ねている世界 ねごとの罪を問えるか
ねごとは寝ているときに発するので、本人が覚えていない場合があります。
いっぽう、半分くらい覚醒している状態で放つ寝言もあるようです。「●●という寝言を言っていた」という指摘を一緒にいた人からされて、言われてみれば「それ、言ったわ」という自覚がある経験が私にはあります。
夢のなかでは、理性がきかないことがあるようです。現実では理性がはたらくので決してそれをしないけれど、夢の中ではしてしまうということがあると思うのです。たとえば、人殺しをしてしまう夢をみるとか、死体を隠す夢をみるとか……暴力だとか、性欲だとか、道徳・倫理の崩壊した化け物になってしまうようなことが夢のなかではありえるでしょう。
そもそも、夢のなかのその状況になることが現実ではありえない(そもそもの状況設定がありえない)、という場合が多いと思うので、「現実であればそういう状況になったとしても、そんな行動や決断・選択をすることはない」と否定する材料自体がそもそもないのかもしれません。夢の中での行動の正当性を問うこと自体がナンセンスなのです。
夢のなかでたとえば欲に身を任せた行為だったり非人道的な行為をしてしまうのは、現実でそういう願望を持っているからだ、という論があるかもしれません。ですが「そんな夢をみるのは、現実でもそういうことを思っているからだ」などと、誰が責められましょう。心の中は自由ですし、何かの刺激を受けて、反射的に何かを想起すること自体は無罪ですし、自然なことです。
たぶん、脳のいちばん内側にある領域は、生命や種の存続のため、食や繁殖のための能動性の塊なのです。きっとその外側にどんどん、社会的で理性的な、知性ある種としての人類たらしめる領域が形成されているのです。そういう複雑な層をもつ脳という器官を基礎にした心の反射や反応と理性の折衷の果てに実際の身のふるまい方を制動したり解き放ったりするのが、現実のあなたなのです。言い直しましょう、現実のあなたが、心をまとうのです。
夢は、実際の本人の記憶から、人生のなかでふれたありとあらゆるフィクションの娯楽作品や芸術、それらから転じて副次的に想起した光景まで、あるいはそれ以上のものがチャンポンされて、ムチャクチャで多次元の枠型にドリップされた混沌そのもののように思えます。理性のものさしとは規格違いなのです。
ところで、作曲もやり慣れると、夢の中でかなり細部まで具体的に実施しているなんてこともあるようです。作曲というか、単に覚醒間際に頭の中に鳴っていた実在するようなしないような音楽……というのもあるでしょうが……夢の中で作曲されたというエピソードを持つ有名曲もあるといいます。
夢で起きていたそれを、起きて(覚醒して)すぐに覚えているうちに書くとか録音するとかすると、現実に引き留めることができます。寝言みたいな音楽と一蹴するにはあまりにも傑作だということもありそうです。起きた後の世の中に飽きたら、チャレンジしてみては?
RCサクセション スローバラード 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:忌野清志郎、みかん。RCサクセションのシングル、アルバム『シングル・マン』(1976)に収録。
RCサクセション スローバラード(『シングル・マン』収録)を聴く
サックスと忌野さんボーカルの2本の柱がみえます。ピアノのオブリガードが雄弁。
繊細で儚げな表現から、“悪い予感のかけらもないさ”の圧巻の叫び上げ。だきしめたくなるような可憐さと、暴れ出しそうな攻撃性が両立した世にも奇妙な愛のバラードです。
エンディングのサックスの超高音のロングトーンのクレッシェンドが圧巻です。なんの音色なのか見紛う音の立ち上がりで、ああ、これはサックスなんだと。忌野さんの歌唱と、このサックスの演奏が、主人公と、その相手の表現におもえます。
右にピアノ、左にプレーンなギターでひらいた定位をつくります。ドラムスがとてもタイト。キックはまんなかあたりに感じる気もしますがスネアとハイハットを右よりに振っている感じです。ドラムが寄って空間があいたぶん、プレーンなベースが聴きやすくなっている気がします。エンディングあたり激しいフィルインも入るドラムスですが、音像を制し切っている(コントロールできている)印象で、録音作品として他パートもふくめて美しく収まっている様子が圧巻です。
ストリングスはベン・E・キングの『Stand By Me』をおもわせます。RCサクセションなりの、まったくかたちの違ったラブソング:『Stand By Me』なのかもしれません。ストリングスひとつとっても定位を演出してあり、いろんなところからいろんな表現(ピツィカート、アルコ……)がきこえてくる感じ彩り豊かです。
“あの娘のねごとを聞いたよ ほんとさ 確かに聞いたんだ”
(RCサクセション『スローバラード』より、作詞:忌野清志郎、みかん)
どんなねごとを聞いたのでしょう。“悪い予感のかけらもないさ”と、「ない」ことをあえて云うことで、「ある」ことをかえって強調します。
想像がたやすいのは、相手が自分以外の異性の名前を寝言でいってしまうことでしょう。悪い予感しかないうえ、相手においては無意識……「寝言」なので悪気がありません。寝言で、相手以外の異性の名を唱えたからといって、それはその人の意思と直接どの程度の関与があるのかを問うことは難しいでしょう。だからこそ……「寝言」がイノセントなものだからこそ、それを観察した側は、心を揺さぶられたり、傷ついたりすることもあるのです。
“ぼくら夢を見たのさ とってもよく似た夢を”
(RCサクセション『スローバラード』より、作詞:忌野清志郎、みかん)
どんな夢なのでしょう。ふたりがそろって、ふたりが未来永劫一緒にいるのとは違う……別れる運命の夢をみてせつなく、かなしみに沈んでしまったような顛末を想像してこちらの胸まできゅぅっとすぼまる気持ちです。『スローバラード』に通底するぞくぞくするさびしさの正体は、寝言の儚さと無自覚な残酷さなのかもしれません。
青沼詩郎
RC SUCCESSION ユニバーサルミュージックジャパンサイトへのリンク
RCサクセションのアルバム『シングル・マン』(1976)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『スローバラード(RCサクセションの曲)ピアノ弾き語り』)