思秋期 岩崎宏美 曲の名義、発表の概要
作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし。岩崎宏美のシングル、アルバム『思秋期から…男と女』(1977)に収録。
岩崎宏美 思秋期(アルバム『思秋期から…男と女』収録)を聴く
携わる数多の演奏者・作家・実演家の人生がこの作品『思秋期』で交差しているわけです。ひとりで宅録でパソコンをつかってチマチマしょぼい音を録り重ねているのがばかばかしくなるほどに品質の高さを感じます。いえ、ヨソと比べて自虐的になってはいけませんね。とにかく『思秋期』に込められた音の数々、その織りなすコンテクスト、テクスチャーが素晴らしいとひとつ言いたいだけなのです。
岩崎宏美さんの歌手としての突出ぶりも目を見張ります。音程がどうのとかそういうレベルを超えている。歌手とはこういうものだと教科書に載せるなら彼女を選ぶのが私の一解です。
メロメロでウルウルの情緒たっぷりのサウンド、曲調は「あれ? これ、谷村新司作品だったったけ?」と私を惑わせます。これを「谷村新司っぽい」と思わせる谷村作品が音楽界に与えた影響の大きさも同時に思います(『思秋期』に直接関係のない話を盛り込んで恐縮です)。
ストリングスがゥワっと高鳴り目を奪います。絢爛に雅に、ピアノが視界を横切ります。ホーン、ブラスがバーっと踏切を通過する急行列車のように私の当惑をどこかへ連れ去っていきます。種々のサウンドが、秩序と調和のもとに統率されて流れていくのです。
音楽でも美術でも、行き当たりばったりで手指の瞬間的な趣を尊重したコラージュ作品はそれはそれで魅力があると思うのですが、『思秋期』の音のモチーフそれぞれのハマりかた、「流れかた」とでもいいましょうか、機能の相互関係が私の語彙を超越して感情を季節の輪廻の向こうに昇華します。実に見事な構築・協和美です。その質量の高さで言葉を奪い、連れ去る。音楽のブラボー!の瞬発的な奇跡がここにあります。
主題『思秋期』 思春期へのカウンター、あるいはバリエーション
いうまでもなく、主題は一般的な言語表現「思春期」に対するカウンターでありバリエーションとしての創作の試みです。春の少し先のストーリー。プロセス。春のすぐ鼻の先が秋だとも思います。
春を青春時代の象徴と解釈した場合、その先が秋だと解釈できます。つまり、必ずしも季節としての秋を指すともかぎらない。たとえば高校・大学と卒業し、自立して社会人になるころ……青春時代を振り返るその瞬間が秋かもしれません。
あるいは社会に出たての人にしみじみ過去を振り返る心の余裕も時間の余裕もないとすれば……中年や老年になったときに若い頃を振り返るのが秋かもしれません。それはもう冬か?思冬期という曲も書けそうですね。
『思秋期』を収録したオリジナルアルバムには、『思秋期』の作家:阿久悠・三木たかし同一コンビによる『恋夏期』も収録されています。明らかに『思秋期』を意識した、連作のような試みですね。『恋夏期』は甘くてさわやかでやわらかな陽光のようなポップスになっています。
人生を季節にいくら喩えても喩え切ることがないから、季節の歌は生まれ続けるのでしょう。
青沼詩郎
『思秋期』を収録した岩崎宏美のアルバム『思秋期から…男と女』(1977)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『思秋期(岩崎宏美の曲)ギター弾き語り』)