まえがき

くるり、築地ジャムに出る

くるりが築地ジャムなるイベントに出演(2025年4月19日)。食とJazzを謳う変わったお祭りにみえます。変わったというか、視点が粋。築地本願寺で開催というクサさがエキセントリックです(クサいというのは趣向が深いという意味の私なりのホメ言葉)。世界の音楽がカクテルされた、土着のレイヤーに滲みほどばしる演目が各アーティストから飛び出すのではないかと期待を膨らませる私(開催日より前にこの記事を書いています)。くるりはどんな曲目でお客さんを迎えるのでしょうか。2024年秋にDaniele Sepeクルーとの共同で制作された楽曲『La Palummella』あたりをやってくれるのではないか。あるいはJazzのフィールもふんだんに感じられるアルバム『天才の愛』の収録曲のいくつかなど聴けるのではないかなどと想像を巡らせる私。

くるり & Daniele Sepe『La Palummella』はリリースしてまもなく、あるいはそれ以降のくるり出演のラジオ番組Frag Radioなどでも度々オンエアを聴いていますし、一度この私のブログサイトでも取り上げたことがありますが改めて意中に上がります。

La Palumella 曲の背景、文脈について外国語のWikipediaとWeb翻訳に頼ってみた

『La Palummella』は『Palummella zompa e vola』のタイトルで扱われている事例もあることに気がつきました。すると、その曲名で外国語のWikipediaページがあります。英語ならまだがんばって読めないこともないが……どうやらイタリア語です。これはWeb翻訳に頼ってみることにしましょう。

翻訳したWikipedia(伊)ページによれば楽曲『Palummella zompa e vola』は“19 世紀末の匿名のナポリのポピュラー ソング”と概要され、さらに“1766 年にナポリで上演されたニッコロ ピッチーニのコミック オペラ「ラ モリナレッラ」のブルネッタの登場人物によるアリアに影響を受け”などと続きますが“このニュースは文学界で比較的広く広まったにもかかわらず、コミックオペラの音楽もピッチンニのオペラの歌詞もこの曲を思い起こさせません” “オペラ中でブルネッタが歌う唯一のアリアは第1幕第5場「Vuje sapite」であり、曲とは何の関係もありません”などと綴られます……んモウ、なんなんだ。

“歌詞と音楽から人気曲を生み出したのは、オペラ「コム・ダ・ロ・モリーノ」のもう一つのアリア、第1幕第2場でしょう。 1783年にラヴェンナ市立劇場で演奏されたジェンナーロ・アスタリータの「ラ・モリナレッラ」のメロディーの起源の可能性を検証する必要がある” “現在歌われているテキストは1869年にドメニコ・ボロネーゼのものとされていますが、確かな証拠はありません。別の作者は、ジェンナーロ・アスタリータの「ラ・モリナレッラ」のメロディーを取り入れて 1873 年にテキストを作曲したテオドロ・コットラウである可能性があります。いずれにせよ、現在のテキストに先行する以前のテキスト、または風刺的および政治的なほのめかしを含むテキストは失われています。これは、恋人が蝶を招き、恋人に挨拶をし、お祝いをした後、代わりにキスをするというラブソングです。したがって、この曲は、恋人の物理的な不在または恋人と連絡を取ることができないことが強調された詩的なテキストであり、歴史上のあらゆる弾圧によるナポリの亡命者の歌に容易に適応することができました”などとも書かれます。文脈が深い……。起源の古い曲がさまざまに要素を足し引きされるなど、後年にリメイクされたりアレンジされたりを繰り返すうちに変容し、現在知られる形とは違ったり、複数のバージョンが生まれたりすることも世のパブリックドメイン曲において珍しい事例ではありません。またメロディを踏襲しつつも歌詞の内容をがらっと変えてしまえば……たとえば重く沈痛な反戦歌さえも、ときにはカーディガンを羽織るようにライトな恋の歌になることもあるでしょう。

“この曲は、18 世紀末から 19 世紀後半にかけての出来事の中で、歌詞に大きな変化が加えられ、単為生協和共和国、1820 年から 1820 年と 1848 年の蜂起、そしてイタリア統一に反対して南部の一部地域で勃発した内戦の両方からのナポリ亡命者のための愛国的な歌としての価値をこの曲に与えました。実際、パルンメラの原文『ゾンパ・エ・ヴォラ』はイタリア王国に対する風刺となり、不当な征服とみなされたものの余波で失われた南部の自由を嘆くものとなった”とも書かれています。Web翻訳機の精度の如何かはわかりませんが……。蝶のひらひらとかろやかに舞うさまは、自由を願う人や、理想と現実の乖離に苦しむ人の願いを映す象徴にもなるのでしょう。

“zompa e vola”は実際、パルメッラに歌われる歌詞の一部です。これもWeb翻訳に流し込むと、「高く飛ぶ」というような結果が出ますが果たして……イタリア語としての翻訳結果ですが、もともとナポリ語ならニュアンスが違うのかどうか。

想い人とはなれてしまう悲しみやせつなさ、恋しさ、侘しさと、理想や自由を願う気持ちとの間のはかりしれない距離はさながら土と空。それは古今東西、万人の普遍でしょう。あるいは個人の身辺問題を越えて、国家や部族間の問題などの比喩にもなりうるようか。普遍的な歌詞の具体物には、代入が効くのです。

野村雅夫さん協力による日本語歌詞

くるりとダニエレ・セーぺの『La Palummella』の日本語歌詞の制作に全面協力したのが野村雅夫さんです。彼のはてなブログサイトに、関連する話がつづられているのを発見しました。“La Palummellaについて、セーペかく語りき”。

野村さんと岸田さんの間で参考音源として交わされたのがSergio Bruniのパフォーマンスだったようです。また野村さんのこのブログ記事ではくるりとダニエレの『La Palummella』のアレンジ面から想起することなど、野村さんの知見による関連づけがなされたいくつかの楽曲を参照しながら書かれており、私が未踏の世界の音楽への切符をくれます。

上記の野村さんのブログ記事とは関係なくですが、以下に今回あらためてLa Palummellaについて検索していて私が接触したいくつかの参考音源をリンクしておきます。

Vittorio Bonetti『Palummella zompa e vola』

Stefano Albarelloの『Molinarella: Palummella』

クラシックとして。民謡として。大衆のはやり歌として。数世紀に渡り、いかにラ・パルメッラ(蝶)が扱われてきたかを窺い知る参考音源はこれ以外にもまだまだあるはずです。

La Palummella くるり & Daniele Sepe 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:不詳あるいはパブリック・ドメイン。くるり & Daniele Sepeのシングル(2024)。日本語訳詞協力:野村雅夫。原曲はナポリ民謡。

くるり & Daniele Sepe La Palummellaを聴く

外国のはやり歌を日本語に翻訳して歌詞をつけなおし、すばやくカバーして日本国内でのヒットを狙うというのはたとえば昭和時代……ざっくり1950年代〜1960年代くらいにも日本の商業音楽に多くみられた手法ではないかと思います。ジャンルも幅広くて、ロック・ソングもあれば歌謡曲の海外版というのかいわゆる大衆歌もあればシャンソンもあればジャズもあれば……と、とにかくなんでもネタにして売ってやろうという在りし日の商業音楽界の姿勢にある種のたくましさすら私は覚えます。

2020年代半ばの現代(この記事の執筆時:2025年)で、百年どころでない昔の外国の歌に日本語の歌詞をつけて日本の商業音楽の土俵でバットをふるう表現者の筆頭などくるり以外にありますでしょうか。商業音楽ととりあえず冠しましたが、反射的にこなす刹那のビジネスの範疇を凌駕するアティテュードは100年でも300年でも……世紀単位の尺度感覚で霧に紛れそうな観念のアウトラインを描写している感じです。クラシックとして長く残る音楽とて、いまこの瞬間のパトロン、オカネをくれて生活を保証してくれる特定の個人をよろこばせるために書いた音楽とか、近々に開催される劇場での歌劇の興行をお客さんでいっぱいにして満足させて帰すための劇伴音楽とか、そういったある種の「現金さ」を背景に含め入れた作品が数多残っていると思うので、商業音楽だとか芸術音楽だとかいうあとづけのレッテルは、それこそ長大なものさしでものごとを(音楽の歴史を)見渡す限り、あまり意味のないもの(些事にすぎない)かもしれません。

現金さ、などと云うと皮肉っているみたいかもしれませんが、つまり誰かがよろこんでくれる、心に滋養を湧出させてくれる、もっと平易にシンプルに云うと集団が価値を感じてくれる・評価してくれるものをつくることが音楽家の使命でもあります。作品を世に放つ判断基準として、まずは表現者自身が自信を持って価値を保証できることも重要でしょう。

嫌味な言い方で私は嫌いな語彙(単語)ですが、ぺったぺたにコンプして(潰して)いうなら「自己満」も大事です。まずは己個人すら納得させられないようなものが、集団を満たすことができるか? というロジックが常に私の中にはあります。自分にとっても後年に渡る学びを注いだ作品だと胸を張れるし、他者も同意してくれて価値を感じてくれて、なんなら消費行動(オカネを使う)というかたちで歓迎してくれる。そんな世界線こそが音楽家、表現者にとって望外の(いえ、まさに望みとする)奇遇です。

その逆ってあるのかしら。己は自分自身の作品に疑念ばかりなのに、消費者は歓迎してくれて、実際に収益につながるなんて皮肉な運命もあるのでしょうか。あるのかもしれないけれど、稀なことなのか。私の実体験とは程遠い、おぞましい世界です。これは凄いものになるぞ! 希望に満ちたという好奇心こそ、作品を完成に導く遠く厳しい道のりを踏破する原動力だと私は考えるからです。

話を『La Palummella』に戻します。くるりの目線には私が思うに、先にも述べたように150年でも300年でも(あるいはそれ以上でも)振れ幅のある縮尺を自由に行き来する広い視野を感じます。ユーザーのその時の身上次第では、広い視野が己の身の周りの大小の問題の解決に接続する道筋がわかりにくいかもしれません。正直、2024年の秋にくるりとダニエレの『La Palummella』が世の中に投下されたとき、SNS上の反応(刹那的な反射)などみるに、その作品の深淵な内容に戸惑ったファンもいくらかいたように私の目には見えました。それは、「きのう・今日・あす三日」くらいのスケール感からしたらバグってしまったみたいな視点の広漠さに幻惑されてのまっとうな反応だったのではないかと察します。

でも人間は、大小の問題の具体的な内容やディティールはその時代・その人の環境・条件によってテクスチャがさまざまだと思いますが、それらをクリアして(サスペンドして)どうにかこうにか現代に命の鎖をつないできたのです。

思いが余ってつい話が飛躍してしまう私。

ナポリの伝統的なリズムなのでしょうか、フライパンみたいにばかでかいタンバリン……といわくつきの膜鳴・体鳴楽器によるミニマルなリズム形の提示・反復を伴って、半裸で民謡を踊る部族の新鋭のごとく岸田さんのリードボーカルが主題・主旋律を提示します。

そこから圧巻の管楽器の舞いはまるでざばざばと海溝になだれ込む紙吹雪の如し。ミニマルなモチーフが折り重なるように、間断なく波状に押し寄せます。クロワッサンだかミルフィーユみたいに、各層を縦横無尽に渡ってバトンを渡しあい、一帯の暁光を眺望します。

くるり & Daniele SepeLa Palummella』提示部以降序盤付近のトップノートの素描例。モチーフの断片や対旋律の応酬で各フロアを構築。多層な横の流れで幻惑しつつ、縦に見た時でも和声進行の秩序を前提とした骨格があります。訓練された緻密な感性・経験知にしたがって景色が明滅する、流麗で情動の深いモニュメントです。

私は息をつく暇もないくらいに次々にカットを見せられて、どんどん舞い上がり銀幕に吸い込まれてしまいます。単独の線の動きであらば一食分のお盆に乗るでしょうが、種々の管楽器が入れ替わり立ち替わり正面に立っては次の質感とバトンタッチして表層が次々に代謝する。多声音楽的というのか、対位法的というのかメカニカルなアプローチにも思えます。

一方で、その根底にあるのは実にシンプルに感情、人の情動です。くるりとダニエレはいずれも芸術家かつ音楽家でしょうが、実にフラットに、土地に住む群衆と同じ地平に立ち、肉体と一帯の心を持つ人間なのだと……人がつないできた鎖と、そのヨコの線の織り重なりが潮流をなす土俵、ふるさとのサーガよ。

リズムはタンバリンがリードする冒頭の印象が卓越しますがイントロデュースを消化するとマーチング・バンドのようなリズムセクションが活発で勇壮な印象です。いわゆるドラム・キットでなく、小太鼓・大太鼓・合わせシンバルの格好を思わせます。ズン、と深い地鳴りのようなバス・ドラムよ。

右のほうでトランペットがパッパッ……とリズムと和声を描きます(ベーシックパートに潤沢に動員される管楽器よ!)左のほうでは猛烈に、しかし軽やかな16分割でフルートが舞い狂う。まるでシジミ蝶でしょうか。対して、ボフっと低音を担うチューバの巨体の貫禄よ。あたたかく緩慢に音色を立ち上げるキャラもひとりやふたり、酒場にいてほしいもの。

くるり印と私が思うのがのびやかでエッジーなエレクトリックギターの弦鳴。湧き上がるように、ボーカルメロディに、管楽器のアンサンブルに勇ましくカウンターします。君がそう来るなら俺はこうだよ。俺はこういったる!君はどう出る? 問い、応えるエレキギターが圧巻です。

4コーラス目にさしかかると「落ちメロ」とでもいうのか。岸田さんのバックグラウンドボーカルが繊細な響き。勇壮な管打楽器のハイライトから一転、火力を間引き真摯な面持ちで幻の蝶の軌道へ誘う。私の目線も宙を漂います。マイナー・メジャーセブンス、マイナー・セブンス、マイナー・シックスとひらひら・くいくいと弛緩する和声に、四肢につながった糸で舞い踊るマリオネットを幻視。雑踏で足を止めてフレームのなかに釘付けになります。

先にも述べましたがこの悠久の民謡を『Palummella zompa e vola』のタイトルで扱っている実演もあるようです。エンディングで初めて立ち現れる女声による歌詞が、おそらくこのフレーズではないでしょうか。Palummellaは蝶の意味ですし、zompa e volaを翻訳機につっこむと高く飛べ、みたいな翻訳結果が出ますが……ナポリ語としての実際のニュアンスはどうなのかわかりません。

マンドリンがパキパキと歯応えの質感を描き入れます。複弦の隙間に涎が伝っちゃいそう。

途中、短く強いミュート感のトレモロピッキングなのか、ピキピキティキティキ……と貞子が喉をプチプチ破裂させてるときの音にも似た……あるいはトクトクとグラスにビールが注がれ泡が持ち上がっていく映像を演出する効果音みたいなミステリアスな音、これも竿物のサウンドなのでしょうか。

リズムセクションを遠くにみるエンディングで女声、マンドリン、バックグラウンドボーカルと身軽なパートがはらはらと風に流れるシルクのようにほつれ、衣擦れして土と空に溶けていきます。

幾世紀も前からやってきた蝶の軌道に見惚れる私。

青沼詩郎

くるり 公式サイトへのリンク

ダニエレ・セーぺのWeb Site

くるり & Daniele Sepeのデジタルシングル『La Palummella』(2024年10月11日)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『La Palummella(くるり & Daniele Sepeの曲)ピアノ弾き語り』)

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