まえがき

晩夏を描きます。知っている人への合図として、車の運転手が「ぷっぷ!」とクラクションを鳴らすことがあると思います。去り際なのか、あるいはその日出会う最初のときに声をかける感じで鳴らすクラクションなのか。そういったものを回顧しているような趣があります。 私に寺尾聰さんのアルバム『Reflections』(『ルビーの指環』収録作)を思い出させるそのサウンドは共通の編曲者である井上鑑さんの存在が鍵のようです。

夏のクラクション 稲垣潤一 曲の名義、発表の概要

作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平。編曲:井上鑑。稲垣潤一のシングル、アルバム『J.I.』(1983)に収録。

稲垣潤一 夏のクラクション(アルバム『J.I.』収録)を聴く

哀愁をまとった甘く軽妙洒脱な歌唱が光り、艶めきます。くすぐったい思い出を振り返っているのでしょうか。響きをギラつかせる瞬間とふわっと抜く瞬間が波状にやってくる、ニュアンスに富んだ稲垣さんの歌唱にほだされます。

あらためてヘッドフォンで聴いて実感したのが、私のちいさな想像を逸するバックグラウンドボーカルのはたらきぶり。この楽曲の、さびしくて、風通しが良いのに、それでいてリッチな独特のおしゃれな響きを担う重要なピースがバックグラウンドボーカル。クラクションなどの重要な単語は母音をのばすなどでなくことばで歌います。またバックグラウンドボーカルがふわっと休符に入ると聴いている私の心までふわっと浮く。手で掬うようにささえてもらっていたのに離されたひなどりの気分です。

響きの豊かさとそれでいて両立する哀愁の鍵はまた、鍵盤ワークにもあるでしょう。ピアノが響きの本体の重要な質量感を担います。またアナザートラックでピアノのカウンターのようなフレーズも入ってくる瞬間もある。でもピアノは減衰系の音色です。ピアノが発音してわずかな時間経過にしたがって減衰する、そのときにバックグラウンドボーカルのサスティンが生きている。私に、万華鏡のように、きらきらと照り返す夏の海なのか都会のアスファルトや硝子面なのかわかりませんが、経過的な光陰と彩りを強く印象付けるサウンドのキモだと思います。

エレキギターはリズムのベーシックなどにカオを効かせる強引さがなく、まるでホーンなど管楽器の類のようにイントロや間奏のところを狙って役割をわきまえて登場します。サスティンの強い音色ですが、カドがまるく、きわめてマイルド・スムースな響きのエレキギター。クラクションを、距離をもうけて聴いているような遠さ・はかなさが私に回顧的な趣を印象付ける一因かもしれません。

夏「の」の部分を伸ばし、こうも複数の音程を経由させて歌う。記憶の階段なのかな。それも順番に下がる・上がるのでなく、ぎこぎこと上り下りしている音形。記憶の回顧は常々、時空を超えてうろうろ前後するものです。そんなところも実に夏の回顧を描いていて妙味。

青沼詩郎

参考Wikipedia>夏のクラクション

参考歌詞サイト 歌ネット>夏のクラクション

稲垣潤一 公式サイトへのリンク

井上鑑 公式サイトへのリンク Bio>plofile欄を締めくくる“血液型はAm11th”の一句に井上さんの洒落っ気が光ます。上記公式サイト内>続・千律譜 #01. 夏のクラクションとして、楽曲について言及した井上さんのエッセイがあり、“夏「の」”の部分を重視して説いておられます。

『夏のクラクション』を収録した稲垣潤一のアルバム『J.I.』(1983)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】夏のクラクション(稲垣潤一の曲)ギター弾き語り』)