遠くで汽笛を聞きながらを聴く
感動で鼻にツンと来ます。谷村さんのAメロのささやくような歌い出し、距離が近く豊かな低域が出ています。ごくやさしく歌っている感じですが距離感で迫力とニュアンスが出ています。いっぽう、サビではA♭くらいまで出して声を張っています。このあたりは少しマイクと距離をとって、声量を確保しつつ音響的な破綻を逃れて豊かな全体のアレンジと一つになっている。すごくいい演奏(歌唱)とミックスとアレンジです。
雄弁で挑戦的でアグレッシヴなギターは近藤真彦さんの『ハイティーン・ブギ』でも痛烈なギターを記録している矢島賢さんだといいます。怖いものなどない、何もこれ以上失うものなどないという逆境といいますか、喪失のあとのニュートラルなポジションから勇敢な一歩を踏み出すようで感動的です。
ドラムスのフィル、タム類が左右に定位がふってありますしトリッキーで手数の多いタム回しに華があります。ショットが明瞭です。マルチマイク録音でしょうか、これ以前の時代とのサウンドのキャラクターを決定的に分ける音質。1960年〜1970年代くらいの歌謡曲も私は大変好んで聴くので、そのあたりのサウンドの先を確実に示す好例として『遠くで汽笛を聞きながら』を推しておきたいところです。
ベースもまた細かいですし勇猛果敢。コーラスをかけたようなサウンドと穏やかなフレージングでメロの雰囲気を演出しもしますし、エンディングに向かって動きが猛烈になっていきます。アタックがまろやかな耳にマイルドな音色ですがスラップめいた奏法もつかっている?かと思うくらいに闊達に動くベースです。主人公の背中を押すような勇ましさです。
“せめて一夜の夢と 泣いて泣き明かして 自分の言葉に嘘は つくまい人を裏切るまい 生きてゆきたい 遠くで汽笛を聞きながら 何もいいことがなかったこの街で”
(『遠くで汽笛を聞きながら』より、作詞:谷村新司)
何もいいことがなかった街なのに、なぜ主人公はそこを選ぶのでしょう。ひとつには、もう帰れる場所もないからということ。もう一つは、過去から逃げることで解決を図るのは不本意であると考えていること。あと一つは、“何もいいことがなかった”はビッグマウスであるということ。この3点を私はパっと想像(仮定を妄想)します。全部かもしれませんしね。ヒトの意思はグラデーションです。混濁が基本です。白黒ついているほうが不自然。
いろんな思いをしてきた街。いいこともきっとあったはず。ですが失意の最中、そのことをマスク(覆い隠)してしまっているだけなのでは。だから、ほんとうはいいこともあったけれど、いまこの瞬間口をついて出た言葉は“何もいいことがなかった”なのかもしれません。
不器用でいることが誠実さだ、……というのは、あまりに強引かもしれません。ですが、ころころと間違いを訂正する機敏さで生きていく人物にも思えないのです、この楽曲の主人公は。私はそこに自分自身を重ねて見ています。
間違いを訂正する素早さはひとつ大事な生きるポリシーかもしれません。でも、なんで間違えたのか? どうしてそういうことが起こったのか? あれは間違いだったと本当に言い切っていいのか? 擁護するべき点、考慮すべき理が見出せるのでないか?
慎重に考え、顧みて、長い期間をかけて評価を醸成することこそが、この主人公の美学なのではないかと私は思います。それに共感するから、鼻がツンとするのです。心があついよ、谷村さん、アリスのみなさん。
青沼詩郎
『遠くで汽笛を聞きながら』を収録したアリスのアルバム『ALICE V』(1976)
ご寛容ください 拙演