うめぼし スピッツ 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:草野正宗、編曲:塩谷哲。スピッツのアルバム『スピッツ』(1991)に収録。
スピッツ うめぼしを聴く
うめぼしって強烈にすっぱいイメージです。もちろんはちみつ漬けとか甘いのもあるでしょう。カリカリしているタイプもあれば、とろとろの梅酢につかってずぶずぶにどろどろになっている感じのもあるでしょうし、カリカリしてはいないが表面がさらっとしている感じのものもあるでしょう。
うめぼし多様性談義になってしまいそうですが、おおむねすっぱい。うめぼしといえばすっぱいものです。
恋愛をよく「甘い」と、甘さで比喩することもあるでしょう。対して、「苦い恋」などと苦味で比喩するエンターテイメントもあります。
「塩辛い恋」これはあんまり聞かないか。「しょっぱい恋」。これもあんまり聞きませんが、楽しかったりうれしかったりシアワセだったりするばっかりじゃない恋だったとしたら「しょっぱい恋」もありかもしれません。
すっぱいとひとことに言っても、あまりここちのよいものではない、ネガティヴな感じのすっぱさは英語で「sour」と表現するような話も聞いたことがあります。でもサワークリームオニオン味なんていうポテチ(プリングルス)もありますから必ずしもネガティヴな酸っぱさのみを表現する単語でもなさそうです。うめぼし談義の次はすっぱい談義になってしまいました。
知らない間に僕も悪者になってなた
優しい言葉だけじゃ物足りない
『うめぼし』より、作詞:草野正宗
優しい言葉。ここでは仮に優しい言葉を「甘さ・甘み」などにたとえてみましょうか(安直ですが)。それに対する比喩としての、「すっぱさ」だと解釈してみるのも楽曲『うめぼし』の味わいのまずひとつシンプルな咀嚼です。
ただやさしいだけじゃない。
ありのままを受け入れ、ありのままのあなたと共に歩もうとするのが愛だとしたら。
相手に刺激を与えて、相手を変えてやろうというのはひとつ、恋(恋愛期)の特徴かもしれません。うめぼしのすっぱさ、すなわち、「物足りない、優しい言葉」以外の欲する何かです。
口に入れたら、キューっとなる。舌がちぢこまって、口腔も顔面の筋肉も、なんなら肩や首や内臓までもみんなきゅーっとなるようなうめぼしの劇薬効果。じゃばじゃばと唾液が出てくる。なんなら口にしなくても想像しただけで出てきます。
12弦のアコギなのか、きらびやかでしゃらしゃらした風に揺らぐ木立のような風流なギターの響きを中心に、ざらっとしているのにすべすべもしている、木綿と絹と麻のハイブリッドみたいな特別な質感の草野さんのリードボーカルがぽつんとした部屋とうめぼしと僕と君を浮き上がらせます。低音の豊かさもひゅっと上に抜ける繊細さ・かろやかさも備えたパーフェクトボーカルよ。
バス・クラリネットなのでしょうか。低域にアコースティックなリード楽器が絡みます。やがてチェロも線を重ねてくる。いつのまにか視界が万華鏡の中みたいに、広い音域のストリングスに包まれている。アレンジメントは塩谷哲さん。
ほぼ弾き語りで生まれて、弾き語りの姿のまま旅立っていくようなストイックないでたちで成立する楽曲だと思いますが、アルバム作品のワンピースとして独創性と芸術性を豊かに備える管弦楽が優美で可憐です。ビートルズの『Eleanor Rigby』など思い出させるアティテュード。
うめぼしそれ自体は小物です。そのまわりにある僕や君の関係。部屋のにおいや、窓からさす光の加減。あるいは窓の外。街ですごした僕や君の記憶までつらなって引き出させる。ワンシーンをいろどる小物「うめぼし」自体を主題に、ヒト・モノ・コトを浮き上がらせるソングライティング。
バンドメンバーによるドラムギターベースが轟くいわゆる「これぞ」なスピッツサウンドからはかなり距離をとったポジショニングであるからこそ、シンプルにソングライティングの醸す余白の絶妙さに誘われます。弾き語りのソングライター草野正宗がもしこの世に存在したらこんな立ち位置を中心に作品群が展開されるのかもしれませんが、ロックバンド・スピッツとしては中心からちょっと距離がある感じのポジショニングといえそうです。でもそこがアルバムにもバンド自体にも振れ幅を出していて良いですよね。
青沼詩郎
『うめぼし』を収録したスピッツのアルバム『スピッツ』(1991)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『うめぼし(スピッツの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)