今日もネットを散歩する。(健康的なんだか不健康なんだか。)検索で音楽レビューサイトが引っかかる。(私が引っかかりに行った。)名前は知っていたけど、あまりちゃんと鑑賞したことがなかった「蓮沼執太」が気になった。動画のリンクがあった。『RAW TOWN』。
アルバム『メロディーズ』(2016年)収録曲だ。 “生のきみに会いにいくって” と繰り返される歌詞。新型コロナウィルスで、生で会えなくなっちゃった世の中になってしまったいま(執筆時)聴くと、新しい意味や文脈が束になってごっそり絡んでくるかのよう。(『RAW TOWN』発表当時の2016年にはこんなこと思いもしなかった。)
作詞は鴨田潤。イルリメ名義で知られる(歌詞サイトへのリンク https://www.uta-net.com/song/202210/)。作曲が蓮沼執太。この両人で、フィールドワークを行って作られたという。
歌詞は実況中継のようだ。場所や景色、街を行く時間を共有する感覚。4分間の演奏時間で東京の各地を実際に巡るのは不可能だけれど、濃縮された5感プラス@がソフトで心地よいサウンドや歌唱に乗ってスピーディに流れ込んでくる。
私も作詞や作曲をする人間だ。言葉の音韻の数にもたせた定型をきっちり踏む作り方をすると、行き詰まることもままある。そこで、1音符あたりに多くの音韻数をたたみ掛ける部分をつくってやると、気持ちよい表現に昇華することがある。『RAW TOWN』の歌詞にも、そんな気持ちよさがところどころみられる。サビは覚えやすく平易なことば選びで印象づける妙。メロディも平易だ。言葉のリズムを乗せるのにメロディのなめらかさが相棒の役割をしたかもしれない。間奏、エンディングでは女性ボーカルが“タララターララタ……”。一緒に鼻歌したくなる、惹き込まれている自分に気づく。
曲のタイトルに「Raw」(生)とあるように、またアルバムタイトルも『メロディーズ』とあるように、身体性、つまり自分の声そのもの、そしてその声によるメロディをこのアルバムの出発点にしている、というようなことがわかるインタビュー記事があった。
「蓮沼執太フィル」名義で彼は活動してきた流れがあって、そこから個人名義での『メロディーズ』という流れ。器楽、シンセ、環境音。そういった資源を多くの表現の素材にしてきた流れがあったうえで「声」、それも自分自身の声に焦点を当てたところが(新しい挑戦というには大げさだし、原点回帰なんていうのもやっぱり歯が浮くけれど)、すごく「なるべくしてなった」、至るべくして至った乗り換え駅のようなものだったんじゃないかなと思う。
実際、イルリメこと鴨田潤と蓮沼執太は東京駅で待ち合わせて、鴨田潤はことばを書き蓮沼執太は写真を録ったり音を録ったりしたという。
MVをみて
MV出演の女性は歩乃圭(ほのか)と蓮沼執太ご本人。
ラストシーンが「ええーー!」って驚き。面白い。2人が待ち合わせる、出会うストーリー……じゃなかったのか。私は大好きである。こういうハズし方も、MVは長編映画とかよりもやりやすいのかもしれない(比べる対象がおかしい?)。「ええ?!」というオチだけれど、それでいて爽やかさが残る。歩乃圭の最後の表情の演技も魅力。
振り返ってみると、冒頭でメモに「Raw Town.」と書く蓮沼執太が映る。一瞬、歩乃圭のほうに視線をやって認知したようにも見える。ふたりがパートナーどうしだったら、ここで気付いてすぐさま「合流」が自然ではないかと思うが、そうはならない。あるいは、視線をやって認知したように見えただけにも思える。そもそも他人だったら認知しない(無視して過ぎてしまうはずだ)。
0:30〜頃のあたりでも、2人は普通に同じ路上で視界に入りうる状況でお互いスルーしている。なんとなくぼ〜っと見ていると2人が出会う(合流する)ストーリーに見えがちだけれど、ただただ「他人を並行して見せていただけ」なのだ。あるいは「いや、それは違う」という解釈も面白いかもしれない。そのパターンを考え始めると広がる。
それはともかく、役者がさわやかだし、東京の街が魅力的に描かれている。朝からメチャ素敵な気分になれた。映像も音楽も歌詞も手をつないで、すごくいい。都市に網を張った交通網みたいだね。
青沼詩郎
蓮沼執太
http://www.shutahasunuma.com/category/cv/
『少女記録』より 歩乃圭
https://www.shoujokiroku.jp/stories/honoka/20160308/a/
『RAW TOWN』を収録した蓮沼執太のアルバム『メロディーズ』(2016)