数多の恋が私を通り抜けたら
人格は人の数だけあるわけですし、数多の人格が個人のなかを通り抜けて、入れ替わったり、時に同居したりすることもあるでしょう。
恋をしている最中の人格がある個人のなかにいれば、数年してみるとその頃の恋を距離の生じたところから眺める人格がその個人のなかにいるわけです。あるいは燃え残ってくすぶりつづける恋を長く宿す人格、などというのもある個人の中に棲んでいるかもしれません。
人生の歩み、ライフステージとともにその人の有する主たる人格は代謝し、変化していきます。代謝というといなくなってしまうものがあるかのようですが、表層で支配的になっている人格が入れ替わっていくというだけで、胸の奥深くにはある頃の人格も、解体や再構築を経てずっと潜んでいるに違いないとも思います。
初めての恋を経験する前の人には、初めての恋を経験している最中の衝撃を歌った歌を自分のことのようには思いづらいでしょう。燃え上がった恋の希望がグシャグシャに潰えた悲しみを歌った歌は、そうした失恋を経験していない人には想像しがたいのも同様かと思います。
16歳くらいの若い女性の人格として歌われたのが麻丘めぐみさんの楽曲『芽ばえ』であるように表面的には察せられますが、歌の中身をじっくりみるに、意外と後年に顧みているかのような視座があることにも気づきます。あどけなさ残る年頃の歌手に、老成した精神性を反映した歌詞や曲想を実演させるイメージの振れ幅・差異(ギャップ)によって生じるおかしみも当然のことながらありうるでしょう。
ある意味、人格は人の数以上にあるわけですし、共通する人格を複数の個人が共有していることもあるわけです。その神秘や不思議が数多のラブソングを生み続ける資源と熱量になっているのでしょう。
(参考資料:『BRUTUS』1041(2025年11月1日)号 “特集 ラブソング” “愛を歌うときは” 小西康陽 38~39頁)
芽ばえ 麻丘めぐみ 曲の名義、発表の概要
作詞:千家和也、作曲:筒美京平、編曲:高田弘。麻丘めぐみのシングル、アルバム『さわやか』(1972)に収録。
麻丘めぐみ 芽ばえ(アルバム『芽ばえ』収録)を聴く
残響がすごいんです。幅のある時代に複数の人格がまたがって、それぞれがクロスして、影響しあいながら、その瞬間のその個人の総合的な人格を決めている……そんな思考を喚起する、深く長いリバーブが、ボーカル、ストリングス、クロマティックハーモニカ、フルートなどに作用し、壮麗で巨大な音響空間を成しています。
対してドラムとベース、左右のアコースティックギター、左サイドのクラヴェス、マリンバなどはドライな(リバーブ効果が薄い)印象のくっきりしたサウンドになっており、画面(ステレオ)のなかにコントラスト、濃淡や強弱をもたらしています。
右のギターは思ったより分割が細かい。フォークソングのスリーフィンガー、ギャロッピングみたいな達者なプレイです。コーラスのところでコチコチっと短く愛嬌のある響きでクラヴェスがリズムを添えます。マリンバとフルートが時に、リズム形や音程をシンクロして合いの手を添えています。編曲は楽曲の方向を決める要。ここでは歌手・麻丘めぐみさんの凛々しさや愛嬌を引き立てるために必要十分な動きや奥行きを背景あるいは主人公を包むように周囲全面にて空間を演出する妙があります。編曲者は高田弘さんです。
平行世界どうしが窺い知れたとしても(歌詞の考察)
“もしもあの日 あなたに逢わなければ この私はどんな 女の子になっていたでしょう 白い薔薇の匂いも 鳥の声も まだ気付く事なく ひっそり暮らして いたでしょう”(『芽ばえ』より、作詞:千家和也)
あなたに出会わなかった未来(現在)とあなたに出会った未来(現在)を厳密に比べることはSFです。人生は一本道で、パラレルワールドが分岐していたとしても両者が交わることはない。交わらないから平行なのです。
さて、分岐してしまった、あなたに出会わなかった平行世界の「私」は果たして、薔薇のほのかな香りや鳥の声の精緻なわびさびをとらえる感性のないままでいるのでしょうか。そうした幸せを感じるセンサーがごっそりとないままに、穴のあいたように平行世界の私は過ごすのでしょうか?
そんなことはないはずです。きっと、分岐した平行世界における「私」も、現在の(現実の)「私」があなたに出逢ったのに相当するような時間や機会の運をつかって、何かの感性や幸福の資源を獲得していたのではないでしょうか。仮に平行世界同士がおたがいを窺い知ることができたとしたら、「あなたに出逢うことができた今の私が嫉妬するほどにうらやましい私」が平行世界にはいるかもしれないよ。
いえ、私がいじわるだったでしょう。自分にないものをねだるのではなく、そこにある白い薔薇や鳥の声の機微に美しさや幸せを見出す感性を獲得した現実の主人公「私」であらば、きっと平行世界の「私」がどんな風になっていても、「それも素敵ね!」といえるに違いありません。私もそうありたいものです。
青沼詩郎
参考Wikipedia>芽ばえ(曲)、さわやか (麻丘めぐみのアルバム)
『芽ばえ』を収録した麻丘めぐみのアルバム『さわやか』(オリジナル発売年:1972)。ジャケット写真のロケ地は井の頭恩賜公園だそうです。
『さわやか+あこがれ(2イン1)』(2002)
参考書
BRUTUS(ブルータス) 2025年 11月1日号 No.1041 [ラブソング]
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】数多の恋が私を通り抜けたら『芽ばえ(麻丘めぐみの曲)』ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)