まえがき

みうらじゅんさんの真ん中分けの長髪スタイルは、栗田ひろみさんが好きだということに由来するのだといいます(みうらさんの著書『「ない仕事」の作り方』参照)。 その栗田ひろみさんを未鑑賞だった私、訊いてその魅力にふれました。歌唱のピッチに若さが映り込み、ノリが良くはつらつとしています。音楽ってのは生身のその人なんだよ、それを私は味わいたいんだと自分の個人的な音楽への思いを確かめさせてくれる体験でした。それがたとえ世の中のエンターテイメント音楽の主たる価値観を外れようとも……生身の解像度が映る演奏に、作詞・作曲に私は魅力を感じるのです。

太陽のくちづけ 栗田ひろみ 曲の名義、発表の概要

作詞:山口あかり、作曲:森田公一。栗田ひろみのシングル、アルバム『太陽と海とオレンジ』(1973)に収録。

栗田ひろみ 太陽のくちづけ(『ゴールデン☆ベスト 栗田ひろみ』収録)を聴く

愛嬌で聴く者をひきこみます。楽譜に書いてある音程、その基準となる定規があったとしてもそれはそれ。そのプロットをもとに、実演するのは演奏者であり歌手の生身(もちろん打ち込み:プログラミングも広義の「実演」なのですが)。演奏の魅力は、いかにホン(台本、フメン、プロット)を自分のモノにして、実演者から直接、今この瞬間に抽出されたかのように目の前のリスナーに、スピーカーの向こうの時空を超えた探究者に届けるかなのです。

「愛してね」っに入るところのふわっと力をゆるめる歌唱。「いつまってでもっ、wow wow wow」……という「も」に登る瞬間の跳躍の可憐な引っ掛けぶり。定規の記す音程に果たして届いたのか?! いや、もう届いてなくたっていい。っていうか、栗田ひろみが定規で、栗田ひろみが秩序で、栗田ひろみがルールで、栗田ひろみが神で、栗田ひろみが母で、栗田ひろみが空(天)であり地である……ここはそういう世界なのです。すべてが栗田ひろみ(敬称略でいまさら失礼します)なのです。わかります、みうらじゅんさんが自分のすべてを栗田ひろみそのものにチューニングしたいとまで思う魅力が。その破壊的な影響力、強烈な太陽風が時空を超えて画面を超えてスピーカーコーンを超えて私のもとまでやってきて前髪を揺らしている。これは事件です。。

右にエレクトリックピアノの可憐で緩急の効いた演奏のブラボー。経過的なフェイク・装飾が達者です。左で対になるのはマリンバ。「愛してね」「愛してよ」をレスポンスするのはこのエレピとマリンバのコンビなのです。あえてバックグラウンドボーカルなどに、発声でレスポンスさせるようなアレンジはしなかったことにより、栗田ひろみ神の直接の言葉がリスナーの心を漂う余白が生じている絶妙。

ストリングスの緩急もよく、間奏ではブラスが華を散らします。真ん中ではボボッボ……とベース、ドラムスはタツっと短くミュートの効いたサウンド。

歌詞に「ギターをひいて 歌う時」……とあるところで、ギターの音がしてきそうなのは空耳。この曲のアレンジにはギターがいません。心で補聴せよ。

“夜明けはちょっぴり つめたいわ 縫ってあげましょ 海の服”(『太陽のくちづけ』より、作詞:山口あかり)

海の包容力をあらわにします。しかし海の偉大さをたたえたいんじゃない。主人公の愛の器のひろさ、天真爛漫さを表現する作詞が絶妙なのは山口あかりさんにより筆。『にんげんっていいな』を作詞した師匠の仕事であります。器のひろい、偉大な真理の象徴・権化たる「海」をマテリアルに、あるいはテーマにした服をあなたのためにこさえる。人間のひと針の運動・仕事に惑星の生命感が混然一体となってふたりの愛の距離を削りだす絶妙さ。

青沼詩郎

参考Wikipedia>栗田ひろみ

参考歌詞サイト 歌ネット>太陽のくちづけ

『太陽のくちづけ』を収録した栗田ひろみの『太陽と海とオレンジ』(1973)

『太陽のくちづけ』を収録した栗田ひろみの『ゴールデン☆ベスト 栗田ひろみ』(2024)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】 若さの映し身『太陽のくちづけ(栗田ひろみの曲)』ギター弾き語りとハーモニカ』)