まえがき
ラップのヴァースに、つぎつぎに変化するコーラスのヴァリエーションが魅せます。くるりのライブセットリストの常連曲。異端にして中央の極み!
琥珀色の街、上海蟹の朝 くるり 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。くるりのEP『琥珀色の街、上海蟹の朝』(2016)に収録。
くるり 琥珀色の街、上海蟹の朝を聴く
くるりの音源はいっぱい聴いてきたつもりでしたが、弩級に凄くて感動しています。
努めて理性を取り戻さねば……。この曲ももちろん、これまでに度々聴いてきたつもりでいましたが、改めて自分の手持ちの「本気のヘッドフォン」で目を閉じてじっくり聴いてみたなりの素晴らしさ・気づきがたくさんあります。
まずスタイルですが、ラップ。ヴァースの部分がメロディの定規に縛られないリズムや語彙、ライミングやフロウに特化した音楽スタイルになっています。ラップだからといって音程が関係ないわけではありません。それがいわゆるフロウでしょう。フロウを私なりに言い換えると、言い方です。どこをどんなふうに強調するかとか、どんな引っ掛かりのあるしゃべり方をするか、あるいは反対になめらかに言うかといった言い方全般をフロウだと私は解釈しています。
“目を閉じれば そこかしこに広がる……”と、すべり出しはまだスムースでシルキー、肌触りのやさしさがあります。しかしリリックが進んでいくにつれてリズムの緩急がマッチョになっていく……
“吸うも吐くも自由 それだけで有り難い”あたりから“ただガタイの良さには騙されるんじゃない”、演奏時間にして1:00〜1:00あたりのブっこみ具合がシック(カッケェ)です。
Ⅳの和音からはじまる循環コードを定型にしますが、ベースを経過的につなぐ半音進行や転回形をふんだんに織り交ぜるところがくるりが和音の魔術師たる所以です。こうした低音位のイニシアチブが岸田さんの作曲・編曲過程にあるのか、演奏収録時の佐藤さんの手技にあるのか尋ねてみたいですね。
また途中で転調してすっぽりとまた元の調に戻るところなどの音楽的な意外性と安定感の両立に与しています。DmあるいはFキーのフラット(♭)1つ系の調合で進めつつ、途中でGmあるいはB♭のフラット(♭)2つ系の調合に転調します。元の調に対して下属調、すなわち近親調であるので、転調しても地平の持続感があるのです。転調なのに進行自体に調和があるのです。下属調(元の調からみてⅣの調)、属調(元の調からみてⅤの調)、平行調(元の調と調合(フラットやシャープの数が同じ)を共有する調)、同主調(元の調と主音が同じのマイナーあるいはメージャー違い)などの近親調グループへの転調はクラシック音楽ですと頻出しますが、ポップスなどの大衆商業音楽では、エンディングに向かってボーカルの緊張感・高揚を高めるための半音〜長2度上げる転調が圧倒的多数です。こうした転調へのアプローチの面でも、くるりが尊重する音楽への態度がうかがえます。
ヒップホップ、ラップスタイルの音楽にクラシック音楽のような転調を持ち込んでいる。このアイディアを実践している表現者を私は今のところくるり以外に知りません。
様式や構造、それらの意匠の細部などについても万感をくれる本曲ですが、ヘッドホンで聴くサウンドの構築の味わいがまたすごい。
極めてタイトで図太い音像のベース。キックドラム。スネア。ハイハット。エレクトリックピアノ。これらがベーシックの幹を担い、音の情報量がいかような時でもだいたいこれらのパートが常にいます。ハイハットの使い方に目を見張ります。メインに、アディショナルのハイハットが別の定位からきこえてきます。2本のハイハットトラックが? かと思えば、エフェクティブな3本目のハイハットまで一瞬いるかな?と思う瞬間も。他の楽器の音色を私が勘違いしているだけかもしれません。ザッ!とエレキギターのカッティング・ブラッシングなのか、あるいはレコードのスクラッチノイズなのか、あるいはパーカッション小物のギロなのか、リズムのモブが効果を随所に添えます。
プログラミングの手腕が凄い。ストリングスの音の密度感のデザインが、まるで岸田さんがギターの演奏に込める哲学そのもののように思えるのです。豊かに鳴らすところはさながらオープンコードのコードギターのようですし、大胆に声部をへらすところは省略を効かせたカウンターやオブリのギタープレイみたいに思えるのです。
はらりと羽をこぼして飛び去るようなハープのグリッサンド音、グロッケンやウィンドチャイム。
ボーカルの定位はコーラスの時に左右・中央に輪郭が分身する感じ。「Ha~ah」といったバックグラウンドの絡み方もオシャン(おしゃれ)、洗練の印象で「街」のモチーフを描くよう。
エレキギターの歪んだ印象のオープニングのリードに対して、エンディングはクールなジャズが出てきたかとうっとりしているうちにあっというまに夜明けがきてしまうみたいに環境音に溶けてしまいます。オープニングとエンディングが雑踏の環境音でフレーミングされていますね。これは上海の実際の音声でしょうか。
これにUCARY&THE VALENTINEのボーカル客演です。甘くくすぐったく、艶めきと闇のような吸引力、絹のような滑らかさと樹皮のささくれ・薔薇の棘のようなテクスチャ、動物的な狡猾さと植物的な静けさを兼ね備えた魔性の声色が上海を実在の街をモデルにしたおとぎの街に昇華します。
録音物としてもヤバイ(理性・語彙消失)ですが、本曲はくるりの生演奏、ライブのセットリストでも頻繁に扱われます。プログラミングと生演奏の接合を果たした革命的な録音作品でありながらも、その本質は生演奏による再現性を意識してか無意識の下か尊重しているところが私に深く刺さります。タイトなドラムとベースに、ふわふわとただようエレクトリックピアノの和声、随所に光をほとばしらせるリードギター、そして声のライム・アンド・フロウ・アンド・シンギングが織りなす人肌・骨肉と都市のテクスチャ。このあたり一通りのパートがあれば本曲のアイデンティティの魂柱の表現が成立します。
青沼詩郎
参考Wikipedia>琥珀色の街、上海蟹の朝 くるり公式サイト>ディスコグラフィ>琥珀色の街、上海蟹の朝
『琥珀色の街、上海蟹の朝』を収録したくるりのEP『琥珀色の街、上海蟹の朝』(2016)
『琥珀色の街、上海蟹の朝』を収録したくるりの結成20周年ベスト『くるりの20回転』(2016)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】弾き語れるライム&フロウ! 琥珀色の街、上海蟹の朝(くるりの曲)ギター弾き語り』)