作詞:鈴木慶一、作曲:岡田徹・ムーンライダーズ、編曲:ムーンライダーズ。ムーンライダーズのアルバム『青空百景』(1982)に収録。
ええええ……なんでしょうこの曲は。精神が分裂してしまいそうです。曲名からして異彩を放っています。
“物は壊れる 人は死ぬ そういう訳さ ママン 三つ数えて眼をつぶれ そういう訳さ ハニー”(『物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ』より、作詞:鈴木慶一)
どういう訳ー!!ちょっと待ってー!!
と背中に手を伸ばしたくなります。
いえ、分かるんですよ。人は死にます。自然の摂理であり森羅万象のまことです。物も壊れます。はじまった命はいつかかならず尽きる。新しい命が始まる材料になるはずです。
ごく、当然の真理をいっています。だから、「どういう訳か」といえば、その訳自体は鵜呑みにできるほどに正しい。ですが、これを、大衆が楽しむ商業音楽、娯楽音楽としていわれると、「ちょっと待ってー!」「どういう訳ー!」と、途端にリテラシーの浅い私が顔を出し必死に手を伸ばしはじめるのです。
そこがすごい。こんなポップ・ソング(実際、ロックだろうとなんだろうといいですし)、ほかに聴いたことがありますか?
私がポップ・ソングと形容しただけであって、これがアーティストとしてもポップ・ソングとして作ったものかどうかは、私(受容者、リスナー)にとっては些事です(もちろん、幸運にも話を訊ける機会のひとつでもあるのならば関心のあるところです)。もちろん、商業として流通させる以上、これがポップなりロックなりの、リスナーにとって対価を払って得るべき「作品」であることを自覚してものをつくり、発表するポリシーは作家にとって必須のものである、という理屈も立つでしょうし、それにうなずくところもあります。
でも、テーマは作家の自由です。そのテーマを描く切り口の独創性にこそ、その作家の真価があらわれます。
テーマ設定としては、人は死ぬ(つまり、生まれる)。物は壊れる(つまり、物は生み出される)。「生死」や、「創造」(生み出して、壊して……スクラップ・アンド・ビルド)が主題(あるいは主たるモチーフで、題の本質はその向こう……?)です。これは、あえていえば、いち矮小な分野としての「商業音楽」や「娯楽」の粋を超える、極大の普遍であり一般の真理だと思います。戦争で死んだ親類を憐れんだり悲しんだりする鎮魂歌だとか、何百年も残るフォーク・ソング、民謡の類だとか、時間の隔たりや地域の違いをこえて、幾世代にも渡る私たちの頭上にずっとある雲や空のような観念です。
これを、いち商業音楽の主題として、それそのままの切り口(眼をそらさない、真っ向からの視線)でやることの独創性が光っています。命は尽きるし、物は壊れますが、それをそのまま歌詞でいう。サウンドは確かな生演奏を至上の素材として、その主題の普遍・一般性とバランスをとることに最大に心を砕いたようにクレイジーです。
そう、ドラムスのタム?に、異常なほどの空間系のエフェクトがかかって感じます。
オープニングの声と鍵盤楽器を基調にしたようなヘロヘロな演出はなんでしょうか。カットでバサっと切り、「停止」してドライな無音を聴かせ、くだんのコーラスが唐突に始まります。オープニングと対になる、エンディングの、「どこまでも堕ちてしまう」ような刹那のスリル、崩壊するような快楽。
楽曲構成……音楽のロジック的に見た、調の進行みたいなものも、支離滅裂になってしまった片鱗を、悲嘆しながら慈愛をもって粛々とつなぎ合わせたような、違和感をひっくるめて調和をとったような革新と団円。
“三つ数えて 眼をつぶれ”はなんなのでしょう。普遍・一般の真理をそのままにいうコーラスのラインに対しての、「無色透明な相槌」くらいの意味を見出す程度にとどめるのも、解釈のいさぎよさかもしれません。
あるいは、目をつぶるというのは、一般に、看過する、黙認するというようなことの比喩でもあります。良い意味で使われるより、悪い意味でつかわれるケースのほうが多数派でしょうか。ここに批評性といいますか、風刺のような辛辣さを見出すことも可能です。問題や、世の中にあるおかしいこと、まかり通る罪悪に対してその場をやり過ごすことで、課題の解決のために自分ばかりが過大な代償を差し出すことを回避し、あがりを決めるまでの時間稼ぎをする……そういうことのたとえとして「眼(目)をつぶる」ことを表現に含めている、ともとれるでしょうか。あるいは、深読みが過ぎるか。
“三つ数えて”もまた、私にものを思わせます。時間をとること。
感情は瞬間的なものです。感情の爆発に身をまかせた結果、落ち着いた頃に後悔するというあやまちを犯すことも、また私のみに限らない、人類の普遍かもしれません。だから、私は理性でおのれを律しなければならない。まず、三つでいいから数えなさい、と。そして、認め、受け入れることを“眼をつぶれ”といっているのだとしたら……?
悟りの境地から抽出した表現のようで、これを「ポップソング」の畑で収穫してリスナーの食卓に届けているのだとしたら、それは最も贅沢なようでいて、最もあらゆる人の身の丈に合い、適った地産地消のようでもあります。図らずも「「ポップ」だ「ロック」だの畑の違い」みたいなものを強調したかのような杜撰な本文になってしまいました。
「ジャンル」をそもそも私は疑っていますし、忘れてください……と言い添えたくなります。けれど、あがってきた作品の備える特徴を観察し、この作品とこの作品の距離感はこれくらいかな。そうすると、この一帯とこの一帯にはある程度の溝があるから、ここからここまではロックと呼んで、ここから先はポップと呼ぶことにしようか(「ロック」「ポップ」は例で、そこに何を代入しても結構)……なんて考えうだることには意味があると私は思っている……そんなことも言い添えたくなる深淵あるムーンライダーズの楽曲たち、そのひとつが『物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ』。『青空百景』という美しいタイトルのアルバムにこれが含められているのも、またとてつもない振れ幅と痛快さです。
青沼詩郎
参考歌詞サイト 歌ネット>物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ
『物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ』を収録したムーンライダーズのアルバム『青空百景』(1982)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ(ムーンライダーズの曲)ギター弾き語り』)