を得ようとする意識を奪います。良くも悪くも、おなじアクションへの慣れは、付随する思考を奪うのです。主人公の手紙は、あなたにとって、関心の外側のものになっていやしまいか。時間の経過と心変わりを描きます。それは静かに、まるで世間が、姿を消した芸能人を忘れ去るみたいに非情で滑らかです。
“あざやか色の春はかげろう まぶしい夏の光は強く 秋風のあと 雪が追いかけ 季節はめぐりあなたを変える”(『心もよう』より、作詞:井上陽水)
「あざやかいろの」「春はかげろう」。「ろ」の反復の韻が響きます。「秋風のあとを雪が追う」という表現。季節の推移、景色のうつろい、時間の経過を、雪が能動的に行動したかのように映しとっている機微があります。最後のワンセンテンス、「季節はめぐりあなたを変える」が無情です。変わるのは適応すること。そうなることが、その人にとって良いこととも言い切れません。ただ、世界でうまくやる術にはなるでしょう。やり過ごしかもしれません。あらゆるものが、うごめき、変わり続けていきます。
青沼詩郎
『心もよう』を収録した井上陽水のアルバム『氷の世界』(1973)
ご笑覧ください 拙演