おじさまとデート 日吉ミミ 曲の名義、発表の概要
作詞:三谷けい子、作曲:鈴木庸一。編曲:竹村次郎。日吉ミミのシングル(1969)。
日吉ミミ おじさまとデート(『THE 昭和歌謡 日吉ミミ・スペシャル』収録)を聴く
「パパ活」じゃないとしても想像してしまう
まず、対等な自由恋愛を軽妙に描いた味わいももちろんあると前置きしたうえで……
「パパ活」をこれほど予見した曲がほかにあるでしょうか。
そもそも「パパ活」なんて言葉がいつから出てきたのでしょう。私が実生活で、この単語が周囲の人の間で発せられる機会を認知したのは2020年代に入ってからである気がしますが、耳の遅い私が実際の使用を認知するよりも前から世で使われていた単語であるには違いないでしょうから、2010年代には少なくともあった言葉なのか……(あるいはもっと前?)
いずれにしても、私個人としてはあまり気分のよい類の単語ではないと思ってしまいます。なんというか、歪(いびつ)である……
オカネのやりとりを条件に、ふつうだったら若い女性が相手にしないような「パパ」然としたオジサンが招くお食事だとか「デート」の模造品みたいな行為に、お金をうけとる若い女性がお付き合いするというものです。私のこの「パパ活」に対して抱くイメージって歪んでいるでしょうか?
若い女性はお金がもらえて、(相手が誰なのかをさて置けば)楽しいデートっぽいことを経験できたり、自分の価値観や感性・経済力では行かないようなお店に行けたり、美味しいものや貴重なものが食べられたり体験が得られたりして、お金の関係として潔くそれで完結するクリーンで割の良いバイト、という認識でいる女性も少なからずいるのかもしれません。
あるいは、相手に対して醜悪だという印象を抱くしデートまがいな行程も嫌悪でしかないけれど、お金がもらえるから割り切ってビジネスの関係として付き合っている……つまりネガティブな感覚だが結果としてのメリットを重視して従事しているという感覚の女性もいるのかもしれません。
感性や価値観が未熟な女性に対して、歪な関係をさも対等で道理的なものかのように年長者の男性が(結果として)すりこむ……手なずける:グルーミングなんて言葉もSNSやネットニュースなどで目にすることがあります。
そういった社会問題めいたよどみ・濁り・ねばつきが、つい私の頭をよぎってしまうのです。
音楽が良い
……と、眉間に皺が寄ってしまう私ですが、日吉ミミさんの楽曲『おじさまとデート』は聴くのに非常に楽しく愉快で音楽表現としても審美的でありエンターテイメント性が高いです。
まずなんといっても日吉ミミさんのへろっへろな歌唱です。なんだこの甘え具合は。ほかで聴いたことがないレベルです。「ん〜ふぅ……」とか……私がこの曲の音楽ディレクションを日吉さんに対してする立場だったとしたら、「あなたはもう自分のすべてが色気として有効になるという無敵の気持ちで嘆いたりあえぎ声をだしたりしてさえいればこの曲は成功だから!」とでも吹聴したのかと思うくらいです。
音程が一瞬でも正しい水準に達したらあとはもう言葉じりを好きなだけ下げる、あるいはずりずりといやらしく上げて達せさせるほどに好ましい……というくらいにヘロヘロでメロメロです。なんなら正しい音程に達していないノート(音符)も多いのではないか。
こういうアヤウい表現を確かに成立させるのも歌唱技術です。メロメロすぎてヘロヘロすぎて感嘆のポイントがずれてしまいますが、日吉ミミさんの歌唱の表現力、普通に歌っても上手いであろう基本の部分が相当卓越しているのではないかと思います。
編曲がまたいいですね。フルートあるいはピッコロとダブルリード……ファゴットでしょうか、これがコンビネーションして合いの手やらリードメロディを景気よく奏でます。
クリーンなエレキギターのアルペジオ。透き通るストリングス。やわらかな体温を思わせるマリンバのトレモロ。機敏で和声感とペンタトニック感に優るベースライン。軽くて軽い(あえて重複)、ロッドだかブラシでパサパサ叩いたみたいなスネアとハイハット(キックの音、いるのかどうか?)。
ついパパ活の予見なんて評してしまいましたが、若い女性とおじさまの対等な関係の全否定をするつもりはありません。若い女性とおじさまといっても、その年齢差や実年齢を特定するものではないし、対等な関係も世には存在しうるとは思います。
でも、だいたいが、つい怪しいと思ってしまう私の感覚って汚れているのでしょうか。……対等な関係、あるのかなぁ……お金とか絡まない趣味のグループとか、同じ仕事に取り組む仲間とかの関係なら、全然クリーンでいいと思うんですけどね……ヒトの尊敬関係に、年齢や性別は関係ないというのも私の信条(あるいは心情?)としてあります。
この楽曲の高い音楽性のように、異世代の人との交友関係も純真で審美的でありたいものです。
ポッポヤってなんぞや
子供の頃にあこがれていた
童話の王子は ものたりない ハア
素敵をおじさまと アツアツデイト
すねてみたい へんな気持
どうしてかしら ウン
ポッポヤポッポヤ ポヤポヤ ポッポ
もやもやしちゃう
『おじさまとデート』より、作詞:三谷けい子
私が子供の頃の記憶だったか、『クレヨンしんちゃん』をアニメで鑑賞していたときのことです。主人公のしんちゃんが、極度に興奮してしまったとき、“ポッポォーーー‼”的な奇声を上げて奇行に走ってしまう(機関車みたくなってしまう)。そんなシーンを見たことがあるのです。
興奮にもバリエーションがあるでしょうが、確か、ちょっと何か色っぽい類の刺激に興奮したときにしんちゃんがそうなってしまうシーンだった気がするのです(私の覚えちがいでなければ)。
その記憶があるせいでしょうか。『おじさまとデート』に出てくるコーラス(サビ)のリフレイン、“ポッポヤポッポヤ ポヤポヤ ポッポ”がなんだかとってもいやらしく思えて、目を覆いたくなるのです。
赤面したり紅潮したりしてしまって、顔面の温度が上がったような気がする、顔が火照った状態を「ポッポ」とか「ポヤポヤ」で表現しているとも思えます。顔があつくて「ポッポ」してきちゃった、とか日常会話で言ってもおかしくありません。
ただのおじさまと血縁上の叔父さま
「王子様(おーじさま)」と「おじさま」では似ているようで大違いです。王子も年をくえば大叔父(おおおじ)でしょう(……そこは問題じゃないか)。
一般に年長者の男性を指していう「おじさま」なら血縁はありませんが、血縁上の「叔父(おじ)さま」もあります。楽曲『おじさまとデート』におけるおじさまはどっちのケースでしょう。血縁があったら、余計に何かイケない感じ、禁忌をおかす背徳感があります。
一方、血縁があるからこそフランクに遊び友達のようになれる「おじ」と「めい」の関係もあるでしょうが、その関係ではやはり“叱らないでキスをしてね 私は大人”(『おじさまとデート』より、作詞:三谷けい子)は行き過ぎです。やはりそこは年齢差のある主人公とおじさまの恋愛の歌だと思ったほうがすんなり喉を通るでしょう。
青沼詩郎
『おじさまとデート』を収録した『-THE昭和歌謡- 日吉ミミ スペシャル』(2008)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『おじさまとデート(日吉ミミの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)