ここ数日、私の音楽鑑賞の焦点が高田渡に集中していた。彼を聴いたり、曲のもつ歌詞やコードを書き取ってみたり、自分で歌ってみたりした。そんな様子をここのブログに書いてSNSでシェアした。

そうしたら、ある反響をもらった。こんな曲はいかがと。それは西岡恭蔵『プカプカ』だった。

どこかで耳にしたことのある曲だった。西岡恭蔵本人の音源かもしれないが、誰かのカバーやコピーだったかもしれない。「これを聴くぞ」と意志を持って聴いたのは初めてだった。

タバコ、スウィング(音楽、歌?)、男、占い……これらを好きな女性っていそうだ。目にあまって「やめなよ」って言ってもああだこうだ言って「やめない」。あるいは、そのときだけやめた風にして結局続けている。ああ、本当に、私の身近にもこんな人がいそう。

一方で、「私とはお関わり合いのなさそうな女性像だな」というのも正直なところである。タバコだとか男だとか占いだとか歌や音楽だとか……つくづく「夜の街」を思わせるピースでこの歌の詞とメロディは導かれている。音楽のみに関しては筋金入り(?)に好きな自覚はあるものの、私との「遠さ、直接の関わりの薄さ」を感じさせておきながら、私は年がら年中、こんな女性とそこらですれ違っていそうに感じる。ヒッピーカラーの古着きてたり……(違うか)。

この曲には実在のモデルがあるそうな。安田南というジャズ・シンガーだと。

私個人との関わりの深い・浅いは問題の外だ。必ずいつも、この世のどこかに存在してきた人物像。この『プカプカ』という歌自体もそんな存在感がある。その人が「誰なのか」、個人を特定することに意味などない。というか、この『プカプカ』がこの人物像を描いた時点で、それは作り話の登場人物だとしても、そういう人格がこの世に存在することになる。なんなら、その曲が『プカプカ』という名の固有の曲でなくともいい。

「誰かが歌った、ナントカって曲なんだけど…すごくありふれてるのに具体的で、誰もがどこかですれ違っていそうなキャラが出てくる、ちょっと不機嫌なのにご機嫌ないい曲なんだよね」と私の胸の内が言う。

きっと『プカプカ』はそんなふうにして、西岡恭蔵本人以外にも歌い継がれてきた。カバーやコピーが多くて、かつて私もどこかで幾度かはこの曲と遭遇してきたのはそういうことなんだと思う。何度もすれ違ってきて、これからもすれ違うだろう。

青沼詩郎

西岡恭蔵『ディランにて』(1972) on YouTube

『プカプカ』を収録した西岡恭蔵のアルバム『ディランにて』(1972)

ご笑覧ください 拙カバー

青沼詩郎Facebookより
“高田渡を味わっていたら教えてもらった西岡恭蔵。あまりちゃんと聴いたことがなかった。とてもカバーされている『プカプカ』。ひとりの女性をちょっとずつ変えた角度で描きながら1番2番3番と歌い継いでいく。こういう人いるよなぁと、誰とはいえないけど思う。モデルは実在のジャズシンガー・安田南だとか。私の人生とは遠い人物像のような、それでいてひっきりなしにどこかですれ違っているようなリアリティがある。現世に執着があるようなないような。いつも正直なようでいつもハッタリかましているような。深いところからまっすぐ出てくるような西岡恭蔵の声が魅力。アルバム『ディランにて』、じっくり聴いてみたい。”

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