中間色の虚空
作詞が三浦徳子さん、編曲が大村雅朗さん。このおふたりはたとえば松田聖子さんの『青い珊瑚礁』を担当したおふたりでもあります。本曲の作曲が八神純子さん自身です。
探偵ものか刑事ものドラマがはじまりそうな勇敢な曲調。16分割のフィールでサンバのように躍動し、かつブラジル音楽が発揮する世界の追随を許さない圧倒的かつ悠久の哀愁を正統に継承した純度を思わせます。どこかかなしく、物恋しく、ここにとどまれずにいる精神的エネルギーが豊かな音楽性に昇華されています。
メロディの凄み。「あぁ」と長く全音符をとったのち「みずいろの雨」と、跳躍音程で針の穴に糸を通すような緻密さでステップを踏むメロディ自体が和声感を孕みます。それに続く歌詞「降り続くの」の語尾の母音を順次進行・半音進行で上行させていき導音にリーチさせつつ、直後で主音には解決せずに8小節パターンの折り返しにさしかかるこのもどかしさが私の心をみずいろの中間色の空に宙吊りにします。
ベースの4つ打ちが強い拍のピッチ(感覚)を的確に敷き、そこにエレキのカッティングやピアノのフックやアッパーカットが鋭く刺さります。皮もののラテンパーカスも冷たい情熱の水飛沫を一心不乱に弾け飛ばし、曲調に恒常的な解決の無限サスペンドを思わせる恒久な質感に加担します。
各パートのアレンジ・演奏や歌唱の機微、作詞作曲、曲調の総体が醸す圧倒的な抒情は曲名が「みずいろの雨」である以外考えられない!この曲にこの曲名ありという具合にはまっています。
みずいろの雨 八神純子 曲の名義、発表の概要
作詞:三浦徳子、作曲:八神純子。編曲:大村雅朗。八神純子のシングル(1978)、アルバム『素顔の私』(1979)に収録。
八神純子 みずいろの雨を聴く
ストリングスのトリラーにこころの武者震いを感じます。ハープの音色がぽろんと吹き上がり、孤独な上空へ私の目線を誘導します。ふいぃー!!と風が邪念を吹きとばすスピードで通り抜けます。確かオーケストラのパーカッションパートなどに稀に登場する、福引で赤や白の玉を吐き出す器械に見た目が似た感じの「風の音」を模した打楽器が存在した気がしますが(ウィンドマシーン)そうした類の楽器の音色なのかシンセとかなのか。
チキチキ……とハイハットの繊細なオルタネイトストロークの16分割を下地に、タムタム類の音色がふくよかで宙吊り感のあるフィルインを挟み私の心までも浮かしてしまいます。
メロの歌唱が非常に可憐で、心細い嘆きのようです。タイム感もめいっぱいぎりぎりまで引っ張り、恋慕う対象への後ろ髪の引かれ具合が滲み出たかのようでいじらしい。対象的にサビの「あぁ」以降の歌唱は芯が強くきっぱりしています。「降り続くの・ぉ・お・おぉー!」と、孤独なボーカルの描線に随所でハーモニーの描線を加えて心の揺らぎの幅を演出します。サビの入りの「あぁ」がユニゾンのダブルトラックになっているのがサウンド面のアクセントになっており、「あぁ」の感嘆詞に言語を超越した精神的エネルギーが宿ります。
時折アラームが紛れ込むように金管楽器がジジジジと私の心を焦がします。そしてエンディングでギラつくエレキギターソロ。ここに来てなんだこりゃ! やり場のない主人公の動的なエネルギーをぶつけさせてくれる新たな師が登場したかのよう。その圧倒的演奏の指捌きで音楽の国境線に革新をもたらしながらフェードアウトで額縁が永遠サイズに肥大していきます。この楽曲の、どこにも着地できていないまま、問いがリスナーに委ねられたまま宙吊りになっている魔性の一因を紐解くのがこのエンディングの意匠です。
でももどかしさ、やきもきするエネルギーは楽曲のあらゆる局面・あらゆる要素に憑依し「みずいろの雨」よろしく散り散りになりつつ空間を満たし、人の身にまとわりついてはさらさらと流れ落ちてしまうのです。
青沼詩郎
『みずいろの雨』を収録した八神純子のアルバム『素顔の私』(1979)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『みずいろの雨(八神純子の曲)中間色の虚空【ギター弾き語り・寸評つき】』)