季節は張り付く粘度があります。9月になると、ぱっと夏が消えたみたいな気がするのですが、実際には暑くなったり涼しくなったりを繰り返しながらねっとりと秋へと移ろっていきます。長く伸びた夏の影は、秋の朝の光とクロスしているのです。
外はいい天気 はっぴいえんど 曲の名義、発表の概要
作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一。はっぴいえんどのアルバム『HAPPY END』(1973)に収録。
歌詞 物憂げなみずいろ
“水いろのひかりさしこむ窓に きみはひとりぽつん 風にきみの顔がにじんで 水いろの陽に濡れる机(テーブル)に きみはほほづえついて 今朝の夢のつづき思い出す ”(『外はいい天気』より、作詞:松本隆)
いつの季節を歌った詩なのでしょう。寒い冬を経て、水色の雨季を目前にした春の陽光なのか。あるいは「いい天気」は季節を選ばず年中潜んでいます。
陽の光はものをあたため、じめじめを晴らすモチーフに思えるのですが『外はいい天気』では、テーブルを「濡らして」しまいます。
大滝詠一さんの独特のじめっとした粘度ある歌声は詩のラインを声で抽出し、私の耳にスポイトで水をひっかけて戯れます。テーブルも私の耳も、光でびちゃびちゃです。
この陽光が「水いろ」だというのがまた美妙です。ガラスを通っているからなのか。陽光のモチーフに対して黄色、金色、オレンジ、赤などの暖色系のイメージを私は寄せがちです。
実際の太陽の光は何色でもありません。同時に、何色でもあるのでしょう。科学に博識な人は、太陽の光にはすべての色の波長が入っているよ、などというでしょうか。実際どうなのか知りません。
光、陽光といったモチーフに色を見出す自由があるのですね。水色は物憂げです。
“さあ あたまに帽子のせて でかけなさいな ほら外はいい天気だよ 水いろのひかりあふれる部屋に 朝は悲しすぎる 風にきみの夢がにじんで”(『外はいい天気』より、作詞:松本隆)
何かの事後の喪失感を私に与えます。
朝は無垢だと思うのです。なのになぜ、デフォルトで悲しいのか。何かがあったに決まっている。それが「きみの夢」の正体だと私のなかのぼんくら探偵が叫ぶのです。
窓を通って、部屋のなかを濡らした光で私はびちゃびちゃになった気でいるのに、いつのまにか風を感じています。帽子を帯びて外に出たのでしょうか。夢ばかりがこびりついてまわります。部屋のなかでもそとでも関係がありません。帽子は、夢を外に持ち出すための道具なのかな。空想をくれます。
はっぴいえんど 外はいい天気 リスニングメモ
オルガンがきらびやかです。光に満ちて感じます。プロコル・ハルムの某有名曲を思い出しますがこんな感じのオルガンだったかどうか……オルガンの長い保続音を聴くと「光」を想起するから不思議です。オルガンのサウンドも多様ですから、たとえばGS(グループサウンズ)でしばしば出会うピーピーとエッジ―でチープでインスタントな商業音楽を感じるものもありますし、この『外はいい天気』のように神妙で平静な洗われる気持ちを誘うものもあります。オルガンの多様な音色が私は好きです。
やわらかい陽光のようなサウンドとソフトな歌唱。リズムがかろやかにハネます。やわらかいクセ毛の毛先みたいに軽いです。鼻息で揺れんばかりに可憐です。鍵盤のかろやかなダウンビートは木村カエラさんの『Butterfly』のイントロ付近を思い出させもします。ありがたくて、美しい心象。結婚式の新婦のように純白で儚い存在感。
特別な一瞬のようでいて、小さな部屋での日常を抽出したプライべート感もあります。
「ァッハ~」「トゥル」……とでもいうのか、歌詞にも文字にもならない繊細で微妙な大滝さんの歌唱が縦横無尽で天真爛漫。スキャットというのかフェイクというのか。楽譜に起こしてもDTMにプログラミングしてもつまらなくしかならない息遣いが画面を覆います。水彩画のような目に軽い質感です。
嘆くように、音程を揺らす断続的なエレキギターの音色が硬質で透明で虚しく、びちゃびちゃな潤いです。
青沼詩郎
『外はいい天気』を収録したはっぴいえんどのアルバム『HAPPY END』(1973)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『外はいい天気(はっぴいえんどの曲)ギター弾き語り』)