今日の私はキゲンがいい HALCALI 曲の名義、発表の概要

作詞:福里真一、作曲:櫻井映子・平野航。HALCALIのアルバム『ハルカリノオカワリ』(2012)。E hyphen world gallery(イーハイフンワールドギャラリー)CMソング(2011, 2012)。

HALCALI 今日の私はキゲンがいい(アルバム『ハルカリノオカワリ』収録)を聴く

この曲がバックで流れるテレビコマーシャルに見覚えがあります。広告主のブランド名の“イーハイフン(ワールドギャラリー)”の言い方が独特で、外国の人が日本語をカタコトで棒読みしたような、なんともいえないたどたどしさ。そのナレーションの記憶と、“今日の私はキゲンがいい それはあんたとはカンケイない 新しい服着てるから”(作詞:福里福里真一)という歌詞のフレーズ。

ファッションには季節にあった体温調節やすごしやすさをもたらす機能面、健康・衛生面での役割があります。それから精神衛生。この服を着ると気分があがるといったように、モチベーションにも影響を与えるでしょう。

自分の思想や行動を補強したり、そうしたベクトルと足並みをそろえるデザインとしてのファッションもあります。たとえば1950年代のアメリカのジャズミュージシャンを敬愛し、その人まわりの作品を強く意識した新しい曲を発表するアーティストが現代にいるとしたら、その作品をプロモーションするときやまさに発表するそのときに、1950年代のジャズミュージシャンがいかにも着そうな衣装を選べば、「コイツは何か思想があるな」と現代の人が見て、己のアンテナでキャッチし関心を持ってくれる……かもしれません。

表現を仕事にする人にとって(あるいはそれ以外の人にも広く及んで)服飾はまさに表現の一部なわけです。

服を着て他者の視線を浴びることを直接仕事とするわけでなくとも、先に引用した歌詞にあるように主観的に服を着る人自身の気分を左右したり増強したりするわけです。その人と、会ったり一緒に仕事したりお茶したり遊んだり、特に接触しなくても同じ街を行く人や移動中の電車やホームにいる人の目に入ったりするだけでも他者に大なり小なり影響を与えるわけです。服は、歩く広告ですね。それの広告を任されたタレントなりイメージキャラクターでなくとも、ユーザー・消費者自身が広告を手伝っているのです。

そんな服についての思案や雑感を私が起こすきっかけをくれる“今日の私はキゲンがいい それはあんたとはカンケイない 新しい服着てるから”(作詞:福里福里真一)という歌詞のフレーズが、たった15秒とかそれくらいのテレビCMが、私の記憶にとどまり大なり小なり、思考を生じさせる程度に作用・影響するのです(これってすごいことだなぁ)。

HALCALIのまっすぐな発声の歌唱が歌詞を、いつもの街でいつものルーティンをしようとする今日の人々の頭上に降り注ぎます。つじあやのさんやPUFFYなどの歌声を思い出させもします。

左右からリズムのストラミングの歪んだギターがみゃんみゃん鳴きます。ベースはまっすぐに8ビートのストロークを連ねます。ポジションを上がったり下がったりして歌うように、機嫌がいいことを謳歌するようにビートと高揚感をリードします。実直なドラムスがそれについてくる。時折タム回しのフィルでアクセント。シンプルな編成で厚みのあるサウンドを支えるのはオルガンでしょうか。前面にいる!という感じではないのですがエンディングに残ります。

同じリードボーカルメロディをユニゾンするサビ。最後のサビの直前になってCメロ的な部分が初登場し、ボーカルメロディもユニゾンでなくハーモニーになり次の景観のドアを開くようです。

ⅤmやⅣmのコードづかいが奥田民生さんの作る曲みたいなフィールがあります。余計に私にPUFFYを思わせる所以かもしれません。

服について考えさせたり、関心をうえつけるコマーシャル・メッセージソングです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>HALCALI福里真一

九ちゃん(愛称で失礼)が歌った名曲『明日があるさ』を2000年代初頭の世に沿う言葉でカバーしたウルフルズ『明日があるさ(ジョージアで行きましょう編)』を手掛けたのも福里真一さん。

参考歌詞サイト 歌ネット>今日の私はキゲンがいい

HALCALI ソニーミュージックサイトへのリンク

『今日の私はキゲンがいい』を収録したHALCALIのアルバム『ハルカリノオカワリ』(2012)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『今日の私はキゲンがいい(HALCALIの曲)ギター弾き語り』)