まえがき

「レー・ラー」(ⅰ,ⅴ)……の超シンプルなモチーフのリフレインに、ギター類やドラムのシンバルのオープンなサウンドの倍音が響きの幅をなし時空一帯をひっくるめた愛を持って聴き手に迫ります。アメリカ録音とイギリス録音作品の折衷になっている同年のオリジナルアルバム『NIKKI』にも収録されています。「グラスマン」(芝生男?)と呼ばれる、シングルやMVのビジュアルイメージもインパクトがあります。夏が終わりに向かうわびさびを抽出した平易で普遍的な歌詞の言葉、ボーカルメロディの抑揚がオープンな響きのバンドのサウンドを背景に聴き手を回顧の青い庭に誘います。

Superstar くるり 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:岸田繁。くるりのシングル、アルバム『NIKKI』(2005)に収録。

くるり Superstarを聴く

左右からエレキギターの壁が迫ります。壮麗な音の厚み。ボーカルトラックも厚いです。最初のコーラスはオクターブ下で。オクターブ上のファルセット風の儚く繊細なリードボーカルメロディのユニゾンがわびさびです。

厚いギターの雲が、すこしどいて晴れ目がさす瞬間があるんですよね。特に間奏が明けて、ギターの厚みに少し風通しが出てくるところが泣かせます。つねに倍音に満たされていて、響きの豊かさで語る曲だとおもうけれど、その豊かさのなかに響きの起伏をつけて、なだらかに猛烈な感動を私の中に巻き起こすのです。“誰もがリフレインに涙する”(『Superstar』歌詞より、作詞:岸田繁)。そうだ、このこのことかもしれません。雲のきれ目から光がさして、例のくだんの「レーラー」……のモチーフがまたさしてきます。何度でも私の心によみがえり反芻する記憶のよう。それがだんだん美しく思えてくる。

記憶が、事実がはじめて生じる瞬間はなんともないのです。それは手垢のない、ただの純白の、生まれたてのマテリアル。なんの役割を担うとか、どんな機能を満たすとか、価値をみいだされたりレッテルを貼られる前の無垢な元素なのです。

それを、時間を経て、多様にあつかい、反芻する中で、あれは美しいものだったな。それがいまも私のてのひらのなかにあるんだなと価値づけがほどこされるのです。

この楽曲『Superstar』自体も私にとってそうなのです。曲の発表時の2005年、リスナーの私はそれこそくるりの曲くらいしかろくに聴かない門戸の狭い音楽リスナーだった私は、音楽大学受験のために浪人生をしていました。あの記憶はつらかったけど、手に残るこれはきっと美しいんだなと思えました。この楽曲『Superstar』のおかげです。ありがとうございます。この曲自体が私のSuperstar。

青沼詩郎

参考歌詞サイト 歌ネット>Superstar

参考Wikipedia>Superstar (くるりの曲)

くるり 公式サイトへのリンク

くるりのシングル『Superstar』(2005)

『Superstar』を収録したくるりのアルバム『NIKKI』(2005)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】回顧の青い庭へ Superstar(くるりの曲)ピアノ弾き語り』)