「春」の幅
春は意味が広い。季節を示す「春」もあるが、何かいいことの到来の象徴として用いる「春」もある。後者の場合は、実際に「季節としての春」の訪れとのダブルミーニングで用いる場合が多いと思う。だから、「季節としての春の到来」の中に含まれているニュアンスといえる。
春にまつわる意味の含みとして挙げた「何かいいことの到来」だが、「何かいいこと」といいつつ、多くの場合恋愛の成就を示す用い方だと思う。
どれだけ恋愛成就は世の人の命題なのだろう。私は自分を振り返って恋愛成就が大切なミッションだった時期も確かにあると思うが、これを読んでくれたあなたはどうか。恋愛が人生の重要事項の時期はあったか? 今まさにその最中か?
現在と過去を見通せば、きっと多くの人に接点のあるテーマなのだと思う。それだけ、春は大衆歌のモチーフやテーマに用いられる。
ダ・カーポ『宗谷岬』を聴く
主音の低音保続で上声部の響きが移ろうおおらかな曲想。広い海、ひらけた空、壮麗な眺望を想像する。コンパクトできれいなABA形式の3コーラス構成。笛、弦、ピアノの編曲もぴしっときれいな意匠。
まっすぐで均整のとれたヴィブラートする歌唱が美しい。榊原(旧姓:久保田)広子の女声メインに、Bパートで榊原まさとしの男声の歌詞ハモが支える。
イントロの笛の音はなんだろう。オクターブでユニゾンしている。オカリナの音色かと思ったがリコーダーっぽくもある。オクターブ下でユニゾンするパートはエレクトリック・ピアノの音色だろうか。悠然として浮世を離れた寛容さを感じる、ペンタトニックの民謡調のモチーフが雰囲気を演出する。
間奏やオブリガードのホルン?などの管楽器のモチーフは根音に対してメジャーセブンスやシックスの音程を顕す。調和した響きと洒脱な響きの両方を備えていて素敵なアレンジだ。
『宗谷岬』発表の概要や作詞・作曲者について
夫婦デュオのダ・カーポによるカバーは1976年。『みんなのうた』で放送された。
原曲は1972年、黒木真理のシングル。作詞:吉田弘、作曲:船村徹。
原曲の黒木真理の歌唱や楽曲のアレンジにはより強い哀愁を感じる。民謡の土くささも強く匂い、こちらも味わいがある。あなたも探して聴いてみてほしい。
『宗谷岬』歌詞の情景
「宗谷岬」「流氷」と名詞を聞くと冬の北海道を思い出す。今の季節(執筆時:2022年12月20日)にうってつけだなと思う。でも“流氷とけて 春風吹いて”(『宗谷岬』より、作詞:吉田弘)とある。春の歌なのだ。私は早とちりだ。
春の意味は広い。お正月には「新春」の二文字が溢れる。どこに溢れるかといえば、私の記憶の中のテレビ番組である。何かと「新春スペシャル」的な冠を付しがちである。
それから年賀はがきに「賀春」の二文字があふれる。これも私が実家に住んだ頃に父や母あてにわんさか来たはがきの上に踊った二文字。ここにも「春」がいる。
春と聞けば早くても二月下旬、3~5月をざっくり想像する。でも5月は初夏だとも思う。春は1~3月くらいな気もするし、でもそこに含まれる1~2月は冬だとも思う。季節には幅がある。季節を指す言葉にも幅がある。言葉に幅があるのは観念の広さだ。
“ハマナス咲いて カモメも啼いて” “ハマナス揺れる 宗谷の岬”(『宗谷岬』より引用、作詞:吉田弘)とある。「咲く」のだからハマナスは花なのだろう。ハマナスを記憶の引き出しに未収容の私。宗谷岬に分布し、春に咲く花なのだろうか。
大衆歌には花が頻繁に登場する。開花には時期がある。固有の花を歌詞に用いると、歌の舞台設定を詳細に演出できる。その花が出てくるのだから、その花が生きる地域、咲く時期の情報をその歌に込めて表現できる。ここでいえば、「ハマナス」と含めるだけでその花の固有の時期と地域を提示できる。便利すぎるだろ。
もちろん歌はフィクションでもある。実在する特定の花の名を歌詞に含めておいて、ほかの描写や表現による時期や地域の不整合を来しても、その歌の中の架空の世界においてはそれでいいのかもしれない。でも歌書き職人ならば道具(言葉)を知り尽くし、使いこなすだろう。特定の花がもつ、現実の開花時期や地域をふまえてその花をモチーフとして登場させれば、作品としての意匠は高まるはずだ。
特定の花を主題として扱い、実際の知見を頼りにその脇をほかのもので演出すると不整合は起こりにくいかもしれない。花の名前をタイトルに含む大衆歌は多い。『宗谷岬』ではハマナスはいちモチーフの扱いだと思うが、印象を占める割合は大きい。
花によっては、年がら年中、よっぽど厳しい気候の極地でもなければいつどこで出会ってもおかしくないものもある。日本の東京のありふれたベッドタウン暮らしの私としては、たとえば花屋や路上の花壇などでパンジーを見るのは常である。パンジーを歌詞に用いて私に特定の季節を想起させるのは難しそうだ。
あるいはただ「花」と提示するだけで「春」を想起させる向きもある。外気が温暖に向かう春は、日本において花の季節のなのかもしれない。春に咲く花は多そうだ(あいまい)。
“しあわせ求め さい果ての地に それぞれ人は 明日を祈る 波もピリカの 子守のように 思い出残る 宗谷の岬 流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬”(『宗谷岬』より引用、作詞:吉田弘)
上は『宗谷岬』3番の歌詞である。この作品は1番も2番も情景描写に徹している(参考:歌ネット>『宗谷岬』へのリンク)。特定の主人公が不在だ。宗谷岬一帯をフレーミングし、移ろう景観を俯瞰している印象。「カモメ」「外国船」「ハマナス」「流氷」といったモチーフが舞台のイメージを助ける。
「個」でなく「一帯」の演出に、人の営みの普遍、大衆性の一端を見る。風情の観念。距離をとって見守る視線が、かえっておおらかな愛情の存在を私にほのめかす。好きな歌である。
『宗谷岬』 歌詞に登場する名詞にまつわる補遺
宗谷岬 旅人を引き寄せる北の最果てと、祈りのイメージ
「最たるもの」を人は好む。2番目じゃだめなのだ。1番のものと、それ以降のものの間に乖離した幻の価値を見るのだろうか。宗谷岬は日本の最北端に位置する。北海道・稚内市内。何かの成就を祈願して訪れる人が多いのだろうか。
「祈り」のイメージは宗谷岬公園に大岬旧海軍望楼跡(Wikipediaへのリンク)があることに由来するのだろうか。個人の日常の幸せも、広義の平和への祈りに通じるといえばそうだろう。それ以前に、地理的に霊感(?)をもたらす、つまりパワースポットなのかもしれない。
「最北端」は観光客を強くひきつける。寒さ厳しく、強い風吹きすさぶ、遠い遠い辺境(失礼)にさえ、人を呼び込む「最も北に位置する」という価値。あなたはどう見ますか?(といいつつ、私も行ってみたい気持ちはある)
ちなみに、同じく宗谷岬にある「祈りの塔」の建立は1985年であり、楽曲『宗谷岬』が黒木真理の1972年のシングルとして発表されるよりも後の建立である。「祈りの塔」は1983年に眼前の海域で起きた大韓航空機撃墜事件(Wikipediaへのリンク)の2周忌に遭難者の慰霊と世界平和への願いのもと建立された。楽曲『宗谷岬』が発表される1972年の時点ですでに、宗谷岬には「祈り」と紐づくイメージが人々の間に醸成されているのを推察する。
場所の何が人をひきつけるのか、言語化の難しさを思う。北の果ては、旅人の何を満たすのか。「果てた北」を満たすために、旅人が訪れるのか。
稚内の楽しみ方 WOW!50>まずは「てっぺん」を制覇してみる。 サイトへのリンク
ハマナスってどんな花
ハマナスは実際に北海道でみられる。北海道指定の花。分布は東アジア~東北アジアの温帯~冷帯、日本、朝鮮半島、中国北部、ロシア東部だという。
開花時期は6~8月。私の想像する春よりもだいぶ遅い時期だ。北海道は私の住む東京とは気候が違う。たとえば桜(ソメイヨシノ?)にしても、東京で見られるのよりも開花時期が遅く訪れる。楽曲『宗谷岬』の描く時期は、果たして現実のいつ頃なのか。ネットで拾えるハマナスの開花時期は地域の違いによるを幅を含めても6~8月程度ということなのだろうか。
検索でヒットする画像をみるに、花の色は私に言わせればショッキングピンクに近い。鮮烈な色だ。
浜茄子は浜の茄子と書くだけあり、海の近く、砂浜一帯でも生育する。「茄子」はあて字という説があり、熟した果実が甘酸っぱく梨のようだから「ナシ」がなまり、あて字をほどこし「浜茄子」となったのだとか。バラ科の植物だからリンゴとも仲間だ。じゃあ浜林檎でも良いじゃないか。画数が増えるか。
ジャパニーズ・ローズとも呼ばれ、果実は国産のローズ・ヒップだという。ローズ・ヒップはハーブティーに用いれば甘酸っぱいおいしいお茶が抽出できる。ビタミンCが含まれる。ハイビスカスとミックスした商品も飲んだことがあるが、酸っぱさや色味がより鮮烈に感じる。
参考:北海道のホームページ>建設部>まちづくり局都市環境課>hana>flower>ハマナス(浜茄子、浜梨)
流氷がとける時期
流氷がとける時期とはいつなのか。ハマナスの花が見られる時期と重なるのだろうか。北海道立オホーツク流氷科学センター(サイトへのリンク)Webサイトによれば、3月中旬から融け始め4月下旬までおよそ1か月半かけて融けるという。
4月下旬になれば、6月頃に始まるハマナスの開花時期が意識の視野に入るのもうなずける。
あらためて『宗谷岬』歌詞を見る。“流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺れる 宗谷の岬”(『宗谷岬』より引用、作詞:吉田弘)とある。
「流氷とけて」「春風吹いて」といった表現から安直に春を想起した私だが、『宗谷岬』は冬から春、春から夏への移ろいを、幅をもって描いた歌なのかもしれない。寒さがゆるみつつあるのを感じながら、温暖で過ごしやすい季節を望む期待感。希望に満ちた歌ではないか。
2番の歌詞“吹雪が晴れて しばれがゆるみ 渚の貝も 眠りが覚めた 人の心の扉を開き 海鳴りひびく 宗谷の岬”(『宗谷岬』より引用、作詞:吉田弘)がそうした胸中を象徴して思える。スポット(点、一時期のみ)で訪れる旅人でなく、幅をもって移ろいを観察する者の視線を感じる。この地を郷土とする人の心だろうか。
アイヌ語のピリカの意味
3番の歌詞に登場する「ピリカ」とはアイヌ語で「うつくしい」「きれい」「立派」「豊か」といった形容の言葉のようである(参考:Wikipedia>ピリカ)。検索するに、「かわいい」など、もう少し意味の幅が広そうな様子もある。いずれにしても、肯定的な表現だ。
ピリカは形容詞的な言葉に思えるが、『宗谷岬』の歌詞では“波もピリカの 子守のように”(『宗谷岬』より引用、作詞:吉田弘)と、名詞の形で用いられている。「ピリカな人の子守のように」すなわち「うつくしい人の子守のように」といったニュアンスと解釈してよさそうだ。「美人」といったことでなく、生活や命のたくましさがにじみ出たみずみずしい様を想像する。
西東京・西武柳沢の味噌ラーメン店 ピリカ
蛇足だけど、私が「ピリカ」という単語を初めて認知したのは、地元の西東京・西武柳沢付近にあったラーメン屋の看板だ。店名が「ピリカ」だった。私は店に入ったことがなかったうえ、ずっと「ピリカ」の意味を知らずにいた。
「ピリカ」の主なメニューは味噌ラーメンだったようで、北海道のご当地ラーメンを思わせる。看板にはアイヌの女性が描かれていた。老舗だったが、2019年に閉店した。現在は東久留米・滝山団地あたりの「珍来」という店で、同じ店主が腕をふるっているという。そちらを継ぐために、西武柳沢のピリカを閉店したようだ。
北海道スタイル?のメニューを出すラーメン店が、店名にアイヌ語を選ぶのはまあうなずける。が、ラーメン屋っぽい店名とは言いがたいし、ラーメンはアイヌ料理でもない。
「きれい」「美しい」といった「ピリカ」のアイヌ語の意味を考えると、ラーメンを褒めたり称賛したりする形容ともズレた印象があるが、そこがユニークだし風情があって良い。事実、長く愛される店だった様子がネット上のグルメ系ブログやレビューにうかがえる。一度も入店したことのない私は語り種に不足するが、いつか東久留米・滝山のほうの「珍来」に行ってみたい。
あとがき 宗谷岬 移ろう情景を受信するアンテナ
冬の歌だと早とちりした『宗谷岬』は春の歌だと思い直し、さらには夏を望む、移ろう時間や情景の幅を映した歌だと気づく。ダ・カーポが原曲の歌手だという認識も早とちりで、ご本家は黒木真理だった。
祈りのイメージと宗谷岬の関係についてネットで漁り、土地の背景にある日露戦争や航空機にまつわる事件の存在を知る。最北端の地理は、スピリチュアルな恩恵も、惨たらしい人災・天災もさまざま引き寄せるのかもしれない。海に向かってせり出す地形、岬の命運。アンテナのように突き出たその形ゆえ、あらゆる事物への高い感性を秘めて思える。
ハマナスも生育条件や品種によっては、流氷がとけるなり……つまり、いわゆる「春」の訪れとともに咲き出す個体もあるのかもしれない。果たして「夏を望む歌」は言い過ぎなのかどうか? 私も自分の目で、時間の幅をもって「宗谷岬」を観察してみたい。あと、味噌ラーメンたべたい。
青沼詩郎
ダ・カーポ(DA CAPO)公式サイトへのリンク 夫婦デュオのお二人の娘でフルーティストの榊原麻理子も2008年頃〜ダ・カーポの第三のメンバーとして活躍される。ご出身校が私(筆者・青沼)と同門の東京音楽大学と知る。
関連リンク:北海道STYLE>『宗谷岬』音楽碑『宗谷岬』作詞者の吉田弘は稚内市在住歴がある様子。『宗谷岬』は実際に、時間の幅をもっての観察に裏付けられた秀作といって良さそうだ。
『宗谷岬』を収録したダ・カーポの『ブーケ』(オリジナル発売年:1976)
『宗谷岬』ほかを収録した『ダ・カーポ デビュー35周年記念 メモリアルCD-BOX 名曲大全集 ~HEARTFUL BEST~』(2008)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『宗谷岬 ピアノ弾き語り』)