猫村さんと私の接点

“猫村さん”についての私の記憶は浅く淡いものでした。地元の素敵なギャラリーカフェの本棚にあったのを見かけたな、という記憶がひとつ。それから、妻のお姉さんが好きだとか妻自身も好きだとかそんなような話を聞いたような聞かないようなという至極半端な伝聞情報がひとつ。

なんだかゆるいタッチ、といっていいのかわかりませんが、肩の力の抜けた素朴なタッチで表現された作品、というイメージでした。

作品名が『きょうの猫村さん』。私の浅く淡い記憶のなかにある「あのタッチ」(タッチ、というか、要は絵柄ですね)。このふたつから導きだすのは、とりとめがなく、それこそ1コマあるいは1ページくらいでひとつひとつのシーンが完結するような、ショートショート的なものを連ねた作品かなと勝手に想像していました。

実際読んでみると、驚きました。猫村さんの動作やしぐさや言動のおかしみや、1コマ1コマに書き込まれた文字や絵が伝える淡白な情報のひとつひとつに滲む、「滋味」のような魅力については、ある程度鑑賞前から想像していた質感に近いものがあったのですが、そうした「ほっこり感」を刹那の縦軸に、骨太で確かなストーリー性:横軸がドスコイといわんばかりに通っていたのです。

猫村さんは家政婦を志望し、「村田家政婦」の門を叩き(呼び鈴を鳴らし)、そこで仕事を得て、犬神家につとめることになります。“御奉公”先の犬神家の人々がまたイロイロで、おまけに屋敷の奥には女主人から踏み入ることを禁じられたエリアがあります。そこから聞こえてくる音とは……。犬神家のかくしごとが、読み手を引き込みます。

そもそも猫村さんが家政婦を志したきっかけには、かつて一緒に暮らした“ぼっちゃん”との関わりがあります。猫村さん自身にも当然、ヒストリーがあるのです。

『きょうの猫村さん』は、そのタイトルの通り、猫村さんの「きょう」という瞬間(1コマ)を描く作品であると同時に、ヒューマンドラマであり、人情物語であるのです。前者だけのイメージでいた私の認識はひっくり返りました。これは確かに、ドラム化したくなるのがわかりみです。

そんな『きょうの猫村さん』に私が関心を向ける動機をくれたのは、松重豊さんが歌った、ドラマの主題歌『猫村さんのうた』でした。この楽曲に音楽アプリ上で偶然出会ってから、原作に向かった私です。音楽にしか興味がない……わけではないのですが、つくづく順番が逆な自分を思います(最近の私は、なんでも入り口が音楽)。それも私の“ヒストリー”であり、それぞれで良いとも思っていますが……「人それぞれ」であるほどに良い、とも思います。 “きょうの猫村さん”に登場する、ユニークなキャラクターたちのように。

曲についての概要など

作詞:U-zhaan、作曲:坂本龍一。松重豊, U-zhaan & 坂本龍一の配信シングル(2020)。ドラマ『きょうの猫村さん』(2020年、テレビ東京)主題歌。

猫村さんのうたを聴く

松重豊さんの素朴な歌声がやさしくもあり淡々としてもいます。言葉の輪郭が確かに伝わってきます。低め、あるいは中庸な声域のおだかやかで豊かな響きが“猫村さん”の作風と共鳴しあうようです。

ナイロンギターの低域豊かな響きに、ポロン、チランと輝きとにじみをふんだんに添えるエレクトリックピアノのトーンが和声をつたえます。これに、ユザーンさんのタブラです。一体なんなんだ、この編成は……!!多様なジャンル、スタイルにまたがって活躍するユザーンさんをフィーチャーした作品は数多ありますが、素朴な歌、たとえば「鼻歌」のようなものとして親しめる体裁をもっている楽曲は案外ユザーンさんの関連作では貴重ではないかと思います。

タブラの音は意外でもあるのですが、そのサウンド的には完全に『猫村さんのうた』としてなじんでいます。村田家政婦の居間の床に座っている、くらいに「それそのもの」に感じます。タブラは弩級の……「これぞ民族楽器」みたいなイメージもあるかもしれませんが、そのオーガニックな響きといいますか、自然物のなかにあり、自然物と共鳴するような軽やかで深くてダイナミクスもニュアンスもなまめかしく変化させ多種多様なサウンドを生み出す幅の広さ、奏者の個性を映す柔軟さは、もともと「飛び道具的な民族楽器」などでは決してなく、時代やスタイルに左右されない悠久で普遍のサウンドなのかもしれません。家政婦の物語であり、裕福な家庭のクセのある住人たちの物語であり、そしてそこにヒトのようにふるまう猫(猫村さん)をコミットした、あるようでなかった自然さと革新性を音楽面に映し取った模範解答レベルの解答が、この『猫村さんのうた』のサウンドであるようにおもえます。このタブラ奏者のユザーンさんが作詞もしたという点で、おかしみがさらに深い。どうなってるの? どこから手をつけたらいいかわかりません。

決して「ゆるい歌」ではないのが、クセのある和声でしょうか。Cメージャー調で、親しみやすい鼻歌フォーマットのもっとも近くにあるコース(走路)でもあるのですが、低音位がえっちらおっちらと変化し、ギリギリのところで調の外に逸脱してしまいそうになるかと思えばならなかったり、これはもうどうなっちゃうんだろうという不可思議展開にさしかかったりします。

図:『猫村さんのうた』コードとメロディの採譜例。特筆すべきは“どんなお味かしら”(図中5段目後半)あたりではないでしょうか。妄想が海外旅行に出ちゃった感じです。

坂本龍一さんのつくる「歌もの」も目を見張る世界があります。私が思い出すのは、ビートたけしさんが歌った『たかをくくろうか』です。谷川俊太郎さん作詞というのもツボ。『猫村さんのうた』の作詞がユザーンさんというのもフックで、『たかをくくろうか』に感じた、作者名義上のインパクトの面でも私の記憶がつながります。

ことばを奏でる

“お料理 おそうじ おせんたく ちょっぴり うたたね ひとやすみ お野菜 お魚 おかいもの ちょうちょを追いかけ ふたやすみ”

(『猫村さんのうた』より、作詞:U-zhaan)

猫村さんにほっこりする「刹那の縦軸」を感じさせるメロの部分の歌詞です。「ひとやすみ」に対して「ふたやすみ」のカエシ。言葉を扱ってリフレインする、あるいはそれを発展させて印象付ける。リズム系の楽器のタブラ奏者ならではの語彙の扱いの妙味であるようにも思いますし、しゃべるように雄弁な楽器であるタブラの表現力の深淵を思いますし、楽器の演奏も作詞も雄弁で豊かであろうとする態度に違いはないことを思わせもします。

“ああ ボルシチってどんなお味かしら 猫舌にも食べられるかしら”

(『猫村さんのうた』より、作詞:U-zhaan)

出すお茶の温度がぬるいのではないかと相手を気遣う様子を猫村さんを描くなど、ヒト同然にふるまう猫村さんがあくまで猫でもあることをネタにするシーンが盛り込まれるのが『きょうの猫村さん』の魅力のひとつ。歌詞にも、猫ネタを盛り込みます。鑑賞者を楽しませる気の利いたミュージシャン心を感じる作詞です。

“ピーマン にんじん 玉ねぎを なるべく こまかく みじん切り ごはんと おじゃこと 炒めたら ネコムライスのできあがり”

(『猫村さんのうた』より、作詞:U-zhaan)

若年者にきらわれがちな野菜であっても、こまかく刻み、炒めてしまうことで気づかずにおいしく食べることができてしまうのを猫村さんは知っているようなのです。原作を丁寧にうつしつつ、作品の核心を汲んだ作詞です。猫村さんは相手をおもいやります。すこしでも健やかにいてほしいとか、元気でいてほしいとかいったこころが、猫村さんが行動をきめたり、反応する根幹になっているようなのです。ネコムライスという単語は「オムライス」と韻がそろっており、アタマに「ネ」がついた形です。このワードセンス自体が作詞脳っぽくもあり、すでに音楽的ですらあります。“猫村さん”作者のほしよりこさんも、エンピツと紙を演奏するミュージシャンなのかもしれませんね。

蛇足の後記

猫村さんは猫なので、猫村さんの性分を指していう場合、その「人柄」でなく「猫柄」でしょうか。また、猫村さんをとりまく「人情物語」は「猫情物語」? 猫

村さんのなかに「ヒトらしさ」みたいなものが同居していますし、物語にはふんだんに「人(ヒト)」が出てきて猫村さんと関わりを持ちますから、全部ひっくるめて「人情物語」としても良いでしょう。

『猫村さんのうた』のほっこり感、ゆったり感、淡白なフィールとふわっとした和声感は、物語の人情味と猫村さんの猫柄、猫村さんのヒト顔負けのふるまいのおかしみやこれらが調和する不思議さを表現しており絶妙です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>きょうの猫村さん

猫村.jp 1日1コマの“猫村さん”公開を継続されているご様子。

テレビ東京>【ミニドラマ】きょうの猫村さん 2分30秒のミニドラマ、という体裁なのですね。音楽担当に坂本龍一さんの名前も入っています。

YouTubeチャンネル テレ東公式 TV TOKYO>ミニドラマ「きょうの猫村さん」|主演:松重豊|4月8日(水)深夜0時52分スタート! テレビ東京 予告動画(放送済み作品なので「予告」でもないですが)がみられます。猫村さんを演じる松重さん。ひょうひょうとしているようにも、時にアツくもみえます。コミカルですがおおげさでなく、丁寧に原作を実写で表現している様子がうかがえます。

参考歌詞掲載サイト プチリリ>猫村さんのうた

松重豊, U-zhaan & 坂本龍一の配信シングル『猫村さんのうた』(2020)

ほしよりこ『きょうの猫村さん 1』(マガジンハウス文庫、2008年。オリジナルの単行本の1巻の発売は2005年)

テレビ東京オンデマンド『きょうの猫村さん』(2020)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『猫村さんのうた(松重豊, U-zhaan & 坂本龍一の曲)ギター弾き語り』)