100メートルにも満たないような通り一本沿いで共生する地域の商店会が開催する小さな夏祭りもありますし、広域に及んで圏外から観光客が押し寄せる伝統的な一大イベントとしての夏祭りもあるでしょう。夏は祭りの季節です。祭ったら、終わってしまいます。祭りの最中に、すでに終わることを想ってせつなくなりもします。

準備が本体なのです。祭りが計画通りに本番当日が消化されていくのは文字通り消化試合なのです。もう結果が決まっているのです。準備の段階でその採点が済んでいるのです。

もちろん、当日何が起こるかわかりません。予想以上にお客が来てくれてとんでもない盛り上がりになったとか、その真逆もあるでしょう。雷鳴や豪雨で開催できないかもしれません。非情なものです。

まつり 赤い鳥 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:後藤悦治郎。赤い鳥のシングル、アルバム『美しい星』(1973)に収録。

赤い鳥 まつりを聴く(アルバム『美しい星』収録)

赤い鳥の音楽を聴き直すといつも感心します。聴くたびにその瞬間の私の音楽になってくれるのです。私にとっての現在性を生ずるのです。

イントロのストリングスがBEGINの『恋しくて』を思い出させます。2本のアコースティックギターが輪を掻き立てます。声のハーモニーが後半に厚くなります。ハーモニーはもちろんですが、「まつり」らしく、単純に同じ旋律のユニゾンがキモです。男声と女声のオクターブ違いなども響きを壮麗にします。

シンプルな部品で成り立っているのに音楽的な起伏を与えているのは転調がひとつあるでしょう。Aメージャーで最初のコーラスを歌い抜けると主和音から全音さがったCメージャー調の属和音を蝶番にしてCメージャーキーで間奏が幕を開けます。Aメージャーキーから短3度上がったキーに変わるのですね。シャープ系の調合がはずれてオールナチュラルのCキーへ。まつりがおわって、真っ白になる。「朝」の観念を思わせる転調です。

夕日は 遠くに 落ちて行ったよ 小鳥はねぐらに 帰って行ったよ うかれた 街に 踊っているのは お面をかぶった 役者だけだよ

まつりは もうすぐ 終ってしまうよ サーカス小屋の 灯りも消えたよ

赤い鳥『まつり』より、作詞:後藤悦治郎

これで全文。奇数のまとまりで円環状にゆらめくねっとりとした粘度あるビートにのせて歌う言葉は、語句や行の数にしてしまうととても短いのですが私が想起するまつりの前後の時空、準備と事後、過去と未来は永遠に思えます。

演者ばかりが踊っているのは皮肉に思えますが、街自体がうかれてもいるので踊っているかうかれているかどちらもどっちです。あなたが浮かれるなら私は踊ってみせよう。私が踊るからあなたはうかれるのかもしれません。どちらが先なのか。興奮があるからまつりが起こるのか、まつりがあるから興奮が起こるのか。

サーカス小屋の灯りが消えれば、やがてまたねぐらにいた小鳥たちが歌い出すのです。

そういうえばこの素晴らしい音楽グループの名前は「赤い鳥」ではないですか。自分たち自身を比喩した楽曲と読んでみる。1970年代に発表された小鳥たちの素晴らしい歌は、夜になってねぐらに帰っては、朝を迎えて私の耳にさえずりを届けます。夜は収納、帰宅の象徴。朝は再生の象徴です。

繰り返し、生きているのを思わせます。

拍手の音が収録されています。自分たちをねぎらう拍手でもあるでしょう。まつりに至った功績をたたえる拍手でもあるでしょう。新しい朝を迎える拍手かもしれません。8888888(パチパチパチ)……

赤い鳥『まつり』コード・メロディ採譜例。ゆったりしたテンポとビート。メロディの音価もゆったりしていますが、メロディの上下はなかなか大柄で華やかな運動があります。お面を被った役者の演技のように、魅せようとする意志を感じる美メロディです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>赤い鳥 (フォークグループ)

参考歌詞サイト 歌ネット>まつり

赤い鳥 ソニーミュージックサイトへのリンク

『まつり』を収録した赤い鳥のアルバム『美しい星』(1973)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『まつり(赤い鳥の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)