熟れたね

音楽を漁ってネットを歩いていると、次々に若くて新しい才能に出会う。投稿した動画から広まる事例も多い。現代的だな、なんてじじくさいことを思う。

一方で、私が前から好きだった、すでにある程度キャリアのあるミュージシャンの動画もいくらでも出てくるわけで(むしろ私の嗜好性に沿ってカスタムされたおすすめが表示されやすいことを思う)、新しい才能に驚いたあとにそういうものを観ると安心感がある。

もちろん私がずっと好きでいるミュージシャンは、常に新しい表現にチャレンジし続けている。だから好きが続いているのかもしれない。それでいて、形式的なこと、そう、たとえばギターやドラムやベースなんかを使ったバンドの形式といったことを保ち続けて、そのフォーマットで新しい曲を更新し続けているから安心感があるのかもしれない。そうした「私が安心できるポイント」みたいなものを保ったうえで、いくらかの割合でサウンドや形式的な新しい要素を取り入れていることも多い。ありがちだけど、ギターロックバンドとしての印象が強かったミュージシャンが、打ち込みとかシンセとかを使いはじめるみたいに。「その新しい要素は要らねえかなぁ」みたいに私に思わせない塩梅で取り入れてみせてくれたりする。たまに「やっぱ要らなかったんじゃないか」なんて偉そうに思うこともなくはないけど、挑戦や決断そのものを評価したい。プロセス偏重の「日本人かっ」なんて自分に突っ込みたくなるけれど、そんな日本人像はただの私個人の的外れな偏見でもある。

目のやり場に困るグループが結成していたのを最近知った。

奥田⺠生、⻫藤和義、浜崎貴司、YO-KING、トータス松本、寺岡呼人による6人組。それぞれ、がっつりキャリアのある人がこんなに集まってしまっているところから「目のやり場に困る」と思ったのだ。

JUN SKY WALKER(S)のベーシストで、ゆずのプロデューサーでもある寺岡呼人のソロ25周年を記念して2018年に結成したのがカーリングシトーンズ。メンバーたちのカーリング経験がバンド名の由来ともいうが、それも冗談だという。適当である。Wikipediaの「概要」を読んでいるだけで笑ってしまう。Wikipediaってこんなに笑えたっけ? 洒落っ気の純度でバンドを成立させてしまっているかのような離れ業。華麗(加齢)でアクロバティック。

メンバー一人ひとりに、唸るほどのキャリアがある。彼らの放ってきた名曲、表現の数々を知っているから私は楽しく観られるんだろうか? この6人を一切知らない人がカーリングシトーンズを見たらどう思うんだろう。おじさんの集団? それにしては、あまりにも一人ひとりに華がある。我が道を行く歌声。主役と脇役の区別がつかない…? 分からない、この6人を知らなかった場合にどんな感想を抱くかは、私にはもう決して知り得ない。

「老い」も味方。

青沼詩郎

カーリングシトーンズ 公式サイトへのリンク

参考Wikipedia>カーリングシトーンズ

参考Wikipedia>氷上のならず者

『涙はふかない』ほかを収録したカーリングシトーンズのアルバム『氷上のならず者』(2019)