胸を流れる時

あのリババ・リババ・リバリバー……とこれでもかと繰り返すサビの結びのフレーズにリスナーの私のエモーショナルが激昂します。そして、複数のリードボーカリストがいるミクスチャー・バンドかよと思うような声色の使い分け、サウンドへの希求も10-FEETを類稀なバンドたらしめている要因かと思います。

サビやヴァースのボーカルメロディは、ドレミファソに収まる音域の範囲での跳躍、そして畳み掛ける同音連打が正直でまごころにあふれる印象です。Bメロのところでメロディや和音、サウンドの変化が訪れるのも良い塩梅。「時流れゆく事が……」のところと「聴くだけで 聴くだけで」……のところのBメロ的……すなわちブリッジ的な部分が二段構えになっており、“俺らのアンセム”として拳を突き上げたくなるサビに接続するまでにエモーションのハジける爆薬をこっくりと醸し、肥やすための然るべき尺がとられているのは日本の大衆音楽好きするこれぞなポイントでもあります。

余談ですが、ライブ(京都音楽博覧会2025の10-FEETステージ)で見たベーシストのNAOKIさんのハイキック、マシンガンの引き金を引いたまま独楽のようにくるくる回るみたいな激しいアクロバティックなパフォーマンスは、この世リスナーの胸に棲む鬱憤ゾンビを一蹴・殲滅するかのような爽快さでした。

川(RIVER)はずばり京都の鴨川をイメージさせますし、実際ソングライティングの際に鴨川を想われたとのエピソードがあるそうですが、リスナーそれぞれの胸の中に流れる観念としての河川を想起させる傑作であり彼らのライブアンセムです。

RIVER 10-FEET 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:TAKUMA。10-FEETのシングル(2002)、アルバム『REALIFE』(2004)に収録。

10-FEET RIVER(アルバム『REALIFE』収録)を聴く

聴いているといろんなことを思い出すんですよね。楽曲と直接関係のないことだとしても、自分の中に流れる川があって、それと沿ったりあるいは交叉したり入れ違ったり全然遠く離れたりして、あらゆる雑踏のあらゆる人に流れる川があるし、一人ひとり自身が河川であることを思わせます。

ギターの厚い倍音の壁。ベースの低く厚いサウンド。キックもボコボコに沸騰しそう。たまにスプラッシュシンバルがパリンとかろみをだします。

全体に倍音がぶあつく全編にわたって揚げ出し豆腐につつまれているみたいなボリューム感があります。そんななか、「聴くだけで 聴くだけで」……のところのリズムとサウンドの緩みが最高の緩急の起伏になっています。轟音の残響は思いっきりドライに殺し(ミックス上の処理でしょう)、サビの出だしを極端に際だてます。

オープニングのディレイのギター。リズムがゆるむサビ前のところはクラヴェスのような甘い打楽器の音色。エコーがたなびくような彗星みたいなサウンドは何の音色なのか。間奏やエンディング付近はエレキギターのオクターブ奏法が倍音の壁にさらなるエッジを加えます。

轟音の肉厚な壁をサッパリと両断するかのようなエンディングがいさぎよい。心のなかの川辺の眺めにふけっては、また現実の世界と戦いに行かねばという気にもさせます。

青沼詩郎

参考Wikipedia>RIVER (10-FEETの曲)

参考歌詞サイト 歌ネット>RIVER

10-FEET 公式サイトへのリンク

『RIVER』を収録した10-FEETのアルバム『REALIFE』(2004)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】胸を流れる時『RIVER(10-FEETの曲)』ギター弾き語りとハーモニカ』)