高田渡を私が知ったのは、音楽を知るツールとしてYouTubeを使いはじめてからだった。いまの自分の人生を二分したら後半に分類できる。

小学生〜中学生くらいの頃の私は、平凡に同級生の多くが知るようなJ-POPに触れて育った。

高校生になって軽音楽部でバンドをやるようになって、海外のバンドやインディーズロックも聴いたがフォークに深い理解を築くには至らなかった。ボブ・ディランのフォークへの位置付けが許されるのであれば、知っていてせいぜい『Like a Rolling Stone』。当時気に入って聴いていた黄色いコンピ(※)に入っていた。

浪人を経て音楽大学に入ると、音楽を聴くよりも毎週の実技レッスンに備えてピアノや声楽を練習し日々の授業を消化するので時間は過ぎた。この時期より前、すでに私は自分で作曲して多重録音するようになっていた。音楽を聴くよりも「やる専門」になってしまっていた。それでは「片輪外れ」だという意識すら欠落していた。音楽はやるものでも聴くものでもあり、両方大事。やって、聴いて、またやっての繰り返しこそが音楽の本当の楽しみであり、学びでもある。また、やるとか聴くとか以上に感じるものであり、感じる以前に人を映すものである。

私が聡明で勤勉な音楽家であればもっと早く出会ったかもしれない高田渡を私がはっきりと認知するのは、音楽大学を卒業して働きだしてからの話だった。音楽を聴くメディアの比重もCDからネットにという移ろいを経つつあった。

生活の柄

音楽をやっている友人との交流の中で素敵なミュージシャンをたくさん教えてもらうことが多い。そんな中で高田渡の名を知った。手始めに……と触れたのが『生活の柄』だった。その瞬間からまたさらに数年。最近ふとまた友人との交流の中で思い出すことがあって、改めて高田渡『ごあいさつ』を取り寄せて聴いている。

『ごあいさつ』より、37:49頃〜『生活の柄』

“秋からは浮浪者のままでは眠れない”
(『生活の柄』より、作詞:山之口貘、作曲:高田渡)

作詞は沖縄出身の詩人山之口貘。実際に友人の家を渡り歩いたり公園で寝たりしたことのある人らしい。

野宿は、いまの私にとっては非日常。でも、それが日常の人もいる。私やあなたの日常と非日常は、つねに反転しうる。曖昧な境界に普遍がある気がしている。屋内は野外の中に存在する、いち特殊で限定された環境のひとつに過ぎないのだ。野のなかに「屋」がある。

温暖な季節に関しては、そこら辺でへそを出して寝ていても死ぬことはなさそうだけれど、寒さ厳しい冬季はそうはいかない。夏の終焉を肌で感じる季節になると、もし自分が路上生活者だったら「いよいよどうにかしなければ」という気になるだろうか。もしくは幾年をすでにくぐり抜けた上級路上生活者だったとしたら、「またか」と軽く思う程度だろうか。私が経験済みなのはせいぜい帰る家も着る服も食べるものも最低限ある状態で、酔っぱらって夜風にあたりながら外で寝ることの「雰囲気」を味わったことがある、という程度。

ほんとうに深刻な状況だったら、歌う(作詩する)こともままならないかもしれない。厳しい状況においても、自分を客観できるだろうか? 希望も絶望もしないで、自分から切り離して俯瞰したレンズを置くことができるだろうか。

アメリカンフォークと日本の詩の融合

アルバム『ごあいさつ』で高田渡は『生活の柄』と同じく山之口貘の『年輪・歯車』(「歯車」が山之口貘の詩。『年輪』が有馬敲の詩。異なる詩人の異なるふたつの詩を高田渡が連ねて曲をつけた)、『鮪に鰯』『結婚』に曲をつけている。『年輪・歯車』で連名になっている有馬敲が作詞した『値上げ』にも曲をつけている。

音楽の形式は評論にみられる表現を借りればアメリカン・フォーク調というのか(わざわざアメリカンがつくのはフォークの意味が広いからか)。

自分(高田渡)よりひと世代(以上)前からある詩に着目し、異質なもの(アメリカン・フォークの特徴)を合わせたところに革新・意欲・独創を認めうる。時代を越える強度を備える歌は、先人のもたらす影響をありがたく享受し、自分の判子を加えて次の世代に伝えるものだ。高田渡が『生活の柄』ほか『ごあいさつ』でみせたいくつもの曲における試みもそれに相当する。私はありがたく享受する。

思い出せば、私が音大生だったころに学んだ歌曲には、日本の近現代の詩に、西洋音楽の理論を学んだ作家が曲をつけるという事例が多かった。

学問や研究とも違うが、似てもいる。先人の残した足跡の先を見せる後日譚。トラディショナルで大衆的な手触りを、雑踏を背景に見せてくれる高田渡が素敵。いつのものともわからない。昨日や今日や明日にだって、そこらにある風景かもしれない。

青沼詩郎

『生活の柄』を収録した高田渡のアルバム『ごあいさつ』(1971)

※私が高校生の頃によく聴いた黄色いコンピ『QUE!』(2002)

ご笑覧ください 拙

青沼詩郎Facebookより
“アメリカの民謡調の曲と日本の詩や演歌の融合で高田渡は今に残る多くの作品に独自の強さをもたらした。
『生活の柄』は1971年、キングから出た『ごあいさつ』収録。キングからはファーストだが実質『高田渡/五つの赤い風船』『汽車が田舎を通るそのとき』に続く3枚目のアルバム。
『生活の柄』の作詞(作詩)は山之口貘。沖縄出身者で高田渡よりも前の時代の人であり1963年に亡くなっている。厳しい生活の実体験を多く持つ人だといい、実際友人宅や公園で寝泊まりした経験があるそうでそれが『生活の柄』に現れているのかもしれない。それでいて暗くなく、悲嘆するでもなく、淡々としていて、高田渡の声と演奏になるとただそこにある自然物みたいにこちらが手を伸ばすことを拒まない。”

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