まえがき

延々と着地しない和音進行。こまかく上下しつづけるよりどころなさげなボーカルメロディ。個別の和音にもいちいちセブンスやテンションが含まれ、装飾が服を着て歩いているような都市の風景を思わせます。また原曲のサウンドはフワフワとしてギラつきを抑えた音色がふんだんに含んでおり、そもそも低音位や和音の骨格をあえて出さない態度をとっているようにさえ思える浮遊感のあるサウンドです。目的地を探しながら歩き続けるような都市の空虚さと、そこで行き交う人の輪をあえてポジティヴに解釈したような、虚栄と表裏一体の誠実さが乱れ咲く傑作です。情報量が多く文脈が深いのに、肩の力を抜いているのがおしゃれなのです。

東京は夜の七時 ピチカート・ファイヴ 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:小西康陽。ピチカート・ファイヴのシングル(1993)、ミニアルバム『ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ』(1994)に収録。

ピチカート・ファイヴ 東京は夜の七時(『THE BAND OF 20TH CENTURY:Nippon Columbia Years 1991-2001』収録)を聴く

ベースがすごく低いです。だから、いてくれている時も、ちょっと音程が分かりにくい。シンセのベースの音色です。ただでさえ音程がわかりにくいけれど、サビがいっこ終わるとパっとベースが消えていなくなります。ただでさえ嘘みたいで孤独な都会。さっきまでとなりにいてくれた人がぱっといなくなる。となりにいるとおもっても、はっきりと存在(音程)を主張してくるような態度をとってこない。距離があるのです、だってすごい低いんだもの。

和声(コード)を感じさせてくれるのはピアノ。「早くあなたに会いたい」の決めフレーズのところでは絢爛豪華で猛烈なパッセージ。パッと視界に飛び込むネオンやビル、街路の輝きみたいです。

ポピポピと角のまるいオルガンのトーン。ピーピーうるさい倍音要素がない、肉体のなかに包まれたみたいなサウンドで、これまた私にコード感との距離を稼ぐ一因になっています。

キックの四つ打ちに、ウラ拍に敷き詰められたハイハット、そのオープンクローズのニュアンス。そして16分割のウラウラにスネアのゴーストノートが緻密にまぎれこみ、現代の忍者のごとき働きぶりでグルーヴを演出します。

リードボーカルのメロディは仮の居場所しかくれない都会の表層を撫でる風のごとし、上下にとりとめなく動きつづけます。野宮さんの声の輪郭や質感の確かさだけが頼りだと思えるほどに、刹那的でこれもまた私に都市の光景を印象付ける一因です。

そして、ただでさえベースが低過ぎて音程がわかりにくかったりするなかでも努めて聴こうとしたところで、和声(コード)がちっとも、いわゆるⅠを根音としたトニックコードに着地することがまったくないのです。これは入れ替わりたちかわり誰かが休みなく活動している東京の営みを思わせます。どこまで続くんだろう、不思議なくらいですが不思議と今日も東京は存在していて、ひっきりなしに誰かが動いている。いつか何かがこわれて崩れて止まってしまうんじゃないかという危うさが、「嘘みたいに輝く街」という歌詞に読み取れる気分。本当に嘘なんじゃないかな? なんで宇宙にこんな場所が生まれたんだろう。なんでこの奇跡はいまこの瞬間も成立しているんだろう。迷宮ですよ。

青沼詩郎

参考Wikipedia>東京は夜の七時

参考歌詞サイト 歌ネット>東京は夜の七時

PIZZICATO FIVE(ピチカート・ファイヴ) 日本コロムビアサイトへのリンク

『東京は夜の七時』を収録した『ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ』(1994)。収録の『東京は夜の七時』は『THE BAND OF 20TH CENTURY:Nippon Columbia Years 1991-2001』収録バージョンと全然印象が違って、エレキギターのキレたグルーヴ感、グループ全体のホットな熱量感があります。『THE BAND OF 20TH CENTURY:Nippon Columbia Years 1991-2001』収録のものを先に数度聴いてから聴いたので、あまりに印象が違って驚きました。

『東京は夜の七時』を収録した『THE BAND OF 20TH CENTURY:Nippon Columbia Years 1991-2001』(2019)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】乱れ咲く虚栄と誠意 東京は夜の七時(ピチカート・ファイヴの曲)ギター弾き語り』)