まえがき
すべてのひとの心に永遠の16歳をプリンティングするアンセム。「センチメンタル・ジャーニー」と主題を歌うところを強く印象付ける構成が作曲の筒美京平さんらしいフック。原曲のはんなりと聴く人の心を和ませるようなサウンドが特徴の編曲は鷺巣詩郎さん。
センチメンタル・ジャーニー 松本伊代 曲の名義、発表の概要
作詞:湯川れい子、作曲:筒美京平。編曲:鷺巣詩郎。松本伊代のシングル、アルバム『センチメンタルI・Y・O』(1981)に収録。
松本伊代 センチメンタル・ジャーニーを聴く
「伊代はまだ、16だから」このキラーワードをいったい何万の国民が何億回借用・引用したのかと思うくらいに印象に残ります。主語を一人称でなく、主人公の固有名詞にしてしまったところにこの曲の潰えない光の強さがあるでしょう。そう、「歌の主人公」もくそもない。もう本当に「伊代」と、現実の歌い手自身として、歌の中の世界であろうと逃げも隠れもしない態度を、この固有名詞の誘致によって決めてしまっているのです。
「この歌の中ではこう言ってはいるけれど、別にこれは歌の中で言っているだけだから、現実の歌い手のわたし自身がそう思っていたり、この歌の内容に全面的に賛同しているわけじゃないぜ」という逃げ道が、普通どんな歌を歌う(実演する)ときにもついてまわるものです。しかし、歌い手自身が自分自身の名前を主語に挿入してパフォーマンスしてしまっているIyoのセンチメンタル・ジャーニー。なんだか箴言やお説教をいただいている気分になります。歌の世界だからってのを言い訳にしてんじゃないよ!と。歌の世界だろうとなんだろうと、どこに出ていっても恥ずかしくないことだけをずばり全身全霊で歌い、表現しなさいよ! という教訓をもらっている気分になります。
音源を聴くと、ベースに惚れ惚れしてしまいます。めちゃくちゃファンキー。音の切り方にキレがあるし、音色や奏法も変幻自在に使いわけます。スラップめいたワイルドな音色をきらめかせたかと思えば、ボディの太い音色でどっしりとシコを踏む。これにタイトなドラムの音像が共同します。キックの恒常的なピッチ(感覚)で安定を敷き、ハイハットの彩り感や高いピッチのタムづかいでラテンだかブラジル音楽っぽいフィールを出します。
シンセ系のピポピポしたまあるい音色が「笑っていいとも」的なフレンドリーな音楽のサウンド像を思い出させる編曲者は鷺巣詩郎さん。ベースやドラムがファンキーでタイトなところには作曲者で編曲まで自身で手がけたものの多い筒美京平さんの諸作品の遺伝子を感じますが、この曲の編曲者は鷺巣さんです。音楽性って伝播するものだと私個人は思うのですが、鷺巣さんが筒美さん作品のアイデンティティを意識したのか、はたまたいち演奏者の手腕によってここまでの高等なリズムが実現したのか、あるいはそのすべてか。
アイドルとしてはやや低めのポジションの松本伊代さんの歌唱が、華々しくフレンドリーで愛嬌もあるのにグルーヴィーな演奏のまんなかにすっぽりと気持ちよくはまります。シュビドゥバ……と、猛烈で洗練されたバックグラウンドボーカル群の高解像度もまた16の伊代のあどけない魅力をかえって強調します。
歌詞に機微があります。どんな「あなた」を想定して歌っているのでしょう。16の主人公に対して、大人で、その心のうちのすべてを読みきれない「あなた」を対象に歌っているのでしょうか。「謎の湖」なる単語が私の心を惹きつけます。謎であるのをそのままに謎といってしまう。相手の心の領域を「湖」で喩えたのでしょうか。
そのわからない領域への不安と好奇心の入り混じった躍進を「感傷旅行」と名付けます。これから挑むところであるならば、なぜもうすでに「感傷」になってしまっているのか。過去との対比により覚えるものこそ感傷だと思うから、何かの差異が隠れている気がして、そこがこの曲が私を惹きつける一因にもなっています。
青沼詩郎
参考Wikipedia>センチメンタル・ジャーニー (松本伊代の曲)
『センチメンタル・ジャーニー』を収録した松本伊代のアルバム『センチメンタルI・Y・O』(1981)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】 すべての心に永遠の16歳を センチメンタル・ジャーニー(松本伊代の曲)ギター弾き語り』)