ピュアネス 音楽に求めるもの

音楽に求めるものはいろいろあると思います。

あなたは音楽を聴く習慣があるでしょうか。あるなら、あなたは「音楽が好きなほう」かもしれません。

腰を据えて聴くことは稀で、メディアによる露出・放出・拡散……「街鳴り」(お店や施設、路上に向けられたスピーカーなどから鳴らされ、往来する人の耳に自然と入るような音楽)で触れるのがもっぱら、という人もいるかもしれません。そういう人は、音楽に求めるものは少ないかもしれません。せいぜい、あまり不快でないようにしてくれれば良い、程度でしょうか。

音楽を聴く楽しみには、他で耳にしたことのない目新しさとの出会いがあります。先進と独創の極み。それも、音楽の魅力の一面。その作品自体の強みでもあります。

私は作詞や作曲をするので、「こういう音楽をつくりたい」という意味で、「音楽に求めるもの」があります。それには、他と比較したときの差異と認めうる独創や個性・先進も含みます。埋没しない、ほかにはない特長や価値を秘めたものを提示したい。そう思っています。

「特長や価値を秘めた」には、実はちょっとした意図の含みがあります。それは、よく目をこらしたり、進んだ姿勢で分析したりしてはじめてわかる特長や価値……という意図の含みです(あなたから手を伸ばしてごらんなさい。そのとき、あなただけの感嘆や発見・驚きがそこにありますよ……と、心に語りかけるような)。

ぱっと見た感じはありふれているものだったとして、その「ありふれている」は良くも悪くもとらえることができます。物珍しさがなくてつまらない……これが悪い意味の筆頭でしょう。良い意味は、多くの人に理解・認知されやすい……既存のもの・概念・観念と照合しやすいということを別の一面として挙げておきます。

良くも悪くも、ぱっと見た感じ、そういうありふれたフォルムに見える……しかし、目をこらすと、意外と細やかに視点の鋭い意匠をこらして作ってある……そういう価値や特長を、私は黙示したいのです。

「目をこらす」とはちょっと違った態度ですが、「ありふれたフォルムにみえるもの」が、それまでと違った魅力を鑑賞者に唱えることもあります。たとえば、時間を経て鑑賞したとき。たとえば、「その作品を自分で再現するために分析する」意図でふれたとき。前者は、時間の経過とともに自分(鑑賞者)が変化(成長、含む劣化)することで、作品がその人に与える印象や評価さえも左右する現象。後者は、「なんとなく耳にする」のと、「その作品の再現を試みる」のとでは、必要な観察の精度がまるで違うことを示します。

「一見ありふれたフォルム」は、ある意味、摩擦がすくなく、誰かの邪魔になることも稀なために排除されにくく、実は長く残る一因である気もします。そこを狙うと、引っ掛かりがなく埋没し、認知すらされずに流されるリスクを同時に背負うのも事実でしょう。あるいは鑑賞者の未熟さによる「一見ありふれたフォルム」という認知がそもそも歪んでおり、実はかなり独創的でひっかかりのあるデザイン(意匠)だったと、あるときそれ以前の認知を改めるときが来るかもしれません。その「あるとき」とは、あなた(ユーザー)が自分の進んだ意思で手をそちらに差し伸べたときである場合が多いのではないでしょうか。そのときに、歪んだ認知が正され、対象の未知の特長や価値が立ち現れるのです。

私が音楽に求めるもののひとつは、そういう体験です。「求める」なんてのは、物欲しそうでちょっとカッコ悪い気もします。音楽と長く歩いていると、自然とたびたびそういう場面に出会うのです。その出会いの積み重ねが、私の足を動かし続けるのだと思います。

映像 藤井フミヤ TRUE LOVE MV

映像から静謐を感じます。シンプルです。画面の動きがなだらかで穏やか。これを美しいと感じる自分の感性を解き明かしたくなります。

物静かな画面のうつろいで、一番激しい動きに感じたのが藤井フミヤが前髪を天に吹き飛ばすように頭を振り上げる動作です。凪いだ河面のような静かな感情と、突発的に吹き上がり激昂する感情の同居……その表現とみるのは私の誇大妄想かもしれません。魅入ってしまいます。藤井フミヤの美貌のせいもあるでしょう。それを捉え、表現した映像が美しいのです。

色味をおさえた画面に思えます。これも私が感じる「落ち着き」「物静かさ」の所以かもしれません。

腕時計の長方形や円形。女性が座っている場面の背景の構造物の直線。冒頭でシャッターを切るカメラのまんまるの瞳(レンズ)。エンディングのビルや車の整然とした作為(不自然さ)。人工の直線や曲線が、都会に生きる自然物としてのヒトの「はぐれ者感」を強調します。

女性と藤井フミヤの顔面をとらえた映像が左右から近づき、ぶつかるヒヤヒヤを一瞬。そのままクロス。男性から受け取った何かのキーはバイクのものであるのがエンディングでわかります。環を持つ惑星をモチーフにデフォルメしたチャームのようなモノがついたキー。いくつかの登場人物といくつかの場面が、ストーリーを想像させます。情報量は少なく、想像の余白が広いです。映像中の物語に込めた展開のスピードも、静謐さを認めうる一因に感じます。

エンディングで主人公はバイクに乗って車道に出て行きます。まっすぐ進むのかと思いきや、大きく翻り反対車線へ展開します。後方確認が的確で慣れた運転です。どこへ行くのでしょう。パン・アップするカメラ。ビル群、構造物。新宿に似た風景です。早朝でしょうか。並んで停まった車が硬派に見えます。

曲の名義など

作詞・作曲:藤井フミヤ。藤井フミヤのシングル(1993)、アルバム『エンジェル』(1994)に収録。

藤井フミヤ 『TRUE LOVE』を聴く

アコースティックギターの音色が豊潤です。左のストロークに右の合いの手ギターが絡みます。ほかにも合いの手を含め3本聴こえるところもある気がします。

前半のワンコーラスはアコースティックな態度を保ちます。エレクトリック・ギターが合いの手で加わりサビを華やかに。低いポジションのエレキギターに、アルペジオで絡むエレキギターもいます。ベースはハイポジションで浮遊感を演出。アコースティックなアプローチですがしかるべきトラック数は割いています。丁寧で豊かな音作り。オルガンのサスティンが背景に直線を描きます。空を横切る飛行機の軌跡のようです。

間奏からドラムスが入りベースも一気に表現が太くなります。

2コーラス目の藤井フミヤの歌い出しは埋もれてしまいそうでギリギリの繊細さが絶妙です。ショート・ディレイの効果が際立ちます。ベース・ドラムスの太く確かな輪郭と、繊細なボーカルの対比。音のセパレーションが抜群で、基礎に輪郭を冒されることなく、中庸な声域を用いた曲のメロディに藤井フミヤの声が情感をたっぷりと授けます。

藤井フミヤのキャラクター、繊細な色気を十分に引き出すサウンド。かつ気骨に満ち、迫力あるロックなサウンドでもあり、先人の築いた音楽への敬愛も感じる態度です。

曲について

フレットを滑る繊細なアコースティック・ギターのフレーズが際立つイントロ。歌詞がコンパクトで、情報の量や描き込みを抑えています。想像上の情景の余白を多くして、鑑賞者に委ねる態度に思えます。コンパクトな歌詞は風通しが良いです。

前奏

→ 1コーラス目(アコースティックに)

→ 間奏(サウンドが厚く太くなり熱量が増します)

→ 2コーラス目(太いバンドの音と豊かな情感を備えたボーカルの対比)

→ 後奏(前奏のように。ふたたび目を閉じる感じです)

繰り返しますが、とてもコンパクトな構成です。1コーラス済ませるとすぐに間奏に入る構成。2コーラス終えたあとに間奏を入れる構成がどちらかといえばJポップ多数派かもしれません。たまに1.5コーラス?で間奏に入るなどという意外なものもあります。その辺をふまえ、『TRUE LOVE』は情感ある中庸なバラードを冗長させずに提示する良い構成に思えます。

図:『TRUE LOVE』イントロの採譜例。

イントロのアド・ナインスの響きのコードストローク。このリズム形に合いの手が続くパターン。四分の四と四分の三を組み合わせた変拍子。シンプルですがこれもまた曲の輪郭を引き締め光らせるアレンジです。1拍分の時間の余白を切り詰めることで、かえって情感の余白のようなものを感じるから不思議です。

図:『TRUE LOVEAメロの採譜例。

メロのボーカルメロディは弱拍ではじまるフレーズをつらねます。メロディが中性的で繊細な気品を備えるのはこのせいかもしれません。整った顔立ちの美人のような儚い印象を与えます。

図:『TRUE LOVE』サビの採譜例。

1拍半あけた弱起のサビメロディはAメロと似た性格をまとったままです。音の高さのポジションをぐっと上げたので感情は高まります。

“きみ” “しんじて” “きず” “ぼくら” “いつも” “ゆめみてた”いずれの単語の頭も、弱拍に位置しています。言葉が流麗に響くロジックか。

明らかに異色なのが“はるか はるか 遠い未来を”の部分です。ずっと弱起で流れるように言葉を風に乗せてきたAメロ・サビですが、ここで1・3拍目の強拍に単語の頭がフィット。異彩のパワーとビートを生み出します。曲の個性を決める心臓・魂の部分かもしれません。ここ以外を繊細に丁寧に、風の流れに添うように連ねてきたからこそ、余計にこの部分が際立って感じられます。

メロディが大立ち回りしている印象のこの部分。2拍3連(2拍の長さを3分割)で採譜するときれいです。原曲の音源、特に藤井フミヤのボーカルのリズムをよく聴くと16分割のグルーヴがあります。演奏上の認知としても、16分音符と8分音符を組み合わせてタイで結んだリズム形が厳密には正しい気がします。アコースティックギターがダウンピッキングの連続でこのリズムを演奏しているようなので、わずかに2拍3連のような大仰な匂いを(私の偏見も手伝って)感じるのかもしれません。原曲の音源のメンバーの演奏は至って精緻です。

歌詞にみる曲想、主題

“振り返るといつも君が笑ってくれた 風のようにそっと まぶしすぎて目を閉じても浮かんでくるよ 涙に変わってく 君だけを信じて 君だけを傷つけて 僕らはいつも はるかはるか遠い未来を 夢見てたはずさ”(『TRUE LOVE』より、作詞:藤井フミヤ)

歌詞の情景描写もとても観念的で、細かい具体的な描き込みは遠ざけられています。“君”がそばにいたのを回顧する主人公の立場でしょうか。観念が提示する情景は、日中(昼間)を思わせる光量です。“君だけを信じて” “君だけを傷つけて”。愛するものをやさしく扱う態度。親しさゆえに傷つける愛の反転。観念的ではありますがドラマティックな飛距離、対比を併せもつサビの歌詞。

“立ち止まるとなぜか君はうつむいたまま 雨のようにそっと 変わらないよ あの日君と出会った日から 涙に変わっても 君だけをみつめて 君だけしかいなくて 僕らはいつも はるかはるか遠い未来を 夢見てたはずさ 夢見てたはずさ”(『TRUE LOVE』より、作詞:藤井フミヤ)

2コーラス目も観念を保ったまま。“雨”など、ことばに湿り気。やや「逆境」感、感情の沈み込みが1コーラス目より増します。曇り、くすんだ午前中の早めの時間、もしくは日がかげった頃……正午を避けた薄暗さを思わせる、憂いの香りの2コーラス目。せつなさをまとっています。

コンパクトなラインを連ねた段落をふたつ連ねた歌詞。主要な部品を組み合わせたユニットは「Aメロ」「サビ」のみといっていいでしょう。これが私の思う風通しの良さ。

はかなく、強風に吹かれたらたち消えてしまいそうな「灰汁の弱さ」でもあります。ですが、そこがかえって、“残る”のではないでしょうか。心に残留するのです。カドを磨かれ、引っ掛かりを削がれ、まるくまるくなっていく。そこに残った“思い”、観念は、ずっと風を読み続けてそこにある自然物のようでもあります。詠み人知らずの大衆民謡みたいなものに通ずるのではないでしょうか。何世紀を経ても、ヒトは、観念上の悲しみや愛を持って生きていく。思いの主が「特定の誰か」と認知される必要がなくなっても、思念だけが、流れる川のように、その底に沈殿した丸い石のように、残るのです。タイムカプセルを拾い上げ、愛でる後世の誰かがいるかもしれません。引っ掛かりがなくつるつるなようでいて、サビのはるかはるか……”のところには「遺す意思」が宿って感じます。

「私」を誰もが忘れても、どこかに残ってほしい思い。真の愛ってそういうものかもしれません。

青沼詩郎

藤井フミヤ 公式サイトへのリンク

『TRUE LOVE』を収録した藤井フミヤのアルバム『エンジェル』(1994)

『TRUE LOVE』ほかシングルとアルバム曲を組み合わせた藤井フミヤの『STANDARD』(1996)

ご笑覧ください 拙演