更新を続ける夜の寝床

同年のシングル『旅の宿』の次作にあたるシングル曲です。

エレキギター、エレクトリックピアノ、オルガン、アコースティックギターなどでつくるウワモノ。ずうんと伸びやかなベース。コンガの音色が希望の雨上がり感。16ビートのドラムのタシっと歯触りのある音色が爽快。

楽曲の有する悲哀のプロットに、吉田拓郎さんの躍動する歌唱が命を吹き込みます。自省的な趣がありつつ、過去を包摂して生きる希望を感じる歌詞、曲を実直で高解像度な諸パートの演奏が体現します。

悲しみそのものをいつまでも持って歩くことと、悲しみをおきざりにして歩みつづけることの罪の意識はどちらが重荷でしょうか。

きっと後者を選ばざるをえないのが生きることではないでしょうか。だからこそその厳然たる事実を受け止め、博く寛容な心で、ゆらゆらと輪郭のフォーカスが揺らめく悲しみの記憶とともに歩み、夜の寝床を更新し続けるのみなのです。

おきざりにした悲しみは よしだたくろう 曲の名義、発表の概要

作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎。吉田拓郎のシングル(1972)。ベストアルバム『よしだたくろう71〜75』(1975)に収録。

よしだたくろう おきざりにした悲しみは(配信『シングル・コレクション』収録)を聴く

歌がみずみずしいです。若さというのか、うるおいがあります。吉田さんの生年から察するに、当時26歳前後くらいでしょうか。

歌い出しからフレーズにインパクトがあります。

“生きてゆくのは ああ みっともないさ あいつが死んだ時も おいらは飲んだくれてた そうさ おいらも罪人のひとりさ ああ また あの悲しみを おきざりにしたまま”(『おきざりにした悲しみは』より、作詞:岡本おさみ)

娯楽音楽、大衆のためのポップソングにおいて、一番の冒頭付近からあいつの死を提示します。

お茶の間でこれを何もしらずに聴き始めた人はまゆをひそめてしまうかもしれません。家族のいる場所でこのレコードを聴き始めた子が私だったら、う、気まずい、なんだかスゴイ心がざわつく唄を再生してしまったなぁ……なんて思うかもしれません。

大衆音楽へのアンチテーゼでしょうか。あいつの死は、大衆にとっては知ったこっちゃないことです。そんな悲しみは、ひとりで胸の底に抱えておいてくれよ。公衆の面前では、みんなが楽しくなれる曲をやってくれよ、ひとつ、パっとしたハナのあるやつをさ!などと思う人格があってもおかしくないでしょう。

私的な腹の底・胸の内の吐露こそが、個人の最大の関心事なのです。大衆なんて知ったこっちゃない。私はあいつが死んで悲しい。あるいはあいつの死を今は悲しいとかなんとも思えないけれど、これはきっと人生においてずっとひきずる重い出来事であると直感している。私個人を覆い尽くし、満たしきっているのは、そうした私個人の時事であり近況なのです。世の中全般がどうかなんて知ったこっちゃない。

そうした個人の時事を、一人ひとりが持っているのです。個人の時事を擦り合わせて、大衆一般の時事にすり替えるなんて、なんて強引で無粋なんだろう。おれにはおれの、個人的に大変なことがわんさかあるのに。社会全般がどうのなんて知ったこっちゃない。

閉ざされたスタジオでマイクロフォンに向かって、個人の最大の時事と心情を吹き込み、円盤に刻んで、黙って地域に社会に、世界の総量としてはスズメの涙かもしれないけれど歌の記録を撒き散らすのです。

歌の中の世界のことだから、吉田拓郎さん本人や岡本おさみさん(作詞)本人の実際がどうのは別にあります。あくまで歌の中の主人公の個人的な時事としておきましょう。でも、そういった個人的な時事はいつも、あらゆる大衆のなかの一人ひとりに流動しているのです。そのことを正直にありのままに吐露することが、結果的にエンターテイメント音楽全般へのカウンターになるのです。それがカウンターかどうかなんて、実際は知ったこっちゃなくて結構。相手のモーションがこちらのモーションと組み合わさったときに、結果的に成立するものがカウンターなのですから。それを狙ってやったかどうかは心の中の話。結果は同じです(解釈はそれぞれだとしても)。

ずうんと深い音色のエレキギターのイントロはオクターブでユニゾンしています。まんなかのほうと、左に寄った低いエレキギターが、少し隔たりのある定位感でそれぞれの悲しみを唱えあげ、たまたまなのか擦り合わせたのか、協調しているみたいです。「女:お前」と主人公の関係を想像させます。

指が自由に赴くような左側のリードトーンのエレキギター。右にはリズムのアクセントをキメるエレクトリックピアノ。ドラムのハイハットの8分割の隙間の定規の目盛りをアコースティックギターのストラミングが決めていきます。各楽器の動きがそれぞれに独立していて、棲み分けあって、己の道を行っているのです。悲しく厳しい事実を慈しむかのよう。

おきざりにしたあれが悲しみだったのかどうかも、人生の歩みのなかで振り返りながら、解釈を更新していくものなのかもしれません。

青沼詩郎

参考Wikipedia>おきざりにした悲しみは吉田拓郎の作品一覧

参考歌詞サイト 歌ネット>おきざりにした悲しみは

吉田拓郎 – エイベックス・オフィシャルサイト – avex

『おきざりにした悲しみは』を収録した『Takuro Yoshida Premium 1971-1975 – よしだたくろう』(2009)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】更新を続ける夜の寝床『おきざりにした悲しみは(よしだたくろうの曲)』ギター弾き語りとハーモニカ』)