さよならストレンジャー くるり 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。くるりのアルバム『さよならストレンジャー』(1999)に収録。
くるり さよならストレンジャーを聴く
音がすこぶる私好みです。各パートの素朴な質感が実直に写しとられています。ドラムスのサウンドも、空気感がちゃんとあるのです。
そう、全体としてのサウンドの空気感の共有です。ボーカルもドラムスもベースも、歌詞もメロディも含めて全部でひとつのサウンドを目指しているのが感じられるのです。
ベースのプレイも、いわゆるベースとして紋切り型の役割に落ち着くのでなく、『さよならストレンジャー』というひとつの楽曲を一緒になって歌っているのです。私がそう思う所以は……。8分音符でまっすぐにシングルストロークを並べるところなど普遍的(ある意味、普通)のベースプレイだというのに、バンドでひとつの歌の心を目指している味わいなのです。音質的な統一感がそれを印象づけるのかもしれませんが、歌とドラムとのタイミングの良さが秘訣かもしれません。非常に精緻な問題で、基本的なのですが一番「バンド」として高等な要素だとも思います。なんだかポール・マッカートニーを思わせます。ベーシストなのだけれど、いわゆるただのベーシストじゃないのです。バンドの中の必要不可欠なキャスト、その担当楽器がたまたまベースであるだけ、というような……結局ぼんやりとした焦点の定まらないことしか言えていない私ですが……。
チャキチャキとしたアコギの響きは人間の体でいったら腰や肚のあたりのどっしり感でなく、胸のあたりを思わせる、ハラハラと感情に左右されるような浮遊感あるポジショニングの響きです。コードのストラミングをエレキでなくアコギがもっぱら担うので、楽曲のアコースティックな質感、言葉のリズム感、子音の立ち方や母音の響きの豊かさや解像度をマスクすることなく、お互いが雄弁になるサウンドの構造です。
左右にエレキギターがひらきます。右はピチョピチョと、コーラスをかけた、あるいはちりめんのように細かくワウペダルを踏んだような金属的に揺れるサウンドです(あるいはロータリースピーカーに出力したようなサウンド?)。左はエレキギターのボトルネックでしょうか。『さよならストレンジャー』の後年リリースされるくるりの楽曲『ハイウェイ』のサウンドの予言のようでもあります。
音のマッピングがシンプルで、登場パートはこれで全て。5人演奏メンバーがいたらライブでもそのまま再現できるでしょう。ハーモニーのボーカルもありません。言葉の輪郭のすべてがあらわになります。
BmとDメージャーをさまようような、いどころを探す最中のようなコード進行はまさに「ストレンジャー」のモチーフを写しています。でも「さよなら」はそれへの決別の語彙でもあります。サビ(コーラス)でわかりやすくDメージャー調になるところは、その決別の意匠かもしれません。ここでスッとおちつき、ほっとする響きになるのです。この楽曲の気持ちいいところです。
そのDメージャーの進行のうえで、ボーカルがフェイクしつつ音域的にも最高潮を迎えます。
6/8拍子と解釈していいかどうか、という本編ですが、エンディングで4/4の拍子になる感じがします。さまようトリプレットの終わりなき舞踊のようなリズムから、ようやく「下宿部屋」にありついたような落ち着きを獲得し楽曲は結びます。
これがアルバム中4曲目なのに驚愕です。ラスト曲のような感慨深さ。得たかと思った「いどころ」もやはり、あくまで下宿部屋でしかないのでしょう。まだまだこれからどこへ行くか。「ストレンジャー」の属性に決別したかと思えば、一生私もこれを読むあなたも、何かしらの「ストレンジャー」のままであるのを思います。「さよなら」の概念とも、「ストレンジャー」の概念とも、私たちは一生付き合っていかなければならないのです。作中の語彙、「鍵」(“錆びた合鍵”)のように持って歩く宿命なのでしょう。
青沼詩郎
『さよならストレンジャー』を収録したくるりのアルバム『さよならストレンジャー』(1999)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『さよならストレンジャー(くるりの曲)ギター弾き語り』)