まえがき
鈴木茂さんアレンジ曲が魅せるアルバムサウンドの中に裸電球のようなシンプルなサウンド、メロディのコントラストが際立つサイズの小さな歌。アルバム表題曲かと思えば「〜人」が足りません。アルバムタイトルは『大いなる人』に対して本曲は『大いなる』。「大いなる⚫︎⚫︎」と、⚫︎に代入される何かを埋める自由を託されている気分になります。余白を感じる意匠には、個人同士の距離感に尊敬の念が宿るというポリシーが潜在しているのじゃないかと思わせます。そんなところも私の思う吉田拓郎さんの魅力です。
また、個人のみで完結できる存在ではないという真理も「大いなる」で止めてしまう曲名に勝手ながら思うのです。人は社会的な生き物だという面で、です。「人同士」ではじめて「人(人間)」たりうるのではないかと……
子供をさして小人、あるいは大人の対義語として小人と書き記す表現も世に存在すると思います。大きい人、大いなる人と書いて大人なのだとしたら、大いなる人の定義ってなんだろう。そんな問いを、アルバム単位でぶつけていて、その疑問に答えはまだ出ていない、あるいはずっと探していくんだという未完結な答え、あるいは経過報告の象徴が本曲『大いなる』なのではないかと思わせます。
大いなる 吉田拓郎 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:吉田拓郎。吉田拓郎のアルバム『大いなる人』(1977)に収録。
吉田拓郎 大いなるを聴く
大いなる人とは何か。A♭メージャーの曲かと思います。カポをつかって、Gのローコードポジションでシャカシャカ弾いたのでしょうか、Ⅴの和音を弾く時のかろやかな響きはDのローコードのポジションで実音E♭のコードを弾いている感じがします。
サウンドはかろやかなのですが、ボーカルメロディで低いところは主音のA♭まで着地し、上はサビのところでFまで使っていて1オクターブと長6度にわたっていて雄弁な印象です。「大いなる人」とはこういうことではないかという、暫定的な答えを見せてくれている気分になります。大いなる人は、自由で、縦横無尽なんだぞ。楽しいんだぞという希望を私は見るのです。あるいは「人」を代入せずとも良いのです。「大いなる」……「夢」「未来」「愛」「平穏」「心」。大いなるあなたの想像力を発揮しなよ!とタスキを託されている気がするのです。
左右にひらいたアコギ。まんなかあたりでカツカツいうのは、アナログのメトロノームでしょうか。
サビのところは足をぱたぱたやってるのかいすやらをたたいたのか。『あの素晴しい愛をもう一度』みたいなド、ドド……のリズムも入ってきます。ベースレスのかろみあるサウンド。バンジョーもからんできて土や草の匂いを風とともに巻き上げます。
たった4小節ですがボーカルにクロスしてくるハーモニカ。A♭調でD♭のハーモニカを使った感じのフィールで、入りのG♭の音程がA♭メージャー調におけるブルーズ感。「大いなる人」の特徴をまたひとつ授けよう……それは「哀愁めいている」ことだ! ということでしょうか? 違くてもいい、私のなかでそういうことにしておきます。
青沼詩郎
『大いなる』を収録した吉田拓郎のアルバム『大いなる人』(1977)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】大人とは何かの経過報告『大いなる(吉田拓郎の曲)』ギター弾き語りとハーモニカ』)