“風街”の新章
アルバム『若者たち』で、棚にささったアルバムのなかに真空パックされたみたいなサウンドの質感から1995年のリリース年が「まじか⁈(これ、もっと昔の時代の音楽じゃないの⁈)」という衝撃を私にくれたサニーデイ・サービス。
その次のアルバム『東京』(1996)ではそのイメージをがらっと変え、時代相応の都市の現実ベースの私小説のような、リアルなのだけれどファンタジーしてもいて、サウンドとしてはマイクにかかる息の質感がアパートの小部屋に詰まった恋人ふたりの逢引きみたいに思える独特のミニマムでパーソナルな色気と体温を宿す、新鮮で粋な世界観を提案します。
はっぴいえんどの提示した世界の継承者であるのがそのサウンドの質感面でもストレートに感じられ、その解釈に対しても比較的正直な態度をとったアルバムが本作の前アルバム『若者たち』であると仮定すれば、本作『東京』はその境地から経過し距離の生じた自分達の現在地たる、言語化をこころみてみれば「風街のその後・いま」みたいな態度で取り組んだのが本作なのかなぁと、遠くからとりまく末端リスナーの私は勝手な想像をはべらせて楽しんでいます。
そんな『若者たち』の次を行くアルバム『東京』の表題曲にして1曲目が本曲『東京』。
たとえばくるりの『東京』のような、ほかの地域から東京にやってくる人の心の機微や日々一帯のテクスチャを歪んだエレキギターや開放的なシンバルのサウンドの起伏に乗せて平静と激昂の落差あるエネルギーとともに放出する態度とはかなり違って、東京にいるI(私)や、そのちいさな部屋にときおりやってくるうつくしいあなた(You)(……が仮にいると設定して……)が部屋にまいにち落としていく呼吸の残り香だけを拾って絵葉書1枚にこすりつけそのまま久しく会っていないがいつも心にいていつか会う別の誰かに向けて赤いポストにそっと投げ込むようなさりげなさが、これみよがしに抽出するともなく朝のコーヒーのようにただ窓から薫り出ています。
さらっとしていて、風通しのよい肌触りが素敵です。
名付けられた「東京」の題は欲望と目的の蠢く強大な闇と光のマーブル模様な側面もある深く立体なテーマだと思いますが、同時に、ながれもの(一時的にやってくる人)たちの交差点でしかなく、そこにこびりつくでもなく、一宿一飯のついでにハイタッチしてはそれぞれの心のふるさとに帰っていく人々の一瞬の接点であることに自覚的な側面としての、どこかにあるような心のなかにしかないような変容の過程にある「東京」(……ひょっとしたら、“風街”の後日譚)を提示する妙味があります。
東京 サニーデイ・サービス 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:曽我部恵一。サニーデイ・サービスのアルバム『東京』(1996)に収録。
サニーデイ・サービス 東京(アルバム『東京』収録、リマスター版)を聴く
Gメージャーのアコギの開放的な響きがのどかで、達者なフィンガリング、ハンマリングをつかってこまかくニュアンスをつける伴奏の本体。
ピアノの単音使いが儚げです(蛇足かもしれませんがフィッシュマンズの諸作品におけるピアノのサウンドを思い出します、ふと。『いかれたbaby』のエンディングとか……)。寝起きのお茶からたちのぼる湯気みたいにさりげないピアノが素敵(コードからベースラインから和音・メロディまで一台でなんでもできてしまうがゆえについ弾き過ぎてしまう私個人を顧みさせる余白の美しさが漂います)。やや右のほうに定位させ、アコギや歌にかぶさらないように空間がデザインされています。
メインボーカルの軽くてカジュアルな声色の質感が作品全体を象徴します。そのリードボーカルにずっとハーモニーのボーカルが帯同します。常に夢を見ているみたいな現実のまち、「東京」の主人公とその相棒たる誰かなのか、あるいは己のなかにある人格の光と陰の象徴なのか、上のハーモニーのボーカルはファルセットの質感で常に可憐な声色です。その光と陰は実に調和しています。完璧な補完関係を思います。あるいは補いあうでもなく、すでにそれぞれに独立して完結しているようにも感じます。それぞれ孤独でいることもできるが、あえてピッタリと暮らしを共有してみる……やはりこの2本のボーカルトラックは自己の表裏なのかもしれません。
エンディングでシャラララララーラ……の反復とともに意識が夢の中へ消えていきます、あるいは現実がフェードインしてきて、今日も“東京”は縦の線を引き忘れたまま経過を続けるのです。
青沼詩郎
参考Wikipedia>東京 (サニーデイ・サービスのアルバム)
ROSE RECORDS>サニーデイ・サービス Sunny Day Service へのリンク
『東京』を収録したサニーデイ・サービスのアルバム『東京』(1996)※2016年発売のリマスタリング
『東京』を収録したサニーデイ・サービスのアルバム『東京』(1996)